九
「冴木さんなら、まだ来てないですけど」
小夢の父に、先に学校へと行っていると謝られたあと、少しでも顔を見られるかと思い、恋人のクラスへと向かった。その際、いつもの金髪の女子と会い、小夢の所在を尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。
真っ先に疑ったのは、事故の可能性。とりわけそれは陽介の中で重い意味合いを持つ。しかしながら、少なくとも通学路ではそのような大事はなかったはずだ。ならば学校以外に行ったか、あるいは職員室かなにかに行ったのか。行くべきか戻るべきかひとしきり悩みはじめたところで、
「最近、いつも来るのが遅くて、そう言うところも友人として心配なんですよね」
飛び込んできたのは耳を疑う発言。そんなはずはない。なにせここのところは、小夢の父に、早く出かけてしまったと毎朝のように謝られているのだから。
「遅い時は、昼前とかもざらですし。きっと、ご実家の方でなにかあったんでしょうけど、先輩なにか知りませんか?」
/
すぐさま駆け出す。動悸が激しくなる。
あの金髪女子の証言を信じるのであれば、小夢の父はあのニコニコとした調子で嘘を吐いた。いったい、どういう意図があってかわからない。少なくとも、陽介を追い返すに足る理由があるのだろう。それはいったい、なんなのか。そして、先日のどこか不安げな恋人の顔。答えはもうでかかっているが、考えたくない。そんなはずはないと、自らに言い聞かせながら、あっという間に冴木家の門までたどり着く。普段であれば、この時間は父も娘も家を出ていて誰もいないはずだ。すかさず、チャイムを押そうとしたところで、遠くから音が聞こえた。
高い鳴き声じみたそれは、陽介が自宅のベッドで小夢とともに聞くものに酷似していた。慌てて、音の出所を辿って庭を横切れば掃き出し窓が小さく開いていて、黄色いカーテンが風で揺れていた。靴を脱ぎ、室内に侵入すれば、もはやごまかしようがない嬌声。それはこの家の主の書斎の辺りから聞こえてきていて……。
これみよがしに僅かばかり開けられた扉を引く。
「やあ、陽介君。遅かったじゃないか」
高級木材の机の後ろ。椅子に座った半裸の老いた男と、その股の間に向かい合って収まる制服姿の小夢の後ろ姿があった。こちらに背を向ける恋人は、陽介に見せたことがないくらいに乱れた声を上げている。
「これは、どういうことですか」
「どういうこともなにも見た通りさ」
「どうしてこういうことになってるか、という話です!」
荒げた声とともに、いつでも小夢を助け出せるようにと気持ちを落ち着かせようとする。そんな陽介とは対照的に老いた男は、そうだなあ、と娘を抱きしめる。一際媚びるような声が響く。
「私が妻を愛しているという話は常々してきたね」
「それが」
「そんな妻に小夢は年々似てきている。それこそ生き写しといっても差し支えないくらいにね。そんな様子を何年も見守っていて、ある日、気付いたんだ。奪われたものを取り戻せるのではないのかとね」
「小夢は、奥さんの代わり、ってことですか」
信じられないという気持ちで聞けば、少し違うかな、と男は笑う。
「小夢は妻であるとともに娘でもある。私は両方を等しくそして誰よりも愛しているつもりだよ」
「ふざけるな。小夢はあんたのおもちゃじゃないんだ」
一歩一歩踏みしめ、机に近付く。もはや聞くに堪えない大人を警察やらに突き出して、恋人を取り戻そう。そう決めて、すぐ側までやってきて小夢の横顔を見て、
「よぉ、くん」
苦し気に息を切らす小夢が、心から笑っているのを見てしまった。
「小夢」
「わたしはしあわせ」
老いた父の胸板に頬を赤く染め顔を寄せる。
「ぱぱにままと一緒って言ってもらえて嬉しかった」
その表情に浮かぶのは、
「はじめて抱いてもらった時はちょっと怖かったけど、すごく優しかったし、いつもより……よかった」
信頼と、
「それにぱぱは、お願いをきいてくれた」
紛れもない恋慕の情。小夢のそんな強い想いを、見たことがなかった。
お願い? お願いとはなんだ。
不意に机の上に置いてある棒状の物に気が付く。そこの真ん中辺りに書かれた判定と終了という文字の間にある二つの四角い窓状のものに、それぞれ一本ずつ線が入っていた。
「また、幸せが増えた。だから」
よぉ君もずっと一緒にいてね。無邪気に笑ってから突き上げられ鳴き声を上げる小夢。
知らない女がそこにいた。
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