第一章 第五話

「うわ、なにこれ。めっちゃ混んでいるじゃん」


 美由が顔を引き攣らせた。

 まだ通勤ラッシュが始まっていないであろう午後四時だというのに、電車のホーム内が大勢の人で埋め尽くされていた。だが、その中の大半が近くの高校の学生服を着ている。


「この時間だと高校生が帰り始める時間帯だからね。仕方ない」


「そうなんだけどさー」


 美由はちらりと騒いでいる男子高校生たちを見た。通勤ラッシュに巻き込まれた時に感じるたばこの臭いや加齢臭を彼らから放たれることはないだろうが、それでもなるべく触れたくない。

 くるりと沙希の方に向き直り、両腕を自分を守るような仕草をした。


「沙希ちゃん。人混みからしっかり私のこと守ってね」


 美由は両目がほぼ閉じている下手くそなウインクをした。そんなおかしなテンションを押さえ込むように手刀をゆっくりと美由の頭に下ろした。


「私はあんたのSPじゃないから。むしろ私が守ってほしいくらいだわ」


 もちろん美由にじゃないけど、と付け加えた。


「え、じゃあどんな人に守ってほしいの?」


 美由の直球の質問に沙希は顔を逸らした。沙希から返ってくる答えを美由はもうわかっている。このやりとりだって、もう既に何回かしている。

 だけど、沙希の赤くなった顔が見たくて、何回もいじわるな質問をしたくなってしまうのだ。


「もちろん爽やか系で私よりも身長が高いイケメン」


 その答えを聞くたびに美由は沙希の頭の位置を確かめるために顔を上げる。十八歳の女性の平均身長よりも高い美由と比べて、二回り高い沙希はきっと百八十センチを超えていることだろう。

 そんな彼女よりも背の高い爽やかイケメンはかなり限られてくるんじゃないかなぁ、と美由は毎回思っている。


「沙希ちゃんなら見つかるよ。きっと」


 顔が桜色に染まっている沙希の背中を撫でた。沙希は中学、高校と女子校に通っていたため、恋愛に関してかなり疎い。いつも強気な沙希が恋愛の話題の時だけに見せるギャップにいつも癒されている。

 両手で顔を隠している沙希を見ながら、美由はにんまりと口角を上げていると、沙希が急にキッとした表情を見せた。


「逆に美由は?」


 口を尖らせながら、沙希が美由に迫った。まだ顔がほんのり赤いが、表情はいつもの強気のものに戻っていた。

 いきなり話題が自分の話になったことに驚き、美由はじりりと半歩ほど後ずさりをした。だが、沙希はその半歩を詰めるように腰を曲げて、顔を近づけた。


「例の同級生の……。エキサのしゅんくんだっけ?」


「そ、そうだよ」


「その後、何か進展ないの?」


 さらに沙希は顔を近づけた。美由の顔と沙希の顔は握りこぶし一つ分しか空いていない。美由の目には沙希の薄桃色の肌と透き通った瞳しか映っていない。実際には触れていないが、体温を感じた気がして、美由の頬が熱を帯びた。


「何もないよ。高校の卒業式以来会ってないし」


 美由の言葉に沙希は「えーなにそれ」と呟いた。だが、美由は両の手でスマホを包み込むようにして、真剣な眼差しで前を見ている。

反対側に見えるホームに電車が到着したようで、ブレーキ音と共に少しずつ電車の速度を落としている。


「彼は普段、私なんかが届かないところにいる人だからね」


 沙希は美由の両手で抱えているスマホをじっと眺めた。そして、はっとした表情で口を抑えた。


「まさか空想の……」


「違う違う!!しゅんくんは実在する人物だよ!!」


 美由は慣れた手つきでスマホの画面を操作し、動画アプリを開き、エキサのチャンネルを開いた。そして、エキサの四人が映っているチャンネルのアイコンを画面いっぱいに映し、左から二番目の人物を指さした。


 「ほら!ほら!」と捲し立ててくる美由に、沙希はふふと笑いながら、美由の肩を押さえた。


「冗談、冗談だって。何度も美由のスマホから見ているから、空想なわけはないのは知っているって。それに前に美由としゅんくんが映っている卒業写真見たし」


 もう沙希は完全にいつも調子に戻っている。桃色になっていた肌もいつの間にかいつものようなシルクのような繊細な白になっている。


「でも、どうするの?もう関わりもほとんどないんでしょ?」


「うん。連絡先はあるけど、流石にいきなり連絡はしないよ。だけど、今度高三の時のクラスメイトで同窓会する予定なんだ。そこにしゅんくんも来る予定なんだ」


 美由の言葉に沙希は「おお、いいね!」とテンションを上げると、美由はこくりと頷いた。


「その時に仲良くなりたいって思っている。というか、絶対になりたい」


 美由がそう決意すると、沙希は「よく言った流石美由!!」と言って、美由に抱き着いた。

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