第3話子供らしく居られない日々が始まる予感がして…

いつものように朝がやってきても真新しい気持ちで目覚める自分を幸福に感じていた。

当たり前のように朝が来て当たり前のように目を覚ます。

そんな当たり前が如何にして幸福であるか。

ここ最近の充実した日々で俺はその様な感情を漠然と抱いていたのだ。


毎日の自主練や筋トレの成果が出ているのか。

不思議なことに初めに変化が訪れたのは見た目ではなく心や精神だった。


今までの俺は平日に自主練をすることも筋トレをする習慣も無かった。

少年野球団で身体を動かす休日だけが俺にとっての練習日だった。

それが今ではまるで違う日々を過ごしていて。


「須山…最近なんか変じゃない?

学校が終わってから遊ばなくなっただろ?

俺達避けられてる?

あいつ一人で何してるか知ってるヤツいるか?」


男子トイレの個室で用を足していた俺は偶然にも野球仲間の話を耳にしてしまう。


しかしながら名前すらも覚えることが出来ない彼らにどの様に思われようと関係なかった。


それ以上の会話を気に留めることもなく。

俺は考え事をしながら個室トイレに腰掛けていた。




捕手というポジションを任されている俺ではあったが…

少しの物足りなさを早い段階から感じていた。


少年野球では故意に変化球を投げることは良しとされていない。

しかしながら少年期にストレートを投げているのに変化してしまう投手は幾らか存在している。


完璧なストレートを投げるというのは思いの外にも難しいらしく。

スライダー気味に変化したりシュート気味に変化してしまう投手が少年野球のステージでは結構な割合で存在しているようだ。


それは単純に球速が遅いことも原因だろうし。

正しい縫い目に沿った握りでない場合もある。

指先にしっかりと引っ掛けてスピンさせる意識が薄いのも原因の一つだろう。


自然と身体の内側に巻き込むような投げ方をしていてスライダー気味に変化する投手もいるようで。


逆に身体の外に力が逃げていく様な投げ方をしているとシュート気味に変化するんだとか。


実際には沢山の要素が複合した結果。

ストレートではないムービングとも言い難い微量な変化球が投げられているのだろう。


と、ここまで長い説明になってしまったのだが。

俺はすぐにでも変化球を捕球したいと思うようになっていた。


中学生になったらシニアリーグに所属することは自分の中では決めていること。

その時になって上級生の変化球を急に捕球できるとは思えない。

少しでも同年代の選手よりもアドバンテージを持って次のステージに進みたいと思っていて。

それは何も不思議な考えではないだろう。


俺はどうすれば変化球を捕球できる機会に巡り会えるか。

そんな所まで思考が巡った時。


「神田みたいに海外行くとか言わないよな?」


「まさか。神田は親父が元選手だから。その伝手で行けたんだろ」


「じゃあ神田みたいに小学生からシニアリーグに行くとか?」


「は?俺達とはレベルが合わないって?」


「そう思っているんじゃないか?最近の須山は別人みたいに上手くなったし。

前からチームで一番上手かったけど…」


「まさかな…」


野球仲間は男子トイレを抜けながらも会話を続けていて。

俺の集中力を削ぐ形で鼓膜に強制的にその様な言葉が飛び込んできていた。


少しだけ遣る瀬無いような気分に苛まれながら俺は考え事をやめて個室トイレを出る。

手を洗いながら遠くへと行ってしまったライバルの存在を思い出していた。


「あいつがいる頃に俺も同じぐらいの熱量を持てていたらな…」


そんな悔やまれる過去を思い出して一つ嘆息してしまう。


しかしながら嘆いても神田吹雪が帰ってくることは無いのだ。

俺は彼が居なくなった後からでも意識に変化が訪れたことをひとまずは幸福に思って。


ハンカチで手を拭うと教室へと戻っていくのであった。






お手洗いから帰っても野球仲間が声を掛けてくることはなかった。

触れにくい話題なのだろう。

特に彼らの予想でしか無い話なのだから。

俺に身勝手な思いをぶつけることに抵抗があったのだろう。

それをなんとなしに理解していた俺は自席に着席すると再び思考の渦に飛び込んでいた。




捕手能力の向上とは誰もが見て分かる部分だけではないんだとか。

両親に買ってもらった本の記載を思い出していた。


配球とリード。

それを深く理解するためには捕手がチームで一番野球の知識が豊富である必要があるとか。

他にも投手一人一人のクセや特性を完全に把握して理解する必要もあるそうだ。


もしも記載通りであるのであれば…

捕手は投手と確実にコミュニケーションを取らないといけないわけで。

加えて言うのであれば投手とはわがままでエゴの塊であるなどと言う表現もされることがあるそうだ。

ならば歩み寄るのは確実に捕手からとなるだろう。

捕手の俺が味方投手を初めたとした選手たちに率先して心を開く必要がある。


その結論に思い至った所で少しだけ嫌な汗が背中に流れてくる感覚がした。


しかしながらそこで自分が小学生である事実を急激に思い出すかのように。

絶好のタイミングか。

または悪戯なタイミングで予鈴が校舎に鳴り響いていた。


思考を中断して机の上に教科書とノートを出していた。

そこから始まる五時間目の授業に集中すると放課後のことを少しだけ頭の片隅に置いて。

授業の時間で出来る限り理解を深めることに集中して過ごすのであった。





「須山。最近遊んでないけど…何かあったか?

話す機会も減ったよな…野球の話しかしなくなったっていうか…

やっぱりなんかあったのか?」


帰りの会が終わると同時に野球仲間が俺の席にやってきていて。

先程の思考が脳内に残っていた俺は以前のような無邪気な笑顔を浮かべていた。


「最近野球が面白くてさ。帰ってからこっそり練習してるんだ」


子供らしい表情や仕草で野球仲間に併せた対応をしてみせると。

彼らは少しだけ安堵した様な表情を浮かべていた。


「そうか…!それなら良かったけど…こっそり練習するなよー!」


「ははっ。黙っていてごめんな。今日も帰って練習するから。また休日にな」


「あぁ!またな!」


野球仲間と別れると俺は即座に帰宅をして。

いつも通りのメニューを行い。

翌日に控えている休日練習に向かうのであった。



今回は短めで。

次回より少しずつ物語が動く予定です。


次回へ…!

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