第33話 王都モルゲンレーテ

 堅固な城壁に囲まれた大都市、ハルモニエ王国の王都モルゲンレーテは、遠目にも、この国の豊かさを思わせるたたずまいを見せていた。

 元々は穀倉地帯であり、資源にも恵まれたハルモニエ王国であったが、先代女王ローザリンデの三十年以上にわたる治世において、更なる発展を遂げたと言われている。

「想像以上だ。百聞は一見に如かずと言うが、本当だな」

 王都を眺めて、リューリは感嘆の声を漏らした。

「他国を巡るのも楽しいのですが、故郷は落ち着きますね。色々と片付いたら、国内も見て回りましょう」

 ローザが、リューリの頭を撫でて言った。

 リューリたち一行は、フレデリクから事情を聞いた後、転移の魔法を使い、ジークたちの母国であるハルモニエへとやってきたのだ。

「リューリちゃんとフレデリクさんが手伝ってくれたお陰で、一瞬で帰ってこられたのは幸いだったよ。行ったことのある場所へ転移できると言っても、これだけの人数を同時にというのは、僕一人では無理だからね」

 そう言って、ウルリヒが安堵したのか小さく息をついた。

「転移の呪文は知っているが、前世の私は引きこもりだったから、使う機会がなかったな」

 苦笑いするリューリを見ていたフレデリクが、口を開いた。

「しかし、まさかリューリちゃんが転生者、しかも、天才魔術師と言われていたヴィリヨ・ハハリだったとは……そうと思えば納得できる部分もあるけれど、やはり見た目だけでは信じられないな」

「自分でも、まだ時々信じられないと思うこともあるが、本当だから仕方ない」

 くすりと笑いながら、リューリは言った。

「私は、リューリちゃんを五歳の女の子だと思っているが……素直で可愛いところもあるし」

 アデーレが、そう言いながらリューリを抱き上げた。

「素直で可愛い……そうだろうか……」

 前世でなら、とても考えられないような言葉に、リューリは思わず頬を赤らめた。

「こんなに可愛くて良い子を虐待する親がいるなんて考えられない……自分の子供であれば、尚更、目に入れても痛くないというのに」

 溜め息をついて、フレデリクが呟いた。

「私の両親も苦しんでいたのかもしれない。私が両親に似ていないことで、父は妻に裏切られたのではないかと疑心暗鬼になり、母は不貞を疑われて精神が不安定になっていた。わだかまりがないと言えば嘘になるが、彼らも傷ついていたんだ」

 リューリが言うと、アデーレは感激した様子で彼女に頬ずりした。

「やはり、リューリちゃんは優しい子だ……!」

「そう思えるようになったのも、みんなのお陰さ」

 アデーレに頬ずりされるのは不快ではなかったものの、複雑な表情をしているウルリヒの視線に気付いて、リューリもまた複雑な気分になった。

「とりあえず、城に向かおう」

 ジークが、一同に声をかけた。

「フレデリクが離反したのを『エクシティウム』に知られる前に、色々と準備しなければならないからな」

 その言葉を聞いて、リューリの中に一つの疑問が浮かんだ。

「『エクシティウム』の魔術師には、口封じの為の『呪詛』が仕掛けられているようだが、フレデリクは大丈夫なのか?」

「自分の部下に、そういった処置を施している魔術師もいるね。幸か不幸か、身内を人質に取られている為か、それがかせになると思われているようで、私自身には何もされていないよ。心配してくれたんだね、ありがとう」

 フレデリクが柔らかく微笑むのを見て、リューリも安心した。

 一行は、幾つかある王都の入り口の一つまで歩いた。

「そこの皆さん、代表者の方だけで構いませんから、こちらの帳面に署名してください」

 門番に呼び止められたジークは黙って頷き、渡されたペンで帳面にすらすらと署名した。

「ベルンシュタイン公爵ジークムント・ヴォルフ・ハルモニエ……?! あ、貴方あなた様は、あのジークムント様では! ああ! ローザリンデ陛下も御一緒で?! 何というご無礼を……申し訳ありません!」

 帳面とジークの顔を交互に見比べると、青ざめた顔の門番は、額が地面に付くのではないかと思われる程に深くお辞儀をした。

「詫びる必要はありませんよ。相手が誰であろうと自分の職務を全うする、あなたは門番のかがみです」

 ローザが言うと、門番は、ほっと息をついて胸を撫で下ろした。

「城にいる時のような気取った格好じゃあないから、分からなかったのも無理はないな」

 ジークが、からからと笑った。

「徒歩でいらしたのですか? 城まで行かれるのであれば、迎えを寄越すように連絡させていただきますが?」

 門番の言葉に、ローザは首を振った。

「いえ、久々に街を見ながら歩いていきたいので大丈夫です。ああ、でも私たちが帰ったことは知らせておいたほうがいいでしょうね。それだけ、お願いします」

「では、そのように」

 門番に見送られながら王都に入ると、リューリは活気に溢れた街の様子に圧倒された。

 賑やかではあるものの人々の表情は穏やかで、石畳が敷かれた道には目立つくずなども落ちておらず、民度の高さがうかがえる。

 大通りには食料品だけでなく衣料品や書物、魔導具などを扱う店が軒を連ね、多くの人が出入りしている。

「噂には聞いていたが、やはり大陸でも指折りの豊かな国と言われるだけあるな」

 アデーレに抱っこされながら、リューリは、きょろきょろと街を眺め回した。

「私が聞いたところによれば、ハルモニエ王国は軍備にも力を入れているという話でしたが、想像していたよりは、のんびりした雰囲気ですね」

 フレデリクが言うと、ローザが頷いた。

「平和である為には、それを守る為の力も必要なのです。その代わり、我々は他国を侵略する為の戦いを放棄しました」

「ま、攻めてくる奴がいれば、二度とそんな気を起こさせない程度に反撃はさせてもらうがな」

 ジークが、そう言って片目をつぶってみせた。

 やがて一行は城門へと辿り着いた。

 ローザとジークが帰還したという報せが届いていた為か、一行は大勢の兵士や使用人など城内の者たちから出迎えを受けた。

 と、人々の中から一人の男が進み出てきた。服装から見て、かなり身分の高い者と思われる。

「ローザリンデ陛下並びにジークムント様、お帰りなさいませ」

 ローザから侍従長と紹介された男は、やや困った顔で言った。

「申し訳ありませんが、国王陛下は御多忙で、お二方ふたかたへのご挨拶は明日にさせていただきたく……いえ、ご本人は是非お会いしたいと仰っているのですが、何分なにぶん、ご公務が立て込んでおりまして」

「私たちが急に帰ってきたのだから仕方ありませんね」

「落ち着いて話したいことが多いから、まとまった時間を作ってくれたほうが、ありがたいな。それまで、俺たちは『離れ』で休むことにするよ」 

 ローザとジークが、そう言って微笑んだ。

「承知いたしました。お連れの方々も、ご一緒でよろしいですか?」

「はい、そうしてください」

 侍従長とローザのやり取りを聞いていたフレデリクが、少し不安げな表情を見せた。

「私のような者が、ここにいていいのでしょうか……」

「何を言ってる。君は情報提供者ではあるが、我々の客人でもあるんだ。それに、俺が『監視』しているのだから、一番安心だろう?」

 物は言い様だ――ジークの言葉に、リューリは思わず、くすりと笑った。

 侍従長の案内で、リューリたちは「離れ」へと向かった。

 彼の説明によれば、王位を退しりぞいた者と、その配偶者の住居となるのが「離れ」と呼ばれる建物という話だった。

 王宮に連なる建物だけあって、「離れ」も貴族の邸宅と見紛みまごうばかりの規模である。

 久々に腕を揮ったという料理長の手による豪華な夕食に舌鼓を打った後、リューリは初めててがわれた一人用の客室で寛いでいた。

 一度に色々なことが起きて疲れていたのか、眠気に襲われてベッドに入ったリューリだったが、何とはなしに物足りなさを覚えた。

 これまで宿に泊まる際はアデーレかローザと一緒に寝ていた為、一人だとベッドが広すぎるように感じるのだ。

 ――子供ではあるまいし、寂しいなどと言っていられないぞ。いや、子供でもあるか……

 自分一人分だけの温もりの中で、やがてリューリは眠りに落ちていった。

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