第二章 第十一話
『はい、どーも。エキサイティングサーチのゆげ、と』
『しゅん、と』
『だいすけ、と』
『けん、だ』
スマホ画面の向こう側では、エキサのメンバー四人が決めポーズをした。四人の後ろには父さんのラーメン屋が映っている。まるで編集で背景に合成したような感覚に襲われた。幼い頃から何度も見た父さんのラーメン屋の前に今を時めく動画投稿グループのエキサがいるんだ。
違和感しかない。
『それで?ここは一体どこなんですか?ゆげさん』
一番左にいるしゅんが後ろに手を差し出しながら、ゆげの顔とこちらを交互に見て言った。
『ここは俺が紹介したいラーメン屋、石井麺屋ですよ。こだわりの豚骨ラーメンを食べることができるんですよ。何度も通ったくらいですよ』
ゆげが熱弁し、他のメンバーが『ほほう』といった顔で感心している。
『今回は特別に許可をいただいて、開店前に我々だけ入れるので、早速入っていきましょう』
というゆげの案内で、四人が父さんのラーメン屋に入っていく。ラーメン屋のドアを開けると、映像越しなのに油の焦げたような臭いが鼻をくすぐった気がした。
『いらっしゃいませぇー!!』
『らっしゃいませー!!』
厨房の奥から顔を出している父さんと颯太の叫び声が聞こえてきた。はっきりと見えないが、明らかに緊張していることだけはわかる。
そして、父さんだけが厨房から出てきた。顔の筋肉が強張っている、やはり緊張しているのだろう。
『本日はわざわざ開店前なのにご用意いただいてありがとうございます』
『いえいえー!!』
父さんが必要以上の大声で答えた。ゆげ以外の三人のメンバーの顔が引きつっているのがわかる。
やめてくれ。親が滑っているところを見ると、羞恥心で死にたくなる。
『では、こちらのテーブル席にどうぞ』
父さんの案内で、エキサの四人が移動して、テーブル席に腰をかけた。その間、軽快な音楽が流れる。
もう動画を観るのを辞めようか、と思っていると、ゆげが注文を終えた後、真剣な表情で語り始めた。
『最近行けてなかったんだよな。ここのラーメン屋』
ゆげが視線を下げている。そして、『だけど』と繋げた。
『最近思い出したんだ。小学生の時に一度だけ食べたことがあって、めっちゃ美味かったんだよなぁって。中学、高校の時にはあまり食べに行けなかったんだけどな。それに小学三年の時に、当時の俺と同じくらいの小学生の子がラーメン屋を手伝っていて、心底をすごいって思った覚えがあるんだ。だから、久しぶりに食べにきたくなったんだ』
同じくらいの小学生の子?ゆげが小学三年の時だから、俺ももちろん小学三年生の時だ。だから颯太はまだ幼稚園生だったから、店を手伝えるわけがない。
ということは俺?俺が店を手伝っていたのか?
『それはうちの長男ですよ』
カメラの画角がいきなり変わると、そこには父さんが立っていた。そして、手には水と氷が入った四つのコップをおぼんを抱えていた。そして、一つ一つ丁寧にコップをテーブルの上に置いて行く。
『小四まで手伝ってくれていましたからね。俺が頼んでもいないのに、こうやってお客さんのところまで水を運んだり、テーブルの片づけをしてくれましてね』
そうだ。少しだけ思い出した。確かに父さんの言う通り、幼い頃の俺は父さんのラーメン屋を手伝っていた。
だが、小四くらいの時期に母さんががんを患い、俺は入院している母さんの元へと通うようになった。
『それは可愛い息子さんですね。今、お手伝いされている方も息子さんですよね』
『ああ、そうです。次男なんですけどね』
父さんは母さんが入院してから、更にラーメン屋の営業に力を入れるようになった。
きっと母さんの入院費と俺と颯太の養育費を稼ぐためであった。冷静に今思い返してみると、そうだったのだと思う。
だけど、俺はそれが許せなかった。母さんが入院しているというのに、父さんはほとんど母さんの元に訪れず、仕事ばかりに力を入れている。
家族のことよりも、仕事のこと。
母さんのことよりも、ラーメンのこと。
当時の俺はそう考えてしまった。
そして、母さんは死に際に父さんの顔を見ることなく、亡くなってしまった。父さんが来たのは母さんが亡くなってから三十分後だった。
焦げた油で汚れた調理服を着たまま、父さんは担当医から説明を聞き、茫然と立ち尽くしていた。だけど、俺はそんな父さんの表情なんか見ずに、ひたすらにこう叫んでいたと思う。
「ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな。なんでこんな時まで、仕事なんだよ!」
俺は父さんの膨れた腹に何度も頭突きをした。
何度も。何度も。何度も。何度も何度も何度も何度も。
それを繰り返すたびに、焦げた油の臭いがした。
全部。全部。忘れたくて、記憶の奥底にしまっていた。母さんが亡くなったという事実と、焦げた油の臭いが嫌いということ以外を。
俺は思わず、動画の再生を止めて、駆け出していた。一階に父さんの元に。
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