第2話変化という進化を受け入れた日

場所や環境の変化で自分自身が変わる人間がいる。


それと同じ様に自分の心や気持ちが変わることによって…

昨日までの自分と大きく変わる人間もいるのだ。


前者は明らかに吹雪に該当するだろう。

彼は萬田シニアから帝位高校へ。

今では海外へと渡った。

吹雪は環境を変え続けることで大きな変化をし続けているのだろう。


しかしながら俺に吹雪と同じことが出来るかと言えば。

そう言い切れるわけもなく。

誰しも吹雪と同じ様に生まれながらにして恵まれすぎた環境で生きているわけではない。


毎日毎食お腹いっぱいになるまで食事をすることが出来て。

屋根のある家で暖かく安らぎと安心感を覚える居場所があり。

何不自由のない生活を送れている。


それは恵まれすぎた環境と言い切れる。


しかしながら今言っていることはそういうことではない。

吹雪は野球をプレイするのに必要以上に環境が整っている。

そう言いたかったのだ。


俺には伝手もコネもなければ両親がスポーツに特化した人間であるわけもなく。


一般的に高学歴の夫婦が出会い。

その愛の結晶として俺が生まれた。


どちらかと言えば俺の全身に流れる細胞や血液は勉学に向いていると言えるだろう。

それは遺伝子レベルの話であるのだが。


しかしながら俺にはその様なことが事実であろうと関係なかった。


俺はこの先の人生を野球という悪魔的に魅力に溢れたスポーツにすべてを捧げると幼少期の早い段階で誓っていたのだ。



少しだけ余計な話が続いてしまったが。


とにかく俺は自分の心と気持ちが変わったことにより。

今までの俺とは完全に異なる自分に変化…または進化したのだ。


それは魂や心が更に上のステージへと進んだとも言える。


目には見えない何かの変化が。

俺の心や魂をまた一つ強く逞しい存在へと押し上げたのだろう


だから俺は今までの生活を送ることが難しくなってしまい。




「母さん。お願いがあるんだけど」


吹雪が海外へと渡った日。

帰宅してすぐに母親に相談を持ちかけていた。


キッチンで夕飯の支度をしている母は一度手を洗うと前掛けで手を拭って。

俺の真剣な声に応えるように向き合ってくれる。


「なに?どうしたの?」


母親の優しげな言葉が鼓膜を伝って脳内を侵食する。

幼すぎる俺は悔しさを全面に押し出して弱音を吐きたかったことだろう。


でも…もしもここで弱音を吐いていたら。

俺は母親に甘やかされて全てを諦めていたかもしれない。


この瞬間が俺の人生を決める分水嶺であった。


幼すぎる俺がその様な事を明確に考えていたとは言わない。

だがしかし本能の部分では明らかに感じ取って理解していたのだろう。


だから俺は弱音を吐きたい気持ちをぐっと堪えて。

本題を口にしていた。


「学校から帰ってきたらすぐにご飯が食べたいんだ。

筋肉に変化しやすくて栄養満点で体重も増えやすいボリュームのある食事を。

帰ってくるまでに用意しておいてほしくて…」


俺の唐突な要求に母は少しだけ不審に思うように首を傾げている。


「給食が物足りないって話?」


母親の至る答えは当然のものだと思う。

子供が急にこの様な事を言えば不審に思っても可笑しくない。

心配する親心というものでもあるだろう。


「いいや。そうじゃないんだ。

学校から帰ってきたら夕食までトレーニングや自主練習の時間にするんだけど。


今の食事量では運動量に見合っていないんだ。

絶対にやせ細っていく。

筋肉をつけるためにトレーニングをするのに食事が適切じゃなかったら意味ないでしょ?


上手になるために自主練習も長い時間するつもりだから。

しっかりとした食事が必要なんだ」


俺の答えを耳にしてもスポーツをしてこなかった母親には理解が及ばないようで。

未だに納得のいかない表情を浮かべていた。


「それは何のために?野球のため?」


「もちろん。俺は絶対に負けたくない相手に出会ったんだ。だから…」


そう口にした瞬間。

母親は先日の吹雪の事に思い至ったようで。

何か口にしようとして思い留まっていた。


「分かったわ。何かに真剣に打ち込むことは大切だもんね。

この歳で食事のことまで考えられるなんて…

やっぱり剣は私とお父さんに似て…」


きっとその先に続く言葉を理解していた俺だった。

両親は俺にも自分たちと同じ様に勉学に励んで欲しかったのだろう。

高学歴の進路を選んでほしかったはずだ。


しかしながら自分の子供を思い通りにコントロールしようとする両親ではなかったことが。

俺にとってはかなりの幸福だった。


「ありがとう。自分で後悔しないように…

二人にも間違った選択をさせたって思わせないためにも…

全力で打ち込むから」


俺の決意にも似た言葉を耳にした母親は柔和な笑みを浮かべていた。


「何言ってんのよ。どの様な道に進んでも…私達は全力で応援するし。

出来ることは何でもサポートするから。

気負うこと無く楽しんで頑張りなさい」


母親も俺の真剣な決意を理解してくれたようで。

初めは反論する予定だっただろうが。

完全に切り替えて意見や気持ちを覆したようだった。


両親の全力のサポートを約束してもらって安心した俺は。


「じゃあ自主練に向かうから」


「頑張って。今日は夕飯の量を多くするから。明日からはちゃんと用意しますよ」


「ありがとう。行ってきます」


俺はジャージに着替えを済ませると家の外に出る。

庭にて準備運動を念入りに行なった俺は駅までの道のりをランニングするのであった。




自宅から駅までの距離は1kmといったところだろう。

以前父親の運転する車に乗っていたときのこと。

何気なく発言した父の言により俺はそれを覚えていたのだ。


「家から駅までって丁度1kmぐらいなんだな。

長いこと住んでいるけど知らなかったな」


父の独り言を耳にして。

俺はきっと父はその様な細かいことを気に留めていなかったのだろうと思った。


父の様な勉強が得意な人間でも。

疑問に思わなかったことや興味関心を抱かない事柄には解を得ていないのだと漠然と感じた出来事だったのだ。


その経験が俺の中で今…

ふとした瞬間に教訓へと昇華されているようで。


「そうか…野球に繋がる事の全てを疑問に思えば…」


小学生の俺は片道1kmと言う距離を走りながら。

軽いランニングハイの状態だったのだろう。


頭の中はやけにクリアで。

脳内には宇宙からのメッセージのようにして様々な言葉や文字が流れては消えていた。


その一つを確実に掴んだ俺は…

疑問に思うことの大切さや必要性を確かに感じ取って掴んだのだ。


野球のプレイを向上させるために。

それに繋がるであろう全てに疑問を抱き解を得ることを心に決めたのであった。





片道1kmの道のりを往復して帰宅すると庭を何周もゆっくりと歩いていた。

少年野球の練習でもランニング後はすぐに座らずに少しの時間歩くように言われていた。

それを実行しながら次のメニューを頭に浮かべていた。


「柔軟ストレッチを入念に。怪我をすることのリスクは大きすぎる。

しっかりと回避するためにも入念に全身を解しておこう」


これも少年野球の指導者の言葉を思い出してのことだった。


「その後はダッシュメニュー。家の前の道で出来るな。

10m走を10本。3m走を10本。腿上げ走を10本…

バック走は家の前だと危険だからやめておこう。


もう少し練習に特化した場所を見つけないとだな。


いい場所が無いか後で父さんと母さんに聞いてみるか…

それでもわからなければスマホで調べさせてもらおう」


そんな事を考えながら俺は柔軟ストレッチを念入りに行なっていた。


しっかりとメニューを済ませた俺は家の前に出る。

そこからダッシュメニュー移っていき。


「10mを如何に早く走れるようになるか。

3mの初速で如何に早くトップスピードに乗れるか。

腿上げ走はしっかりと胸まで上げる意識で…完全にトレーニングだな」


各メニューがどの様な意味を持っているのか。

そういう事をしっかりと意識して。

俺はダッシュメニューを終えたのだ。


「やっと素振りの時間だ」


家の玄関にはバットが置かれている。

素振り用のバットは玄関の傘立ての中に入っている。

それを手にした俺はそのまま庭で素振りを開始する。


左打ちで10本の素振りを行うと右打ちに切り替える。

同じ回数を行うと左右を切り替える。

10本を10セット。

左右で行うと完全に疲労感を感じていた。


それでも終えること無く。

追加で素振りの回数を増やしていると…


現在時刻が17時に差し掛かる頃。

庭へと続く門が開かれて父の姿が目に入る。

今日は早めに帰ってこれたようで。

素振りをする俺の姿を見て父は足を止めていた。

立ち止まった父は何か真剣な表情で俺の素振りを見続けていて。


「なぁ剣。思ったんだが…今の素振りは対戦している投手をイメージしているのか?

何ていうか…素人目から見ても…練習ってひと目でわかるスイングだったと思う。


実際の対戦をイメージして行う練習とそうではない練習では雲泥の差があると思うが…


ボクシングの選手が行うシャドーボクシングも対戦相手を明確にイメージするものだって聞いたことがある。

素人のシャドーボクシングは迫力がまるで無いって話も聞いたことがあるな。


その違いは技術面の問題もあるだろうが。


きっと対戦相手をしっかりと明確にイメージしているかどうかって。

そういった面も影響していると思うんだ。


それを踏まえて今の剣の素振りは。

父さんの素人目から見て。

全然迫力を感じなかった。


あ…でも父さんはスポーツはからっきしだから。

正しいことを言っているとは思っていないよ。

剣の方が詳しいだろうからな。


なんとなく疑問に思ったことを言っただけだから。

邪魔して悪かったな。


頑張れよ」


父は一方的に話を進めて玄関の扉を開いた。

そのまま家の中に入っていく父の背中を見ながら…。


俺は父の的確過ぎる指摘に度肝を抜かれていた。

やはり頭の良い人間は言葉にして指摘するのが得意なのだろう。

なんとなく感じた疑問を鋭すぎる指摘として口にした父。

俺にとってはかなり盲点だった部分。

的確な言葉として昇華出来る父を尊敬する念を抱きながら。


「そうか。対戦投手を明確にイメージするか…

スポーツが苦手なはずなのに…凄い的を射た感想だな…

やっぱり俺の父さん…すげぇな…」


父の鋭い観察眼や思考能力や言語化能力や的確過ぎる助言を即座に実行出来る知識量が。

俺の中にも存在してほしい。


だが…何もせずにその様な能力が備わることはないと理解した俺は…


「自主練が終わったら風呂。夕飯後に筋トレ。その後は勉強だな。

父さんや母さんを見ていると勉強の大切さを思い知らされる。

何も考えずにプレイできるスポーツなんて無いよな。

勉強でも誰にも負けないように頑張ろう」


俺は再び意識を新たにして。

父の指摘どおりに明確な対戦相手をイメージして。

全力の素振りを行い続けるのであった。





18時を超えて家の中に入る。

風呂に直行して湯船に浸かって疲れを癒やした。

身体を揉みほぐすようにして10分ほど浸かる。


その後は全身を隈なく洗って脱衣所に出た。

バスタオルで全身を拭いて着替えると夕食の時間だった。


母親は普段以上の量の夕食を用意してくれていて。

加えて普段よりも二品目多くおかずが存在していた。


「ご飯のおかわりもするのよ。やっぱりお米がエネルギーの基本よ。

今日使用したエネルギーを補給するためにも。

沢山のお米を食べてね。

そのためにおかずの種類を増やしたんだから。

頑張って食べなさい」


母親の言葉に頷き感謝を告げると俺達親子の夕食の時間が始まる。


数々のおかずに箸を伸ばして。

子どものお茶碗三杯分おかわりした所で俺は箸を止めていた。


「初日にしてはかなり飛ばしたて頑張ったんじゃない?

でもちゃんと継続するのよ?

何よりも大切なのは意味のある有意義で効率的な食事を継続し続けることでしょ?

だから明日からも頑張って食べましょう。

お母さんも頑張って準備するから」


母親の言葉に頷いて食後の感謝の挨拶をすると俺は食器をシンクに運ぶ。

そのまま両親に就寝の挨拶をすると二階の自室に向かった。


食休みがてらベッドで横になりながらゴロゴロとして休息の時間を過ごしていた。

小一時間した所で起き上がって筋トレへを開始した。


腕立て10回3セット。腹筋10回3セット。背筋10回3セット。


今出来る回数の上限目一杯を行うと俺は椅子に腰掛けて。

そこから学校の宿題と。

それとは別に予習を済ませていた。


その後は両親に買ってもらった野球関連の本を読みながら。

野球の勉強を長い時間して。


眠気が襲ってきた所で中断して。

本日は眠りにつくのであった。





心や気持ちや意識や精神が変わった日。

俺はその確かな成長を無駄にすること無く。

初日から成長の伸びしろを長く長く伸ばしていたのであった。


俺自身が本日の僅かな日常的な出来事がきっかけで。

今後の成長や何かに繋がることを。

まだ知るわけもなく。


今日という大切な一日が幕を閉じて。

俺はゆっくりと休息を取り。

眠りの世界に誘われていた。




俺が眠っている時間。

世界の別の場所で。

ライバルたちが同じ様に。

もしくはそれ以上の努力を重ねているという事実に。


幼い俺が気付くのは…

未だもう少しだけ先の話なのであった。




次回へ…!

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