第8話未来へ掛かる投資

自棄っぱちな感情を晴らすように朝方まで配信をしていたっていうのに。

この晴れず曇りきったどす黒い感情をどの様に消滅させるべきか。

俺はそんな答えのない問を自らに課していた。


例え大人になってもネガティブやマイナスな感情と向き合い続けるのはストレスを感じること。

そこに大人も子供も関係はない。

同じ人間であるのだから同じ様にストレスや心に負荷を感じるものだ。


ただ大人になって上手いことそれと付き合うことが出来るようになっただけ。

上手に生きやすく自らの心と思考をアップデートした結果。

俺達大人は上手にやり過ごしたり見ないふりをしたり考えないようにすることが出来るようになっただけだ。


その問題に対して根本的な解決は難しいことなのだと。

いつしか悟ってしまい。

上手な付き合い方の術を習得したのだ。


けれど今回ばかりはその技を使うことも出来なさそうで。


何故ならば神田吹雪とライバルであり。

これから肩を並べて。

または追い越す存在になると決意しているのは俺ではなく。

剣であるからだ。


俺が自分自身のことであれば自らに誓うことは出来る。

相手がどの様な高い壁でも登りきって見せると。

更にその先に進んで見せると。


そこまで思考が周って。

俺はふっと冷静になる。



「アイツから逃げて向き合うことも辞めた俺が…どの口でほざくんだよ…」



情熱が一気に冷めていくような気配がして。

俺はとにかくこのままでは不味いと全力で頭を振った。


そして配信後もテーブルにかじりつくと剣の平日練習のメニューを一から考え直すのであった。






時間がこれほど早く流れると知ったのはいつからだっただろうか。


振り返ってみれば小学生の頃は一コマ45分の授業が果てしなく長く感じた気がしていた。

もちろん例外はあって。

当然体育の授業や給食の時間や休み時間は一瞬で過ぎ去っていく気がしていたが。


幼い頃から夢中で野球をしていた俺は。

休日のチーム練習の時間も平日の自主練の時間も。

あっという間に過ぎ去っていくと感じていた。


あぁ…と俺は微かに事の本質を理解するように。

今の俺もあの頃と同じかそれ以上に夢中になれるものに出会えたのだと。

眠気と葛藤している微かな意識の中で薄っすらと理解していたのだ。


どうにか剣の練習メニューを再構築した俺は保存のボタンを押す。

パソコンとモニターの電源を落とすこともなく。

スリープモードで勝手に暗転する設定を利用して。

部屋のベッドに倒れ込んだ。


本当に眠気の限界ギリギリだったのだろう。

最後の力を振り絞ってベッドまで移動して。


それ以外の余計な行動を取れば。

気絶するようにその場で眠りについてしまっていたのだろう。


だから俺は確かな充実感に包まれながら。

ベッドの上で泥のように眠りにつくのであった。






平日の学校で授業を受けることを億劫に思ってしまう自分が少しだけ嫌だった。

幾ら家で予習をしているとはいえ無駄に思ってしまう自分を軽く呪ってしまう。

楽しく思えるのは休み時間と体育の時間と給食の時間。


休み時間は捕手として打者としての思考力向上の時間に概ね当てていたし。

体育の時間はあらゆるスポーツや競技からヒントとなることを吸収することに努めていた。


給食の時間は体作り。

同級生の中で一番多く食べていたし。

確実に残す生徒がいくらか存在していて。

彼ら彼女らは残すことが確定している食べ物を俺の下へ運んできてくれていた。

俺はそれらを絶対に残すこと無く完食していて。


けれど何処にでもそういう光景を快く思わない人間は居て。


俺はジュニアチームで一緒にプレイしていた同級生や。

他のスポーツを習い事として習っている同級生に煙たがられていた。


確かに俺の意識や体型は彼らとは完全に異なる存在になっていて。

同級生とは思えない程の差が生まれていた。


けれど俺の目指すべき場所はここではないのだ。

この小さな箱庭で収まっている暇は無い。


だから彼らの相手はまるですることはなく。

どの様な悪意や嫉妬や僻み嫉みの感情にさらされてもノーダメージで日々を過ごすのであった。






本日も学校から帰ってくると母親が作ってくれた間食を頂く。

いつものようにお兄さんの家に向かうと報告すると。

母親は快く了承してくれて。

しかしながら本日は送っていけそうも無いようだった。


16時からスーパーのタイムセールがあるようで。

俺や父や自分の食事の為に安く大量にお目当ての物を買うそうだった。


かなり気合が入っていて15時30分には目的地であるスーパーで待機するんだとか。


俺は母親に感謝の言葉とエールを送って。

今日も逆井家に向かうのであった。






待ち合わせの時刻である15時丁度辺りに逆井家のチャイムを押して庭に案内される俺だったが。

いつもだったらお兄さんが対応してすぐに自主練の流れになるのだが。


本日チャイムに出て顔を出したのはお兄さんの母親でもなく。

お兄さんをもう少し大人にした様な見知らぬ男性だった。



「母からの話でしか聞いていなかったが。君が葉の教え子ってやつか?」



庭に通されて縁側に腰掛けるように言われると俺は言われるがままに腰掛けていた。

相手の男性は家の中から飲み物を持ってきて。

同じ様に隣に腰掛けると俺にも飲み物を手渡してくれる。



「はい。一応…そうなりますね」



答えを耳にした男性は珍しい光景を目にしたような表情を浮かべていた。

その表情の真相は理解できなかったが。

俺は何故か視線を外して室内の天井を見つめるように。

二階にいるであろうお兄さんのことを思っていた。



「あぁー。葉ならまだ寝てるな。今日は一度も起きていない。

約束があるっていうのに…アイツは…

本当に申し訳ないね。

約束を違えるようなやつではないんだ。

だから弟のことを見限ってやらないでくれ」



そこで俺は初めて目の前の男性がお兄さんの兄だと言うことを理解する。

なるほど…確かに顔つきがそっくりだ。

纏っている雰囲気も似たようなものがある。


けれど失礼を承知で言うと。

眼の前の男性のほうがしっかりもので威厳があるように思えてならなかった。


それは服装から抱いた印象か。

髪型か身体の大きさか背筋がピシッと真っ直ぐで常に良い姿勢を保っているからか。


それとも彼の持つあらゆる全てが。

彼にその様な印象を強く深くさせているのかもしれない。


俺は一つ頷いて手渡された飲み物に口をつけていると。

二階から階段をドタドタと慌てて降りてくる足音が聞こえてくる。



「じゃあ俺はここで失礼するよ。またいつか弟が居ない時にでも話そう」



そう言うとお兄さんの兄は足音も立てずに家の中に消えていく。


代わるようにお兄さんが慌てた表情でやってきて。

明らかに寝起きだと理解できる服装や髪型をしていた。



「すまん!昨日…あぁー…いや…言い訳はしない!寝坊した!申し訳ありません!」



お兄さんは深く頭を下げていて。

俺を子どもとして扱っていないようだと。

その瞬間に深く理解してしまう。


子どもの俺にでも深く頭を下げて丁寧に謝罪の言葉を口にする。


そこに恥ずかしさも躊躇いも戸惑いも抵抗もなく。

純粋に相手に誠意を見せるように。

しっかりと謝罪をしていたのだ。


まるで大人同士のやり取りのように。

俺はこの時…小学一年生だったというのに。



もしかしたらこの事がきっかけで。

俺はお兄さんを完全に信用して信頼しきったのだろう。

お兄さんの人間的な魅力に魅了されたと言っても過言ではない。


俺は柔和な笑みを浮かべて冗談を口にしていた。



「顔ぐらい洗ってきたらどうですか?それと寝癖も凄いです」



俺の冗談を理解したのか。

お兄さんは下手くそな笑みを浮かべると一度洗面所に向かうのであった。





身支度を整えたお兄さんは改めて庭にやって来る。


そして少しだけ気まずそうな表情を浮かべながら。

それでも意を決するようにして口を開いた。



「神田吹雪の動画と記事を見たよ。あれはとんでもないバケモンだ。

現時点から世代最強選手という事実が更に末恐ろしい所で。


これからバケモン級な選手に成長していくんじゃない。

今の段階でもうそういう存在なんだ。


これから先…あれはどの様な進化を果たすのだろうか。

恐くもあり楽しみでもある。

ライバル視している剣は内心穏やかじゃないだろうが…


そんなわけで今日から自主練メニューを新たなものにしようと思う。

まずはコイツから始めようぜ」



お兄さんは最後の方の言葉を得意げに口にして。

縁側に置いておいた段ボールを乱暴に開ける。

そしてそこから取り出した一本の木製バットを手にして。



「マスコットバットだ。それと重り。

高校野球の硬式バットをどうにか振れるお前になら。

コイツも近い内に扱えるようになるだろう。


けれど最初は確実にバットに振らされて振られる。

徐々に重さに慣れていって…

今の内からしっかりとスイングスピードを上げておこう。


だけどフォームは崩さないようにな。

重すぎると感じたら別のバットを使用するんだ。


折角きれいなフォームなのに。

そいつが崩れたら最悪だ。

それに崩れてしまったフォームを修正するのは思いの外にも時間が掛かるし難しい。


だから常に普段通りのフォームを意識して。

でも出来たら普段の素振りはコイツでして欲しい。

重たいバットに慣れておくのに損はないからな。


ただしつこいかもしれないが何度も言う。

一番はフォーム重視だぞ?

がむしゃらに重たいバットを振り続けるのが正解だとは思わない。

一回一回の素振りでそのことを深く意識してくれ。


注文が多くかなり大変だと思うが…やれるか?」



お兄さんは挑戦的な笑みを浮かべて。

俺にバットを託すように自らの胸の前で両手に持って構えていた。

俺は決意の固い表情を浮かべて一つ頷く。


お兄さんはそれをしっかりと受け取ると。

俺に新品のマスコットバットと重りを手渡してきて。

再度段ボールの中を漁るとバットケースまで渡してきてくれる。



「えっと…これは新品だと思うんですが…どうしたんですか…?」



「ん?もちろんプレゼントだ。

俺達の関係に上下が生まれてしまうと思うのであれば。

俺からの投資だと思ってくれ。


いつか最高なプレイや偉大な記録で返してくれよ。


もう受け取ったんだから返品は出来ねぇからな。


よし!じゃあ今日も練習すっぞ!

何からする?

やっぱり捕球練習からか?」



お兄さんの太陽のように明るいカラッとした陽気な態度で。

俺は後ろめたさなど感じることもなく。



「まずは捕球練習からが良いです!その後は素振りを見てくださいよ!

早速このバットで素振りがしたいです!」



俺の対応が心地よかったのか。

お兄さんは気持ちの良い笑顔を浮かべていて。



「よっしゃ!じゃあすぐにやろうぜ!」



お兄さんは俺に変わらぬ態度で接し続けて。

俺達は本日も庭で二人だけの平日特訓に明け暮れるのであった。




もちろん家の中では葉の兄がその光景を目にして。

微笑ましく薄っすらと笑みを浮かべていたことを俺達は知らない。




次回へ…!

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