第4話 命が風になる日

 冬の前の寒い日だった。その日は冷たい雨が降っていて、いつもにも増して開拓団はそわそわとしていた。


 身ごもっていたカーペンター家の奥さんのエリザベスさんの出産が、とうとう始まるそうだ。出産の徴候があったということで、産婆の資格のあるミネルバはカーペンター家につきっきりになった。


「私ね、もうすぐお姉さんになるのよ!」


 カーペンター家の長女のアビゲイル――アビーはまだ幼いながらもとても聡明で、エリザベスさんのお腹を触りながら生まれてくる赤ん坊のことをいつも話していた。弟か妹か、一緒にご飯を食べて、一緒に遊ぶのだと何度も僕に教えてくれる。僕はマリベルと一緒にアビーのそばにいることになっていた。


 女性陣はカーペンター家に集まり、男性陣はすることもなくそわそわと牛舎の辺りでカーペンター家を見守っていた。何しろ、初めて開拓団で生まれる人間の赤ん坊なのだ。開拓団の全員が新しい命の誕生を待っていた。


「……やけに時間がかかるな」

「心配ですね」


 昼過ぎには生まれるだろうとミネルバは話していたが、既に時刻は夕方に近くなっている。マリベルはアビーと人形遊びをしていたが、なかなか知らせが来ないことに僕と一緒に何度も窓の外を見た。日が落ちる前に、カーペンター家から誰かが走ってくるのを僕は見て、少しほっとした。それはアビーの父、レインさんだった。


「アビー! 生まれたぞ!」

「お父さん! ねえ弟、妹どっち!?」


 びしょ濡れになったレインさんにアビーが飛びつく。


「妹だ、すぐに行くぞ」


 レインさんは僕たちに礼を言うと、アビーを抱えてすぐに走っていった。その顔は赤ん坊が生まれて喜んでいる父親というより、何か切羽詰まったものを抱えた者の顔だった。


「……赤ちゃん、無事だよね?」


 マリベルも心配そうに僕に話しかける。僕は脳天気に「無事だよ」と言えるほど無責任にはなれなかった。


 その日は一晩中、雨が降り続いた。夜になってマリベルが自分の小屋に戻っても、ミネルバはとうとう僕の小屋に帰ってこなかった。


***


 次の日の朝、小屋に戻ってきたミネルバから生まれた赤ん坊がとうとう亡くなったことを僕は聞いた。難産の末生まれた赤ん坊で、生まれてきたときには母親の乳を飲むことも難しいほど弱っていたそうだった。その日の夜は家族皆で過ごし、両親と姉に看取られて赤ん坊は一晩の短い生涯を閉じたという。朝になって雨は止んだが、開拓団の中には沈んだ空気が流れていた。


 その次の日、赤ん坊の葬儀が行われた。開拓団の墓地は高原を見下ろすことが出来るところに設置されていた。ランドさんの話によると、この墓地には既にひとつの墓標があるがその下に遺体は埋葬されていないそうだ。僕が開拓団に来る前、タウルス高原の強風に飛ばされて行方がわからなくなった作業員がいたそうだ。いつまで経っても帰ってこない彼のためにランドさんはこの場所に墓標を立てて、彼を偲んでいるという。


「ここからなら、高原も集落もよく見えるからな」


 レインさんは立てないほど憔悴したエリザベスさんを支え、何が起こっているのか理解が追いついていないアビーと一緒に呆然とした顔をしている。


「天の神に召します魂に、今ひとたびの幸あらんことを」


 ランドさんが祈りを捧げ、小さな棺を埋葬する。開拓団の墓地に一番最初に入るのが、開拓団で一番最初に生まれたばかりの赤ん坊なんて、なんて悲しいことなんだろう。


「ねえ、リリアンはどうするの? どうして埋めちゃうの?」


 アビーの言葉が開拓団員たちの涙を誘う。エリザベスさんを支えているレインさんに替わって、ラクシさんがアビーに話しかける。


「アビー。リリアンは風になって、みんなを見守ってくれるはずだよ」


 その言葉にレインさんは食ってかかる。


「待て、それじゃうちの子は神の御許みもとへ行けないってことか!?」

「そうは言っていない。生まれた者はいつか風になって帰ってくる。これが俺たちの聞いた昔話だ」

「そうやってアビーにデタラメを教えるのか、この……」


 そこまで言って、レインさんは泣き崩れた。ラクシさんもその場にいる人たちも皆、レインさんに悪気があるわけでもラクシさんが余計なことを言ったわけでないことを知っていた。ただ、セレスティア人とソルテア族の信じていた神が少し違っただけのことだ。


 それなのに、どうしてこんなに悲しいんだろう。立ち上がったレインさんは「言い過ぎた」とラクシさんに謝った。それでも開拓団の中に暗黙の了解として沈んでいた、僕らとソルテア族との違いがはっきり浮き出てしまった。


 ふと、僕も他の世界からやってきた魂であることを思い出して身が凍るような思いに駆られた。だから僕は右手からバッファローを出せて、それでこの集落は豊かになってきたのではないか。もし僕が死んだら、その魂はどうなるんだろう。今度は無事に神の御許に行くのか、ソルテア族の教えのように風になって開拓団を見守るのか、それともまた別の世界へ飛ばされるのか。


 葬儀を終えた後、ミネルバが「せめて腕のいいお医者がいれば」と零した。僕は父にすぐ専門的な教育を受けた医者を開拓団に派遣するよう要望を出した。これから先、開拓団で急病人が出ても何もできないなんてことがあったら、それは医者を用意できなかった監督の責任だ。現状では重病人が出てもブルームホロウの村まで急いでも二日かかる険しい道程を馬車で行くしかない。もうこんな悲しい思いはしたくなかった。


 僕の要望に反して、医者はなかなか来なかった。父も引き受けてくれる医者を探したと思うが、わざわざ開拓団に参加するような物好きが見つからなかったようだ。


 いろんな思いが交錯したまま、冬が来た。僕らは自分たちが生きることに精一杯になって、いい感じで赤ん坊の死を忘れることが出来た。アビーは風が吹くたびに「リリアンが来た」と寂しそうに呟くそうだ。それをレインさんもエリザベスさんも咎めることはなかったと僕は聞いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る