第1章 ようこそタウルス高原
第1話 いざタウルス高原へ
タウルス高原。それがこれから僕が暮らす場所の名前だ。
大帝国セレスティアの植民地であるアルドリアン領の内地はまだ謎に包まれている。険しい山々が連なり、まるで人間が立ち入ることを拒んでいるようだ。そんな場所に、今僕は向かっている。
夜明けと共に僕は馬車の中で目を覚ました。山中の深い森にある頼りない道の途中で野営していた僕たちに朝日が細くなって降り注いでいる。今日もいい天気になりそうだ。
「エリク坊ちゃま、今朝のお体の具合はどうですか?」
「ああ、今日も気分がいいよ。少し身体が痛いけどね」
長旅で身体は疲れているが、不思議と気分はさっぱりとしている。アルドリアン領の首都ノヴァ・アウレアから遠く離れた地方都市のエルムウッドから高原の麓の村まで馬車で五日、さらにそこから登山用の馬車で二日かかるところにタウルス高原は位置している。今日はいよいよ、目的地に到着すると思うから気分が軽いのかもしれない。
「これだけ長く移動していると仕方ありませんね。でも、ようやく今日で馬車の旅もおしまいです」
「ああ、本当にようやくだよ」
僕に同行している中年女性はミネルバ・グリモールだ。僕の実家であるヴァインバード家で家政婦長を務めていて、母さんから絶大に信頼を集めている凄腕の女中だ。今回タウルス高原に僕が出向くことになって、母さんが是非にとミネルバを同行させるよう父さんに頼んだのだった。長い銀髪をびしっと結っていつでも姿勢正しいミネルバはかっこいいけれど、少し冷たい印象を僕は持っている。
馬車はどことも知れぬ山の中をごとごとと進んでいく。正直、ずっとこの揺れる馬車に乗っていると腰が痛くなりそうだ。暗い森の中や崖際を馬車は進み、昼頃ようやく開けた場所へ辿り着いた。
「エリク様、ようやくタウルス高原が見えてきましたよ!」
案内の御者がわざわざ馬車を止めて、雄大な景色を僕に見せる。確か開拓団のランデルと言ったっけ。
「……広いなあ」
高原の手前の山頂から、僕は広大なタウルス高原を眺める。手前に広がる小さな森と、その奥に広がる大草原が僕を待ち構えている。タウルスとはこの辺りの先住民族ソルテアの言葉で「地を駆けるもの」という意味だそうだ。しかし、その意に反して大型の生き物は存在しないと言われている。かつては存在したのか、あるいは最初から架空の存在だったのか。
「ここを降りていけば開拓団の仮集落です。ここから先は道が少々険しいので、お気を付けください」
そう言って、ランデルさんは再び馬車を走らせた。高原が見えなくなり、間もなく激しい馬車の揺れが襲いかかる。登山馬は器用に砂利道を歩いているが、客車の僕らは馬車の内側にしがみつくほかなかった。
「ミネルバ、思ったよりすごい道だな!」
「坊ちゃま、喋ると舌を噛みますよ!」
これまでの旅程で馬車の揺れにはすっかり慣れたつもりだったが、最後にここまで揺れる道に出くわすなんて。なんて幸先が悪いんだろう。
***
十五歳になって、僕は実家のヴァインバード家から追放された。
『エリク、お前に新事業のタウルス高原開拓団の監督を任せたい』
僕の父さんのオズワルド・ヴァインバード子爵は三男の僕を疎んでいるようだった。上の兄二人と違って身体の弱い僕は運動はもちろん、勉強も人並みくらいにしかできなかった。いつも病気で臥せっていて特に取り柄も無い僕は、誰にも目をかけてもらえず今日まで生きてきた。
唯一僕を愛してくれたのは、母のアマンダだった。身体の弱い僕を心配して、いつも僕のそばにいてくれた。僕のために身体にいいという薬草を取り寄せて、臥せっているときはいつも介抱してくれた。父親に似て銀髪の兄二人と違って、僕だけが母と同じ明るい金髪だったのも母の愛を重くした一因だったかもしれない。
そんな母は、僕が開拓事業へ参加することを猛反対した。
『身体の弱いエリクを山へやるなんて反対です!』
『お前がいつまでもそんなんだから、エリクが強くならないんだ!』
兄二人は僕を一応人並みにはかわいがってくれたが、一緒に遊べない僕をおいて二人でどこかへ行くことが多かった。学問に長けた上の兄は父の跡を継ぐために勉学に励み、運動神経の良い二番目の兄は王宮警備隊への推薦状をもらっている。僕だけが何もできない余計な邪魔者だった。
そこへ舞い込んできたのが、タウルス平原の開拓事業だ。僕の父が中心となり、数年前から行われてきた事業だそうだ。先発隊の開拓団長から仮集落を完成させたとの連絡が来て、そこにヴァインバード家から開拓団の監督として僕が住むことになるとのことだった。
とにかく母は父に猛反発した。僕も本当は家を離れて知らない土地、しかも山奥でひとりで暮らすなんて嫌だった。それに、役立たずの僕を厄介払いされたように感じて悲しかった。
しかし、だからと言って何も出来ない僕がヴァインバードの家に留まり続けることもとても気まずかった。これ以上父と母の喧嘩は見たくなかったし、僕が情けないのが原因だったら僕がしっかりすればいいだけの話だ。それなら、僕は父の役に立つために辺境の地でもどこにでも行ってやろうじゃないか。
そんな気がして、今こうして僕は馬車に激しく揺られている。
「ここからは比較的平坦ですよ、安心してください」
御者席からランデルさんの声がする。ようやく砂利道を抜けた馬車は、仮集落を目指してまっすぐに走っていた。
「ミネルバ、僕は大丈夫なんだろうか」
「坊ちゃんはどこへ行っても大丈夫ですよ」
ミネルバの言葉と裏腹に、僕には不安しかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます