第6話自らで成長の妨げをするな!
「思った以上に変化しない球を失投と呼ぶ場合がある。
失投を我先に気付くのは投手自身だろう。
その次に気付くのは打者と捕手。
多分だが殆ど同じタイミングで気付くことになる。
シニアリーグに進めば失投を確実に捉えてくる打者ばかりだ。
狙い球や狙ったコース。
特にシニアリーグ辺りからしっかりと配球やリードを読み取って打席に入るバッターが増えてくる。
相手の捕手の思考や投手が投げたがっている球を察知して理解するようになる。
それがしっかりとした思考で相手のパターンを読んでくる打者もいれば。
殆ど直感のような本能で察する打者もいるんだ。
どちらの打者も優れた好打者と言って差し支えないだろう。
そんな好打者が失投を見逃してくれるわけもなく。
確実に捉えてくるのは間違いない。
そんな失投を防ぐためにはどうすれば良いと思う?
経験が無いと思うが考えてみろ」
本日の夕方もいつもの場所で投球練習をしている俺とお兄さんだった。
どうにかカーブ系の変化球を逸らすこと無く捕球できるようになっていた。
そんな一瞬の俺の心の驕りを感じ取ったのか。
お兄さんは険しい表情を浮かべる訳では無いが。
しかしながら俺の慢心を遠回しに指摘するような言葉を投げかけてくる。
ここで成長の限界を迎えるな。
と、まだまだ先は長く伸び代も余白も十分にあるのだと。
現状に満足するな。
と、それを気付かせるような厳しい言葉が俺の鼓膜を通して脳内に直接飛び込んでくるようだった。
「失投ですか。聞いたことのある単語ですが…投手の不注意では?
それを捕手が事前に阻止出来ると言うんですか?
そんなことって…」
無い。と言いたかったのだが…
それよりも先にお兄さんが口を開いて割り込まれる。
「無いよな。もちろん無いだろう。しかしそれはプレイ中に限ってはの話だ。
試合前の事前の打ち合わせや意識や思考の擦り合わせ。
バッテリーが一心同体って言われていたり捕手が女房役と言われる理由を考えたことがあるか?
投手という生き物の生態を深く理解しようと思ったことは?
捕手が扇の要と言われる意味を考えたことはあるか?」
矢継ぎ早に質問を繰り広げてくるお兄さんに面食らってしまう俺だった。
とにかく何かを答えようとして。
それでも俺の中に持ち合わせる答えがまるで無いことにかなりのショックを覚えていた。
自分自身に対して失望するようなショックを覚えていたのだ。
それが表情に表れていたのか。
お兄さんは下手くそな笑みを浮かべて改めて指摘をしてくる。
「慢心するには早いんだぜ?一球種を捕球できるようになっただけなんだ。
次は似通っているけれど確かに別の変化球に挑戦だ。
スライダー系統を体験してもらう。
俺が投げれるのはスライダーとHスライダー。
それとこれはスライダーと言い切れないが。
少年野球の投手でもいるだろ?
真っ直ぐを投げているつもりでもスライダーの様に微量に変化をする球を。
真っスラなんて言い方もあるが。
とにかく体験してみろ。
残念なことにスイーパーのような超変化するスライダー系統の球は投げられないんだが…
とにかく一球ずつキャッチングしてみろ。
さぁ早速構え直すんだ」
お兄さんの不敵な笑みを受けて。
俺は何かしらの挑戦状を受け取る形でマスクを被り直すと定位置で構えを取るのであった。
そこから得意げにスライダー系統の変化球を投げるお兄さん。
純粋なスライダーに分類されるであろうそれであっても。
俺はまるで捕球が出来ないでいた。
何処か違和感を覚えている俺だった。
カーブの時も明らかにキレのある変化球だと思ったが。
スライダーの鋭角さはカーブの時よりも増しているような気がしていたのだ。
俺の疑問に思う表情を読み取ったのか。
お兄さんは得意げに口を開いていく。
「スライダーは得意な方なんだ。カーブよりも手元で一気にキレ良く変化するだろ?
これに加えて打席に打者が立つと想像してみろ。
打者は打席で黙って突っ立っていてくれないぜ?
当然打つためにバットを振ってくる。
ランナーがいる場面でも当たり前のようにバットを振ってくるぜ?
その時のことをもっと深く想像してみろ。
大事な場面で逸らして。
ランナーが進塁や帰塁して。
チームに絶大なピンチを招いて。
それで見えなかったとか言い訳するのか?
変化が凄くて取れなかった。なんて言い訳して。
それでチームメイトが納得してくれるか?
そう。
それで察しの良い剣なら気付いたと思うが。
ここで先延ばしにしていた先程の本題に戻るんだ。
捕手というポジションにつく選手が一番野球に詳しくないといけいないとか。
女房役とか扇の要とか言われる理由について触れようぜ。
投手の毎日の調子を知らなければいけない。
何故ならば日によって不安定なピッチングをする投手が存在するからだ。
変化球一つにしたって毎日絶対同じ量の変化をする変化球を投げられたら。
それはある種のプロフェッショナルだ。
調子が良ければいつも以上の変化をする場合だってある。
その逆も然りだ。
まるで変化していないと思ってしまう日だってある。
普通の日もあるだろう。
練習の時と同じ調子の日だってあるんだ。
しかもそれは投手一人ひとり異なっているときたもんだから厄介なことこの上ない。
それを試合前に事前に知っておくのが捕手だろ?
サインを出してリードをして配球を組み立てるのは大概の場合は捕手が担当する。
日頃から味方投手全員の調子や能力を把握しておくことは必須。
投手の調子を落とすような声掛けは出来ない場合が多い。
まぁたまにいるけどな。
叱責するような言葉や強く厳しい態度で接してもらった方が発破をかけられてやる気になる投手もいる。
それに加えて投手のことだけを知っていれば良いわけじゃないぜ?
捕手は唯一人だけ敵チームと同じ目線でプレイが出来るって事に気付いているか?
打者と同じ様にグラウンドを見渡す形でプレイする唯一の選手だよな?
だからこそだ。
相手打者が見て分かることや読み取れることを捕手も同じ様に経験するんだ。
つまりは守備位置の修正も捕手が指示する場面がある。
ポジションについて守っているとな。
たまにわからなくなることがあるんだ。
自分が定位置についているつもりで守っていても。
集中しすぎたり緊張したりして周りが見えない場面だってある。
選手が冷静じゃない場合。
捕手が効果的にタイムを掛けたり。
掛けるまでもない場合はしっかりと声を掛けてやったり。
捕手にしか出来ない仕事ってのは思いの外にも沢山あるんだぜ?
だからとてつもなく大変なポジションなんだ。
チーム一野球を知っていないといけないし。
味方選手全員に気を配って調子を確かめたり。
試合前に緊張している味方がいたら解してやるために声を掛けたりな。
本当に数え切れない仕事を抱えているんだ。
例え話だがゲームなんかでは完全クリアとかって単語があるよな。
ミッションとかを全部コンプリートしてレベルを最大まで上げて。
イベントを全てこなしてキャラを全部集めて。
地図を全部埋めて。
本当に文字通りやり残したことがない所までやったことを完全クリアとかって言うよな。
でも…嬉しいことにスポーツにそれは存在しないんだぜ?
幾らでもレベルを上げられて。
果てしない成長の余白がある。
誰にでも伸び代があって。
どの様に成長してどの様な選手になるか。
なれるかは自分次第なんだ。
だからこそ…
何度も言うようで申し訳なく思うが…
悟ったり満足したり慢心したり油断したり。
そういった感情は今日のこの瞬間で全て捨てるべきだ。
それが如何にして成長の妨げになるか。
それに今から気付いておけば。
お前はいずれ最高の選手になるぜ。
その期待をしているからこそ。
こんな七面倒臭い話をわざわざしているんだ。
分かってくれるよな?」
お兄さんの長すぎる説教にも似た言葉を俺は真っ直ぐに受け止めていた。
もしかしたら大概の子供が長すぎる話に嫌気が差すかもしれない。
しかしながら俺はお兄さんの助言の意味や意義をしっかりと理解できていた気がする。
しっかりとその助言を頭の思考の中心に居座らせると大きく頷いて返事をしていた。
その様子を見たお兄さんはいつものように笑みを浮かべると捕球練習の続きを行ってくれるのであった。
休憩を挟みながら18時頃まで続く捕球練習は終りを迎える。
お兄さんはいつものように冷蔵庫から飲み物を持ってきてくれて。
俺はそれを受け取ると喉の奥に流し込みながら道具の後片付けをしていた。
お兄さんはマウンドと捕手の定位置を整備していて。
俺も加わろうとするのだが拒否される形で庭の縁側に腰掛けていた。
「ただいまー。ってなにしてんの?」
お兄さんの母親らしき人物が仕事から帰ってきたようで。
庭で整備をしているお兄さんに声を掛けていた。
加えて言うと縁側には小学生の俺の姿。
子どもの俺でもこの先の展開が予想できて。
少しだけ嫌な想像が頭にイメージとして浮かんでいた。
「ん?須山剣だ。小学一年生。家の前の空き地で一人寂しく自主練してたんだ。
この間から自主練に付き合っている。
皆んなが帰ってくる前にお開きにしていたんだがな。
今日は早いな…」
お兄さんは母親にぶっきらぼうに答えていて。
そんな態度ではどやされるのでは…
などと俺は子供らしい考えを脳内で繰り広げていた。
「そう。剣くん。こんにちは。ご両親には言っているの?
ここに来て練習していること」
その言葉に咄嗟に反応するように首を左右に振った。
それに驚いていたのはお兄さんの母親だけではなかった。
お兄さんも同じ様な表情を浮かべていて。
「は?お前…両親に言わずに来ていたのかよ…
変だと思ったんだ。
毎回送って行っているのに両親が一度も出てこないなんて。
見ず知らずの大人の家に行っているなんて知ったら両親に怒られると思ったのか?
気持ちはわからなくもないが…
そういう事はちゃんと言わないと…」
お兄さんは多少の説教を口にしていて。
しかしながらお兄さんの母親が口を挟む。
「バカね。あんたが先に挨拶すんでしょうが。
大人のあんたがしっかりと説明するんです」
「そうか…しかし剣は思った以上に子供らしくなくてな…」
「言い訳しない。あんただけだと不審者に思われるわ。お母さんもついていくから。
剣くんのご両親に挨拶を済ませましょう」
「だな。剣。急で悪いが。そういうことだ」
俺は納得するように申し訳なく思うように頷くとお兄さんの母親の車に乗って。
お兄さんの母親とお兄さんと三人で俺の自宅に向かうのであった。
自宅にて俺の両親と二人は話を進めてくれていて。
しっかりとした挨拶を交わしていた。
穏便に話は進み。
俺はこれからもお兄さんの家で練習が出来ることとなった。
しかしながら向かう時はしっかりと報告をすることと。
時々でいいからお兄さんを家に招いて食事に誘うことを言い渡されていた。
無償で習わせてもらっているようなものなのだからと。
両親はお兄さんを自宅に招いて食事を一月に一度でもいいから一緒にしようと言っていて。
その様子が繰り広げられるのは…
思いの外にもすぐ眼の前に迫ってきていたのであった。
次回へ…!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。