第30話 退けぬ理由がある

「魔法探知で探られてるのを分かってるのに、何の用意もしないで出てくる訳がねぇだろ? あらかじめ爆炎の呪文を唱えてあったんだよ……って、もう消し炭になって聞こえないか~ぎゃはは!」

 炎の名残である黒煙の向こうから、エヴァルトの下品な笑い声が聞こえてくる。

 ――防御壁の展開が間に合ったか……? いや、どう考えても、呪文の詠唱時間を考えれば私が遅れを取ったのは否めない筈……何故、我々は無事なんだ?

 リューリは、目を凝らして周囲を見渡した。

 淡く輝く光の壁に、リューリたちは包まれていた。それは、昏倒させられ地面に累々と横たわる破落戸ごろつきたちをも覆っている。

 やがて、一陣の風が、立ち込めていた黒煙を運び去った。

 露わになったリューリたち一行の姿を目にして、エヴァルトが驚愕の表情を浮かべた。

「な、何で生きてやがるんだ……?」

「あなたは、見たことがなかったようですね。私の力の一つ、『守りの壁』です」

 ローザが言うと同時に、光の壁が消えた。

「疲れるので、あまり使いたくはないのですが……どうやら、切り札は使い切ったようですね」

 ――ハルモニエ王家の者に時折発現するという、ローザの「力」は、「癒し」だけではなかったのか。呪文の詠唱が必要ないから、間に合ったということだな。

 リューリも、驚きと共にローザを見上げた。

「黙れ!」

 絶対だと思った策が無駄になり、苛立った様子のエヴァルトが呪文を唱えた。

 彼のてのひらから湧き出た巨大な火球が唸りを上げ、リューリたちに向かって襲いかかる。

 同時に、リューリも呪文を唱えた。

 リューリたちを飲み込むかに見えた火球は不可視の壁に当たり、跳ね返るように、そのままの勢いでエヴァルトのほうへ向かっていく。

「バカなぁぁぁぁぁ!」

 自らがはなった火球に飲まれ、エヴァルトは瞬く間に消し炭と化した。

「魔法反射の呪文か! 僕は、咄嗟に動けなかった……まだまだだな」

 ウルリヒが感心した様子で言った。

「助かりました……『守りの壁』は連続で使うと、正直辛いですからね」

 言って、ローザがリューリの頭を撫でたかと思うと、その身体が、ぐらりとかしいだ。

「ローザ!」

 素早く駆け寄ったジークが、彼女の身体を支えた。

「……歳は取りたくないものですね」

 照れたように微笑むローザを、ジークは横抱きにした。

「無理をさせてしまって、すまない。少し、油断していたな」

「あら、私だって、たまには活躍したいですよ?」

 眉尻を下げるジークの頬に、そっと触れながらローザが言った。

 その時、フレデリクが一歩前へ踏み出し、小さく何かの呪文を唱えた。

 すると、彼の周囲に、人の頭ほどの大きさをした幾つかの光球が現れた。

 光球は動くこともなく、ふわふわとフレデリクの周囲を漂っている。

 しかし、その正体をリューリは知っていた。

「あの光球に近付くな」

 リューリは、ジークたちに注意を促した。

「あれは、人でも物でも射程内に入ったものを感知して、自動的に破壊光線を発射してくる……彼は、非常に高い技量を持つ魔術師だ」

 エヴァルトは「使い走り」扱いしていたが、単にフレデリクの腕をあなどっていたのだろう――リューリは、先刻よりも緊張していた。

「攻撃と防御を兼ねている……投擲とうてきも無駄ということか」

 厳しい顔で、ジークが頷いた。 

「投降してくれ。あなたとは戦いたくない」

 リューリも一歩踏み出すと、フレデリクに呼びかけた。

「君こそ、子供のくせに何故このような場にいるんだ? 子供は子供らしくするものだ。私が、こうしているうちに、全て忘れて親の元に帰りなさい。……我々は、組織に敵対する者を抹殺しなければならないんだ」

 フレデリクは無表情に答えたが、その声には、悲しみとかすかな怒りが滲んでいた。

「私に、帰るべき親元などない」

 リューリが言うと、フレデリクの顏に僅かだが驚きの色が浮かんだ。

「私の居場所は、ジークたちの傍だ。あなたが彼らに害をなすのであれば、私は何もせずにいる訳にはいかない」

「リューリちゃん……」

 ジークたちが、リューリを見つめた。

「みんなは下がっていてくれ。今の彼に接近戦を挑むのは危険だ」

 リューリの言葉に、剣を構えているアデーレが、ぎりりと歯を食いしばった。

「僕も加勢するよ!」

 そう言ってスタッフを構えたウルリヒが、はっとした表情で口元を押さえた。

 ぱくぱくと口を動かしているものの、声が出ない様子だ。

「少し黙っていてください」

 フレデリクが低い声で言った。

 ――音を消す呪文……本来は広範囲に効果を及ぼす呪文を、これ程に対象を絞って、しかも離れた位置で発動できるとは! 派手さはない静かな戦術だが、さっきのエヴァルトなどよりも、遥かに厄介だ……

 ウルリヒの呪文は封じられ、ローザにも、これ以上無理をさせる訳にはいかない。近接戦闘を得意とするジークやアデーレも、今の状態では動けない――覚悟を決めたリューリは早口に呪文を唱え、魔法攻撃を防ぐ防御壁を展開した。

 直後に、フレデリクのはなった破壊光線が防御壁に当たり、減衰して散った。

 それを切っ掛けに、二人の魔術師の攻防の幕が切って落とされた。

 迫りくる火球を氷の槍で相殺し、降り注ぐいかづちを魔法の防御壁で散らす――間髪を入れず繰り広げられる魔法の応酬。

 それは、他の誰も立ち入ることなどできない空間を作り出していた。

 魔法封じの呪文で周辺の「魔素」を動かない状態にする、或いは先刻フレデリクが行ったように音を消す呪文を使って詠唱を無効にするという戦術も考えられなくはなかったものの、間断なく襲い来る攻撃魔法を前に、リューリでさえ、そのような余裕はなかった。

 ――呪文の速射性そして威力そのものも高い……まるで、師匠と「手合わせ」をしていた時のようだ……!

 そして、リューリは重大なことに気付いた。

 幼児の身体は、当然ではあるが耐久力で劣る。

 秒単位で相手の戦術を予測し対処しなければならない、魔法による連続戦闘は、成人にとっても過酷なものだ。

 まして幼児では、推して知るべしである。

 既に息が上がり、早鐘の如く鼓動する心臓は悲鳴を上げている――それでも、リューリは逃げることなど考えていなかった。

 ――自分が退けば、フレデリクの攻撃がジークたちに向く……だが、このままでは、いずれ私の体力が尽きてしまう……何とかしなければ……

 しかし、精神よりも先に、彼女の身体が限界を迎えつつあった。

 立っていられなくなり、地面に片膝を突きながらも、リューリは呪文を唱えた。

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