壱 招かれざる鬼方士⑥

「こっちだ」

「え……、あの」

「グズグズするな。さっさと入れ」

 半ば引っ張り込まれるかつこうで、冬惺は楼門の中に踏み込む。

 白玲がくいとあごを引けば、すぐさま扉が閉まった。

「ついて来い。あまり離れるなよ」

 白玲は冬惺の手を放すと、きびすを返し、歩き出す。

 念願かない、ようやく楼門を潜ることができたという実感もないまま、冬惺は白玲のあとを追う。

 玄冥宮に続く、銀沙色の橋を渡りながら、冬惺は改めて頭上や左右に目をやる。

 やはり、雨は見えない壁に当たったかのように弾かれていた。

「遅れるな。濡れるぞ」

 前を向いたまま、白玲が声をかけてくる。

 冬惺は慌てて、知らず知らずのうちに鈍っていた速度を上げた。

「……白玲様の御力で雨を防いでくれているのですか?」

 そうして良いものかどうか迷いながらも、冬惺は尋ねる。

 白玲は若干肩をこわらせたものの、ぼそぼそと返事をした。

「そんな大仰なものじゃない。水の流れを変えているだけだ」

 少し考えたのち、冬惺は理解する。

 九玄大帝はめいの王であると同時に、水を象徴する神だ。その神から力を授かる屍王もまた、水を味方につけることができるのだろう。

「水を操る……美しい貴方あなたによく似合う力ですね」

 冬惺は自然と胸にわき上がってきた気持ちをそのまま口にする。

 それを聞くや否や、白玲はぐっと息を詰まらせ、次いで足も止めた。

「おい、妙なことを口走るな。舌をむかと思ったぞ」

 白玲はふり返り、冬惺をにらみ上げてくる。

 𠮟しつせきめいた言葉に、冬惺はすぐさま姿勢を正した。

「申し訳ありません。何か不敬がありましたか?」

「不敬とか、そんな話はしていない。ただ、美しいなどと、おかしな形容をかぶせるなと言っている」

 冬惺は返答に窮する。

 命令とあらば、従うことに否やはない。けれど、意味を理解できないままうなずく訳にもいかなかった。

「無学をさらすようで恥ずかしい限りですが、どうして貴方を美しいと表するのがおかしいことになるのでしょうか。後学のためにご教授いただきたいです」

「……俺は屍王だぞ」

「無論、存じております」

「だったら、わざわざ説明するまでもないだろ」

 心底あきれた風に言い渡されたものの、やはり冬惺にはわからない。

 白玲の容姿が極めて秀でていることと、白玲が屍王であること。

 ふたつの事実がどのようにつながれば、〈美しいと口にすることがおかしい〉という結論に至るのだろうか。

「それは、つまり……玄冥宮では、美しいものを率直に美しいと褒めることは礼儀に反する、ということでしょうか?」

 屍王は尊貴な神の代行者だ。直接的で単純な褒め言葉は下品とされ、無礼にあたるのかもしれない。冬惺なりに必死に考えた末の答えだったが、大きく的を外していることはじわじわとゆがんでいく白玲の顔を見れば明らかだった。

「……俺はただ、俺が美しいというのがおかしいと……いや、もういい。それ以上、しゃべるな。黙ってろ」

 白玲はうんざりした様子で言い渡すと、冬惺に抗弁の機会を与えず視線を戻し、再び歩き出す。

 命令の意図を把握できなかったことに一抹の不安を覚えながら、冬惺も進む。

 橋を渡り終えれば、いよいよ玄冥宮にたどり着く。

 玄冥宮の前に立った途端、冬惺はぞっとするほど冷たい拒絶にされた。

 楼門の堂々と分厚い門扉と違い、玄冥宮の扉はしようしやで小さい。

 しかし、冬惺にはわかった。その門がどれほどけんろうで無慈悲か。身をわきまえずに踏み込もうものなら、命さえ失いかねないということが。

 多分そうなると踏んでいたのだろう。白玲はくるりと背を返すと、すくむ冬惺と向かい合う。

「わざわざ言わずとも、その身で理解していると思うが、玄冥宮は九玄大帝の結界に守られている。許されざる者は決して中に入れない」

 白玲は手を伸ばし、冬惺の胸元に指先をあてる。

「玄冥宮の入室を許す。ただし、この一度限りだ」

 幻聴だろうか、冬惺の耳元で滴が水面を打つような音が響き……次の瞬間、玄冥宮を取り巻く重々しい威圧感が消えせた。

 白玲は身を翻すと、殿舎の前の階段に足をかける。こたえるように、するりと扉が内向きに開いた。

「入れ。嵐が去るまで置いてやる」

 白玲は素っ気なく言い置くと、さっさと中に入っていく。

 許しを与えられ、拒絶の威圧が消えてもなお、緊張はぬぐい切れない。冬惺はゆっくりと息を吐きながら、意を決して玄冥宮に踏み入った。

 あたかも出迎えるように、満ち満ちた春蘭の香がふわりと舞う。

 それと共に、とうろうの淡い光の中でふたりの少女が待ち構えていた。

「潤冬惺殿、ようこそ玄冥宮に」

「今宵はあるじが迎えた客人として、我らがおもてなしいたします」

 挨拶を済ますや、返事の暇さえ許さぬ勢いで、少女たち──凜々と宵胡は冬惺に飛びついてきた。

「さ、こちらに。斗篷はお預かりしますね」

「この嵐です。さぞ難儀されたでしょう。これをお使いください」

「いや、どうぞ構わずに……あ、白玲様」

 手早く斗篷をぎ取られ、しゆきんを押しつけられながら、冬惺は部屋を出て行こうとした白玲を呼び止める。

「東から雨はあがりはじめている。ここもあと半刻ほどで静かになるだろう。適当な頃合いに帰れ」

「どうか、話を。私は──」

「前にも言ったが、俺は誰も召し抱えるつもりはない。あの勅命は白碧……前屍王がはずしたもので、俺の意思じゃない。わかったら、二度と──」

「もー、白玲様! なにもそう、矢継ぎ早に突っぱねなくてもいいじゃないですか」

「そうです。自らお招きしておいて、その態度は良くありません」

 白玲の言葉を遮り、凜々と宵胡が割って入ってくる。

「凜々、宵胡。余計な口出しをするな」

「いいえ、黙りませんわ。主の非礼は我らが非礼ですもの。見過ごせば、玄冥宮の名折れになります」

「それに、以前にちようだいした雑胡、でしたか。どうせ、あの御礼も申し上げてないのでしょう?」

「そうそう、餌付けされるつもりはない、なんておっしゃってましたけど、結局ほとんどひとりで食べてしまわれて」

「まあ、我らもお相伴にあずかりましたけどね。ひとつきりですが」

「黙れと言っているだろ。ぺらぺらしやべるな」

 立て板に水のごとく、かわるがわる内情を暴露する凜々と宵胡を白玲は慌てて止める。

 だが、出してしまった言葉は戻らない。当然、三者の話は冬惺にも聞こえた。

「雑胡を食べてくださったのですか?」

 うれしさの余り、冬惺はつい勢い込んで尋ねる。

 それがいけなかったのか、白玲は追い詰められた鼠のように身を竦ませた。

「し、知らん、知らん知らん! とにかく、雨がやんだら出て行け」

 白玲は叫ぶように答えると、今度は猫のごとく身を翻し、奥に駆け込んでいく。

 さすがに、追いかけるまではできない。

 冬惺はまたしつけな真似をと反省しながらも、その背を見送るしかなかった。

「白玲様ったら。困ったことがあると、すぐに逃げ出すんですから」

「昔から変わらぬ、悪い癖です」

 呆れた声を上げる凜々と宵胡に、冬惺は頭を下げる。

「申し訳ありません。私が来たせいで」

 冬惺の言葉に、凜々と宵胡はそろって表情を明るく切り替える。

「謝る必要などございません。むしろ、こちらがおびせねば。我らが主の無礼、どうかお許しください」

「意気地なしの白玲様など放っておいて、しばしおくつろぎください」

「お気持ちはありがたいですが、職務中ですので」

「あら! 休憩も立派な職務ですわ」

「そうです。緩急は肝要でございますよ」

 有無を言わせず、凜々と宵胡は半ば力尽くで冬惺を座牀ながいすに座らせると、髪や衣服の湿り気を手巾でぬぐう。

「夏とはいえ、嵐のせいで冷えましたでしょう」

「身体を温めれば、疲れが取れますわ」

 てきぱきと冬惺の身なりを整えたあと、凜々が流れるような手際の良さで茶を差し出してくる。

 ここまでくると、拒む方がかえって失礼にあたる。素直に、冬惺はふたりの好意に甘えることにした。

「頂戴します」

 冬惺は白磁の茶杯を受け取る。

 茶は明るいはくいろで、独特のくんこうとほのかに甘い香りがした。

 ひとくち飲み、冬惺は軽く目を見張る。心地い渋みと、さわやかな甘味が絶妙に混ざり合った茶は大層美味だった。

「とても美味おいしいです」

「まあ、うれしいお言葉。ちなみに、調合はおわかりになります?」

「調合ですか? そうですね」

 と声を弾ませた凜々の尋ねに、冬惺は新たに茶をふくむ。

「……てんこうちやなつめしよう、それによもぎ……あと、何かのしようやくでしょうか。かすかな苦味を感じます」

「まあまあ、大当たり! あの雑胡の丁寧な作りから踏んだ通り、冬惺殿は味がわかっていらっしゃる」

「苦味の正体はおん。温苦の生薬で、うつけつを解く効能があります」

 凜々が手をたたきながら褒め、宵胡が説明を加える。

 それから、ふたりは相手を指しつつ、互いに互いの紹介をはじめる。

「こちらの宵胡は百薬に通じておりますの。そのお茶も彼女が調合したものです」

れたのはこの凜々ですが。私はそちらは得手ではないもので」

「そろってのもてなし、ありがたく思います。私は──」

「潤冬惺殿。五岳の鬼方士で、たびは皇帝の勅命にて玄冥宮にいらっしゃった。まことにご苦労様でございます」

「ご事情はおおむね承知しております。どうかお気遣いなく」

「そうですか」

 凜々と宵胡が普通の侍女でないことはわかっていた。気配が人とまるで違う。少女に見える姿も仮初めで、本性は屍王と同じく、人ならざる存在なのだろう。

 だとすれば、この玄冥宮の諸事にも深く通じているはず。冬惺は茶杯を座牀の脇の小卓に置き、改めて口火を切る。

「おふたりに、お聞きしたいことがあるのですが」

「ええ、なんなりと」

「我らに答えられることでしたら」

「助かります。その、ご承知の通り、私は白玲様に拒まれております。此度の勅命もご自身ではなく、前屍王の計らいであると。それはまことでしょうか?」

「はい、確かにそうです」

「すべては前屍王、白碧様のご遺志なれば。白玲様にとって、冬惺殿の来訪は予期せぬものでした」

「だとすれば、迷惑に思われるのも当然ですね……。ですが、前屍王は何故、白玲様の心にそぐわない用立てを行ったのですか?」

 凜々と宵胡は顔を見合わせると、息を合わせて冬惺に向き直る。

「必要だと考えていらっしゃったからでしょう」

「白碧様は、白玲様が孤独に逃げ込むことを案じておいででした」

「……逃げ込む? それはどういう意味でしょうか」

 冬惺の質問に、躊躇ためらいながらも凜々が口を開きかけた、そのとき。

 急激な霊力の高まりを感じ、冬惺は白玲が駆け込んでいった殿舎の奥に目をやる。

 発生源は間違いなく白玲。何かあったとしか思えない事態に、冬惺ははじかれたように座牀から立ち上がった。

「……失礼します」

「冬惺殿! お待ちください!」

「白玲様の許しなく、奥の間に入ってはなりません!」

 冬惺とて、無礼は承知のうえ。しかし、たとえ無断侵入で罰せられようとも、鬼方士としてこの異常は看過できなかった。

 凜々と宵胡の制止をふり切り、冬惺は部屋を飛び出した。

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