第31話 本心

 リューリの呪文から生み出された火球は、フレデリクに届く寸前で弱々しく揺らぎ、虚空に消えた。

 ――息切れしていて詠唱が不完全だったか……!

 これで最後かと、リューリが絶望しかけた時。

「何故、退いてくれないんだ……君は、もう立ってさえいられないというのに」

 不意に、フレデリクが、そう言って俯いた。両腕をだらりと下げた姿勢からは、もはや戦意が感じられない。

 彼を守っていた「光球」も、溶けるように消滅した。

「さっきも言った通り……大事なものを守る為だ……」

 思いもしない状況に驚きながら、リューリは荒い息の中で言った。

「リューリちゃん……!」

 もう我慢できないという様子で駆け寄ったアデーレが、リューリを庇うように立ちはだかった。

「ありがとう、アデーレ。大丈夫、フレデリクは戦意を失っている。すまないが、彼の近くまで連れて行ってくれないか。さすがに疲れてしまった」

 リューリが言うと、アデーレは驚いた顔をしつつも彼女を抱き上げ、慎重な足取りでフレデリクに近付いた。

 近付いてくるリューリの姿を目にして、フレデリクは、力なく地面に両膝をついた。

「……私に、君を殺すことなどできない」

 彼が、呻くように言った。

「――あなたは、呪文を詠唱しながら、ずっと泣いているように見えた」

 アデーレの腕から地面に下ろしてもらったリューリは、そう言ってフレデリクの顔を見た。

「だが、それでは駄目なんだ。私が奴らに従わなければ、娘がどうなるか……一体、どうすれば……」

 うずくまり、絞り出すように呟くフレデリクの肩が、時折、小さく震えている。

「あのエヴァルトとかいう奴と違って、あなたには、何か訳があるのだな。何が問題なのか、聞かせて欲しい。ジークたちも、力になってくれると思う」

 リューリの言葉に、フレデリクは顏を上げたものの、今にも泣きだしそうな表情で首を横に振った。

「私は、どのような理由であれ、君たちを殺そうとしたんだ。許される筈がない」

「リューリちゃんに免じて、お話だけでも聞かせていただきましょうか」

 頭上から降ってきたローザの声に、リューリは振り向いた。

 ローザを先頭に、いつの間にかジークとウルリヒ、そして冒険者の若者たちが、リューリを囲んでいた。

「『山猫組』のアジトで会った時、あんたは我々を見逃したんだろう? 借りが一つあるということで、返さなければならんな」

 ジークが、肩を竦めて言った。

 そこへ、黒装束をまとった「御庭番衆おにわばんしゅう」の一人が現れた。

「ジーク様、倉庫の地下で、捕らえられていた人たちを発見しました」

「ご苦労だった」

 部下をねぎらうジークに、リューリは問いかけた。

「もしかして、我々が敵を外に誘い出している間に、『御庭番衆おにわばんしゅう』が倉庫の中を調べていたのか?」

「ああ。そのほうが、彼らも仕事がしやすいと思ってな。だが今回は、リューリちゃんに負担をかけてしまって、申し訳なかった……俺の見通しが甘すぎたと言うほかない」

 ジークが、すまなそうに詫びた。

「何とかなったし、問題ないさ」

 リューリは、そんな彼に微笑みかけた。

「それがですね……」

 黒装束の男が、困った様子で口を開いた。

「被害者たちは、生きてはいると思われるのですが、気付け薬にも、軽い痛み刺激を与えても反応がなく、全員が眠っているような状態なのです」

 その言葉を聞いたフレデリクが、ゆっくりと立ち上がった。

「彼らには、ある魔法をかけてあるのです。私が解除しますから、一緒に来てください」

 リューリたちは、フレデリクの案内で倉庫の地下にあたる隠し部屋に入った。

 部屋の床には、十数人ほどの若い男女が寝かされている。

 一見、彼らは眠っているようにも見えるが、リューリは何とも言えない違和感を覚えた。

「カイル! ドロシー!」

 一緒に来ていた冒険者の若者たちが、並んで横たわる一組の男女のもとへ駆け寄った。一人は革鎧かわよろいを身に着けた若い男、もう一人は魔術師風のローブをまとった若い女だ。

 どうやら、彼らが探していた仲間らしい。

「ど、どうなってるんだよ?!」

 肩を揺さぶっても一向に目を覚まさない仲間の姿に、冒険者たちが焦りの表情を見せる。

「心配ありません。すみませんが、どいてもらえますか」

 フレデリクが、横たわる二人の傍に屈み込んで、それぞれに呪文を唱えた。

 すると、二人は小さく呻いて目を開けた。

「いきなり頭を殴られた気がしたんだが……」

「……み、みんな、どうしたの?」

 身を起こし、不思議そうに辺りを見回すカイルとドロシーに、仲間の冒険者たちが抱きついた。

「のん気なつらしやがって! お前ら、大変な状況だったんだぞ!」

「よかった……無事でよかった……」 

 彼らが泣いたり喜んだりしているのを横目に、フレデリクは、残りの被害者たちにかけられた魔法も、次々と解除していった。

「彼らは、一体どういう状態だったんだ?」

 被害者たち全員の魔法を解除し終えたフレデリクに、リューリは尋ねた。

「『時間遅滞』の呪文を応用したものだよ。捕らえた人たちの生命維持にかかる費用をなくす為、彼らを眠らせた後、『時間の経過』を極端に遅延させた状態にしておいたんだ。この場合だと、長くて三ヶ月は飲まず食わずで『保存』が可能になる。呪文を発動させるのに、それなりの手間はかかるけどね」

「それは、凄い技術だな……通常の『時間遅滞』の呪文は、戦闘の際などに、ごく短時間だけ相手の動きを遅くさせるといった使い方をするものだが、月単位で効果を継続させるとは」

「それにしても、リューリちゃんは子供とは思えない知識と技術を持っているね。私には、君のほうが不思議だよ」

「ああ……後で、説明するよ」

 リューリは、驚きを隠せないでいるフレデリクに、苦笑いした。

 と、少し離れたところで、ジークが冒険者たちに声をかけている。

「君たち、ちょいと、いいか?」

「な、何でしょう」

 ジークとローザが王族であることが分かった為か、冒険者たちは、緊張した面持ちで答えた。

「俺の部下が関係当局への連絡を済ませたから、もうすぐ被害者たちも保護されるだろう。その際、状況の説明を君たちに任せたいのだが、頼まれてくれるだろうか。我々は、ややこしい事情があって、ここに留まっていられないんだ」

 冒険者たちは驚いた様子で互いに顔を見合わせていたが、まとめ役らしい男が口を開いた。

「わ、分かりました。そうですよね、身分を隠して世直しに歩いていらっしゃるんですよね。表で言えないことも、ありますよね」

 彼の言葉に、仲間たちも納得したのか、そうか! と何度も頷いている。

「俺たちが依頼で捜索していた人も、ここで見つかりましたけど、他にも捜索中だった人が何人もいて……冒険者組合や家族から報奨金や礼金が出ますよ。それは、いいんですか」

 別の冒険者が、はっとした顔で言った。

「それは、あなたたちの手柄ということで、いいのではないでしょうか。不要であれば、慈善事業にでも寄付する道もありますよ」

 ローザが、穏やかな笑顔を見せた。

「あ、あの、ローザリンデ様、お、お願いがあります」

 ドロシーと呼ばれていた魔術師の女性が、頬を染めながら唐突に言った。

「あら、何でしょう?」

「あ、握手……していただけませんでしょうか……従兄弟いとこが子供の頃、外遊されていたローザリンデ様に頭を撫でてもらったことがあるって、いつも自慢していたのが羨ましくて……」

「そんなことで良ければ……」

 快く握手に応じているローザに、仲間の冒険者たちがわれわれもと群がった。

「ローザ、本当に凄い人気だな」

「そうだろう? 自慢の奥さんだよ」

 臆面もなく言うジークを見て、リューリも思わず笑いを漏らした。

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