壱 招かれざる鬼方士⑨

 白玲は己を戒めると、やんわりと冬惺の腕を遠ざけ、身を起こす。

「大丈夫ですか?」

「平気だ。もう治った」

「ですが──」

「それより、答えろ。どうすれば、おまえは俺の前に現れなくなる?」

 正面から問われて衝撃を受けたのか、冬惺が顔を曇らせる。

「どうしても、黒玄府に入る許可はいただけませんか?」

「ああ。何度も言っているように、俺はらいえいごう、誰も召し抱える気はない」

「……凜々殿と宵胡殿が話してくださいました。前屍王はご自身同様、白玲様にも共に戦う者が必要だと考えていたと。せんえつながら、私もそう思います」

「何を偉そうに。俺を怖がっておいて」

「確かに、貴方あなたの力を脅威に感じました。それは事実です。しかし、いまはそれ以上に危うく思っております」

 聞き捨てならない冬惺の物言いに、白玲はまゆをつり上げる。

「おまえ、誰に向かってそんな口を利いている?」

「つい先程、梟炎の断片に隙を突かれたことをお忘れですか。貴方はご自身の力をやや過信している。戦いに身を置く者にとって、それは致命的な欠点になり得ます」

 痛いところを突かれて、白玲は声を詰まらせる。

「あれはっ……おまえのせいだろうが。おまえがいたから、気が散って……」

「貴方が孤独に逃げ込むことを案じた前屍王の計らいで、私は玄冥宮に遣わされたとも聞きました。助けなど要らないという気持ちが貴方の本心なら、前屍王はそんなしんしやくをなさらなかったのでは?」

「白碧は──」

「前屍王は貴方が孤独で在るべきではないと考えられていた。そして、貴方もまた孤独を望んではおられない。違いますか?」

 白玲は唇をみ、黙り込む。

 さっきの冬惺と同じだった。違うと言いたいが、どうしても口にできない。

 何故なら、それは偽りだから。冬惺のように口にできない性分ではなく、単純に白玲は昔から噓が下手だ。

 何度か唇を震わせたが、白玲はついぞひと言も出せないままうなれる。

 心を結び直したはずなのに。

 失う覚悟を持てず、さりとて孤独も受けれられない。半端を揺蕩たゆたう己のなんと情けないことか。神の代行者が聞いてあきれる。

「白玲様」

 冬惺の手が両肩にかかり、白玲はびくりと身をすくませる。

 逃げたかったが、身体が動かない。聞いてはいけないと思いながらも、どこかで冬惺の次の言葉を欲している自分がいた。

「ひとりが辛いのなら、そうおっしゃってください。たとえ力及ばずとも、私は貴方の助けになりたい」

 白玲の心臓が大きく跳ねる。

 冬惺が放った言葉は白玲の望み通りのものであり、また恐れていたものだった。

 何の躊躇ためらいもなく、飛びつけたならどれほど良かっただろう。ひとりは寂しいと正直に吐露できたら、どれほど楽か。

 しかし、どうあってもそれは許されない。

 迷いをはらうように首をふり、白玲は顔を上げる。

「…………駄目だ。それでは罰にならない」

「罰? 何のことです?」

「俺は白碧と黒玄府の五人……北斉、明磊、天凱、礼駿、青江を殺した。孤独はその罰だ。俺はひとりで戦い、罪を償わなければならない」

「殺す……? まさか、そんな」

「事実だ。本当に皆、俺のせいで……」

 どこか白状めいた口調で白玲は話し出す。

「……昔、玄冥宮に猫が迷い込んできたことがあった。真っ白で、毛並みがれいだったから、白碧は後宮の后妃が飼っている猫だろうと」

 前触れもなく、白玲が脈絡のない話をはじめても、冬惺は口を挟もうとはしなかった。黙って、耳を傾けている。

「白碧に好きにしていいと言われて、俺は必死で猫の機嫌を取った。凜々と宵胡に頼んで餌を用意してもらったり、敷布を整えたりしてな。そのあって、猫は時折玄冥宮にやってくるようになった。深入りになると言って、白碧は名をつけることは許してくれなかったが、それでも十分に慰められた」

 かつてそこにあったぬくもりを思い出しながら、白玲は自分の手を見つめる。

「だが、半年ほど経ったある日、猫がひんの状態で現れた。傷だらけで、白い毛が血で赤くれていた。人か、皇城内に入り込んだ獣か、何にやられたのかわからないが……俺が見つけてすぐ、猫は死んだ。この手の中で息絶えた」

 もしかしたら、玄冥宮に出入りしていることが知られて、不吉だと処分されかけたのかもしれない。

 屍王は后妃たちにとって、なによりも忌むべき存在である。何故なら、屍王は后妃の胎内に宿った赤子の魂と肉体を乗っ取り、生まれてくるからだ。屍王というべつしように等しい呼び名も、最初の屍王を産み落とした后妃の嘆きから生じたと言われている。

 真偽は知りようもないが、屍王という存在が猫を殺したかもしれない、というがいぜんが白玲の心にとげとなって残っている。

 そして、それ以上に死が必ずしも穏やかであるとは限らないと思い知らされた。

 猫を失ってから、白玲はいつ、どんな風に襲ってくるかわからない死というものが恐ろしくてたまらなくなった。白碧や、新たに玄冥宮にやって来た北斉たちの死が怖くて仕方がなかった。共に過ごす時間が幸せであればあるほど、おびえは増していった。

「白碧はそんな俺の弱さを見抜いていて、戦えるほど成長してからも、狩りに出ることを許してくれなかった。白碧はわかっていたんだろう。北斉たちが怪我をして帰ってくる度に泣いて騒ぐ俺がまともに戦えるはずがないことが」

 それでも、日に日に焦燥は強くなる。

 今日が無事でも次は?

 次が無事でも、その次は?

 誰よりも強い自分が加われば、白碧たちが死ぬ確率は絶対に下がる。

 だったら、戦いたい。共に在り、仲間を守りたい。はやる想いはもはや、抑え切れないほどにふくれ上がっていた。

「一年前のあの夜、嫌な胸騒ぎが収まらず、俺はとうとう許しもないまま白碧たちのあとを追って、梟炎狩りに出向いた。渡水鏡をくぐった先で、白碧たちは五体の梟炎を相手に戦っていた。厳しい状況だったが、俺が邪魔をしなければ、勝てていたかもしれない。緊張と恐怖ですくみ上がって、まともに動けなかった俺のせいで戦局が狂った。俺を守ろうとして、皆は死んだっ……」

 白玲は震える手をにぎり締める。

 戦うことも、殺すことも怖かった。

 相手は敵だと、梟炎を狩ることが使命だとわかっていたのに動けなかった。

 その取り返しのつかないひるみが、躊躇いが、白碧と黒玄府の五人の命を奪った。

「白碧たちを殺されて、頭の中が白くなって、それでやっと動けた。どうやって梟炎どもを狩ったのか、まるで覚えていない。気づいたら俺だけがその場に立っていた」

「……違います。白玲様、それは貴方の罪では──」

「俺の罪だ! 誰が何と言おうと、全部俺のっ……だから、要らない。救いなど、求めるつもりはない」

 白玲は叫ぶように言い、視線を下げる。冬惺がどんな目で自分を見ているのか、知るのが怖かった。

 重たい静寂が満ちる中、白玲は冬惺のあきらめの言葉を待った。

 どんな理由をつけたところで、白玲が北斉たちを、冬惺にとっての同胞を死に追いやったのは事実だ。それを知ってなおも、屍王に仕えたいと思えるはずがない。

 しかし、短くも長い沈黙のあと、冬惺が口にしたのは思いも寄らないことだった。

「……大切な者を救えなかった罰が孤独ならば、私も受けねばなりません。ですが、それは本当に必要な罰なのでしょうか」

「え……?」

 意味がわからず、白玲は思わず顔を上げる。

 冬惺のそうぼうは静かだった。

 恐れていたような非難や忌避の色はどこにもない。まるで、先程まで雲間に浮かんでいた雨上がりの月のように透明で、そしてひどく悲しげに見えた。

「私も、貴方あなたのように罪を償うすべを求めて生きておりました。無論、救いなど望むべくもないと。ですが、あるとき友が言ってくれたのです。おまえが自分を許せぬなら、かわりに俺がおまえを許すと」

 ぼうぜんとする白玲に対し、冬惺はほほえむ。

「罪を許してくれる者がいる。それがどれだけ心を救ってくれるか、私はよく知っております。だからこそ、いま貴方に言いたい。白玲様がご自身を許せぬなら、かわりに私が許します」

 冬惺は白玲の肩から手を放し、きようしゆすると、かたひざをつき、頭を下げる。

「白玲様、もし貴方に罪があったとしても、貴方は過酷な屍王の使命を果たすことで十分に償っていらっしゃる。このうえ、さらにご自身を責める必要はありません。誰が何と言おうと、私は貴方に罪はないと断言します。いつでも、何度でも」

「俺は──」

「どうかお仕えする許可を。かつての私が友に救われたように、今度は私が貴方を救いたいのです」

 冬惺は顔を上げ、白玲を真っ直ぐに見つめる。

 優しい声と視線。それなのに、驚くほどひたきで白玲の心を揺さぶった。

 何と答えればいいのかわからず、白玲は立ち尽くす。

 いや、元より答えはひとつしかない。

 拒絶、それのみだ。

 理解していてなおも戸惑うのは、拒みたくないから。冬惺のねがいを受け容れて、許されたい。誤魔化しようのないほどに、白玲の本心はそれを望んでいた。

 どこからか鳥のさえずりが響き、生い茂る木々の合間から陽が差し込んでくる。

 芽生えかけの主従に夜明けが訪れようとしていた。


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◆この続きは『玄冥宮の屍王』(角川文庫刊)にてお楽しみください。

2024年11月25日頃発売予定です!

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