第二章 第七話
家のドアを開けると、今朝感じた油の焦げた臭いが漂ってきた。今朝、父さんと颯太が試作品の臭いがまだ家の外に出て行っていないのだろう。だが、今朝に比べればまだマシだ。
俺はスーツに油の臭いが付かないように早歩きで廊下を駆け抜け、二階にある自分の部屋に入り込んだ。そして、ハンガーにスーツのジャケットとパンツをかけて、消臭スプレーをかけた。
今度、いつスーツを使うかわからないからこそ、臭いに関しては取れる時に取っておきたい。
俺は上下スウェットに着替えた後、ハンガーにかけたスーツをクローゼットの中に入れた。本当なら消臭スプレーで湿ってしまったところが乾いてから、クローゼットに仕舞うべきだが、そんな悠長なことをしていたら、油の臭いが付いてしまう。俺の部屋にまで油の臭いが届いているのだから。
ふぅ、と一息を吐き、キッチンに向かった。
今、父さんと颯太は店にいるはずだから、ダイニングキッチンで料理はしていないはず。俺は海藻サラダでも食べるか、と思いながら、ダイニングキッチンのドアを開けると、長いテーブルの席に腰をかけてパソコンの画面を見ていた颯太が顔を上げた。
「お、兄貴お帰り」
誰もいないと思っていたため、ダイニングキッチンの中に入る足を一瞬だけ止めてしまった。
颯太が長テーブルでパソコンを操作している。珍しいなと思いながら、俺は「おう、ただいま」とだけ言い、キッチンへと向かった。
冷蔵庫からパックに入ったわかめ入りのサラダを取り出し、小皿に中身を出していると、颯太が何故かこちらを見て、ニヤリと笑っていた。
「なんだよ。こっち見てニヤニヤしやがって」
「いやぁさ。聞いてよ、兄貴。エキサっていう動画投稿グループ知ってる?」
「知ってるも何もリーダーのゆげが中学の同級生だからな」
俺はキッチンの棚から箸を取り出し、サラダを口に運びながら答えた。だが、同級生とはいえ、関係値が低すぎるため、「あんまり仲良くなかったけど」と付け足した。
「そのエキサからうちの店に撮影依頼の電話が届いたんだよ。『メンバーのおすすめのラーメン屋を紹介しよう』という企画内容で」
颯太の言葉を聞いた途端、季節はもう夏に入ろうとしているのに、体が急に冷えた気がした。
「まじで?」
「まじで」
「依頼受けたの?」
「当たり前だろ」
颯太はそういうと、再びパソコンの画面に目をやった。後ろに回り込んで見てると、エキサの動画を視聴している。
パソコンの画面上では、エキサのメンバーが訪れた店で、店員と和気藹々と話している。
エキサが俺の父さんの店に来る。つまり、この画面上に父さんと颯太、父さんのラーメンが映し出され、ネットの海に晒される。
嬉しいような。
恐ろしいような。
二つの感情が俺の頭の中で渦を巻く。
颯太は純粋に喜んでいるようだが、わかっていない。
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