第18話 幸せを望む権利

「おお、お前たち、先に着いていたか」

 リューリたちの姿に気付いたジークが、手を振った。

「その方は?」

 アデーレが、ジークとローザに支えられるようにして歩いていた女に目をやった。

 まだニ十歳にも達していないと思われる若い女だが、その栗色の長い髪はつやがなく、ぼさぼさと乱れている。頬に赤味が差して微笑んだなら魅力的に見えるだろう、可愛らしい面立ちではあるものの、その顔には生活の疲れが色濃く滲んでいた。

破落戸ごろつきに襲われていたところを助けたんだ」

 アデーレの問いかけに、ジークが答えた。

「私の力で傷は治しましたが、何か事情があるらしいので、お話を聞こうかと……」

 ローザが言いかけた時、女の身体が、ぐらりとかしいだ。

 倒れかけた女を素早く抱えたジークが、血の気のない彼女の顔を見て、眉根を寄せた。

「思ったよりも、弱っているようだ。とりあえず、宿の我々の部屋に運ぼう」

 彼の提案に反対する者は無く、一同は、宿屋へと入った。

 宿泊部屋のベッドに女性を寝かせると、リューリたちは彼女の様子を見守った。

 ――私のことを見過ごせずに保護するような人たちだ。この女のことも放っておけなかったのだろう。

 リューリがジークとローザの顔を見上げると、二人は優しく微笑んだ。

 少し経つと、女は薄らと目を開けた。

 宿に頼んで持ってきてもらった温かいスープを飲ませると、彼女は少し人心地が付いた様子だった。どうやら、かなり空腹だったらしい。 

 イレーネと名乗った女は怯えた様子を見せていたものの、リューリたちに害意がないのを認めたのか、自身について、ぽつぽつと話し始めた。

「……私は早くに両親を亡くして、親類の家で育ちました。何日か前のことですが、借金取りが家に来て、私は無理やり連れ出されたんです」 

「借金のカタというやつか。その親類に売られてしまったのか?」

 話を聞いていたジークの顏が、少し険しくなった。

「親類は商売をしていたけど、最近は上手くいっていないという話でした。それで、一度に沢山のお金を借りられる高利貸しの人から借金したらしくて……私は手伝いで下働きをしてたのですが、借金を返すよりは安く済むと思われたんでしょうね」

 イレーネの、悲しむでも怒るでもない淡々とした表情に、リューリは自身と通じるものを感じて、胸の奥が痛んだ。

 ――彼女も、前世の記憶が戻る前の私と同じだ。自分がないがしろにされても、それを当然だと思い込んで、諦めてしまっている……

「借金取りは、私を、ある『店』に連れて行きました。そこには、私と似た境遇の女の子たちが集められていて……お客の男の人にお酌をするのが仕事と言われたけど、お客は、お金を払えば気に入った女の子を連れ出して好きにできるとかで……」

 そこまで聞いたローザが、はっとした様子で言った。

「そこから先は言わなくても分かります。さぞ辛かったでしょう……」

 リューリにも、イレーネが連れていかれた「店」が、どのような場所なのかは見当がついた。

「私、そうなる前に逃げ出したんです。途中で追手に捕まって殴られていたところを、あなたたちに助けてもらって……」

 イレーネが、そう言ってジークとローザに目をやった。

「『そういう店』も必要なものではあるかもしれんが、強制的に連れてきた女性を使役するというのは、いただけないな。この国にも、そういった連中を取り締まる法くらいはあるだろうが……」

 そう言ったジークの表情は、一見穏やかではあった。だが、リューリは、彼の目に憤りの色が浮かんでいるのを見て取った。

「この街の裏社会は、『山猫組』という人たちが牛耳ぎゅうじっているという噂です。市長や警察にも賄賂を渡して何も言えなくしてるって……噂ですけど」

 少し自信なさげに言うと、イレーネは俯いた。

「まったく、けしからんな。住民たちの為に働くべき者たちが、そんなていたらくとは」

「でも、裏社会の者が表の政治も動かしているって、割と頻繁に聞く話だよね。ハルモニエは治安が良いほうなんだよ」

 憤慨した様子のアデーレをなだめるように、ウルリヒが言った。

「……それと、逃げ出したのは、もう一つの話を聞いて怖くなったのもあります」

 再び、イレーネが口を開いた。

「もう一つとは?」

 ローザが問いかけると、イレーネは少し逡巡しゅんじゅんする様子を見せた後、絞り出すように言った。

「『店』の人たちが、『山猫組』が作った『飲めば幾らでも働ける薬』を私たちに飲ませるって……そうすれば、今までよりも客を取らせて儲けられるって……」

 ――間違いなく麻薬のたぐい……薬漬けにして逃げ出せなくするということか。本当に、腐った連中だな。おそらく、「薬」の使い道は、それだけではないだろう……

 「店」の者たちのおぞましい考えに、リューリも全身が総毛立つ思いだった。

「……ジーク様、ローザ様、お二人のことですし、このままにはしておけないとお考えなのでしょう?」

 ウルリヒの問いかけに、ジークとローザは頷いた。

「私から、この国の元首に書状を送って現状を知らせたく思います。その為には、裏を取る必要がありますね」

「ローザ……君、何だか楽しそうだな」

 今にも動き出しそうなローザを見て、ジークが苦笑いした。

「だって、昔、貴方あなたと冒険していた頃が思い出されて……冒険者組合からの依頼で潜入捜査をしたりとか」

「現場は俺の部下たちに任せて、君は無茶しないでくれよ」

 まるで楽しい計画を立てているかのようなジークとローザを眺めながら、リューリは、くすりと笑った。

 帰る場所のないイレーネについては、ローザから、ハルモニエに送って信頼できる人物に預けるという提案がされた。

「向こうまでは、俺の部下の『御庭番衆おにわばんしゅう』に送らせるから、心配ないぞ。一騎当千と言われるまで鍛え上げた連中だ」

 ジークが、そう言って微笑んだ。

「あの……お心遣いは大変ありがたいのですが……どうして、私などに、そこまでしてくださるのですか? あなたたちは、一体……」

 自分についての話し合いが目の前で行われている様に戸惑ったのか、イレーネが震える声で言った。

「私たちも、全ての人間を救うことなどできません。けれど、手の届く範囲にいる人だけでも、助けられるなら助けたいというだけですよ」

 ローザが、両手でイレーネの手を包み込むように握った。

ないがしろにされるのを当たり前だなんて思う必要はないぞ」

 リューリは、そう言ってイレーネの顔を見上げた。   

「以前は私も、自分は粗末にされて当然の存在だと思い込まされていた。でも、彼らに会って、そんなことはないと学習した。君にも、幸せを望む権利はあるんだ」

 イレーネは、少しの間、驚いたようにリューリを見つめていたが、やがて緊張が解けたように微笑んだ。

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