壱 招かれざる鬼方士⑤

               *


 楼門の軒下に身を潜め、冬惺は空を眺めていた。

 視界も聴覚も、荒れ狂う風雨と雷鳴にじんわりと閉ざされていて、まるで世界のすべてから取り残されたような心地がする。

 立派ないり屋根のおかげで雨は大方しのげている。がいとうを羽織ってきたので、たたきつけてくる風の寒さも問題ない。冬惺自身は、このまま朝まで過ごすことにほどの苦痛を感じていなかった。

 とはいえ、傍目には忠告を無視してやって来て、門前に立ち続ける姿はさぞ愚かで不気味に見えるだろう。風雨の合間に冬惺はちようをこぼす。

 こんなことを続けたところでどうにもならない。

 それはわかっているが、さりとて簡単に妙案を思いつくものでもない。とにかく、いまは屍王のもとで働く意思が確かなものであることを示す他ない。

 きっかけはどうであれ、玄冥宮に行くと決めたのは自分だ。引き受けたからには投げ出すような真似はしたくない。

 それに、経緯は不明だが、この一件は皇帝の勅命である。命令不履行が続けば、いずれは問題視されるだろう。権力者との余計な摩擦は五岳の望むところではない。

 元より、五岳は権力との関わりを嫌う組織だ。人命を脅かす脅威を駆除する、という特殊な技能を盾に治外法権をつかみ取り、ただの一度も国家にくみすることなく三百年近く存続してきた。

 そんな五岳が玄冥宮に五人の鬼方士を遣わしたのはおよそ三年前。

 屍王の要請に応じた決定だったが、そこに至るまでの道のりは平坦ではなかった。

 たとえ神の代行者であろうと、権力の象徴たる皇城内に拠点を置く屍王の命に従うことは、五岳にとって快いものではなかったからだ。

 その名が示す通り、五岳は五つの山岳から成る組織である。

 各山はとうがく西せいがくなんがくほくがくちゆうがくと呼ばれ、それぞれにひとり、そうしゆと呼ばれる統治者がいる。五岳の主だったかじりは五総主の合議で決められるが、このときの話し合いはめに揉め、最中には抜刀騒ぎまで起こったと聞いている。

 それでも可決に至ったのは、五岳が屍王の戦果にひそかに依存しているという、悔しくも認めざるを得ない現実があったからだ。

 似て非なるものとはいえ、穢鬼と梟炎の生態には共通点が多い。それだけに、穢鬼討伐を生業なりわいとする鬼方士が梟炎に遭遇する危険は常にある。

 それでも、屍王が絶え間なく梟炎を狩ってくれているおかげで、五岳側の危難は格段に軽減されてきた。だから、五岳の助けがなければ、今後は梟炎の狩り漏らしが増えるだろうという、屍王の訴えは強く響いた。事実、梟炎の被害は徐々に増加していた。

 きようと現実をてんびんにかけた、苦渋の選択。

 だが、五人の鬼方士を遣わして以降、目に見えて梟炎の被害は減った。この点に関しては、五岳側は前屍王との取引に満足していた。

 しかし、黒玄府に入った鬼方士たちが、前屍王に深く心酔していたことは懸念材料とされていた。

 誓いはしたものの、総主たちは折に触れて、玄冥宮の委細を黒玄府の者たちから聞き出そうとした。

 しかし、彼らは一様に口を割らなかった。家族や仲間にも同じく、ささやかな風聞さえ漏らしはしなかった。誓約がある以上、総主たちも無理強いはできず、玄冥宮は霧中に在り続けた。

 その忠誠の強さに、黒玄府の者たちは屍王に操られているのではないか、放っておけば五岳すべてが屍王に支配されてしまうのではないか、などと、いずこからともなくわいてきた恐れや疑いを冬惺も幾度か耳にしたことがある。

 悲劇が起こったのは一年前。屍王に対する疑念が、じわじわと五岳に広がりつつあった時だった。黒玄府が前屍王もろとも全滅したのだ。

 最悪の結果を迎えた明くる日、五総主は次の屍王の要請には応じないという意向を即断で固めた。

 だが、身構えたものの、次の屍王から新たな申し入れはなかった。また、していた梟炎の被害増加も起こらず、なし崩し的に屍王と五岳のつながりは断たれた。

 どんな衝撃も、時が経てば次第に遠くなっていく。一年が過ぎる頃には、屍王との関わりも忘れ去られようとしていた。

 しかし、いまになって、寝た子を起こすように皇帝から勅命がくだった。潤冬惺なる鬼方士を玄冥宮に出仕させよ──と。

 冬惺が告げられたのは勅命の内容だけで、何故自分なのか、どうして屍王は一年の歳月を置き、また鬼方士を用いようと考えたのかなど、具体的なことは何も聞かされていない。五総主もまた、はっきりとした理由は知らず、勅書にあった〈適宜、適材であるから〉という一文に従ったまでのようだった。

 ただ、五総主が過去の決議に添い、皇帝、ひいては屍王の要請をはじめは拒むつもりでいたのは感じ取れた。しかし、召し出しが冬惺ただひとりだったので譲歩することになったらしい。

 無論、一年ぶりに生じた屍王との関わりは五岳に波紋を呼んだ。

 冬惺に同情する者もいたし、安易に応じるのは弱腰だと非難する者もいた。五総主に抗議するべきだという声もあったが、冬惺は一切を拒んだ。

 己の何が適宜、適材と判断されたのか。

 その点には首をひねりつつも、「不要な争いを避けるために行ってくれ」という命に対し、不満も抵抗も感じなかった。属する場所が玄冥宮であれ五岳であれ、鬼方士として果たす務めに変わりはない、単純にそう思うからだ。

 改めて意を決し、冬惺は腰の剣のつかをにぎる。

 担う役目があるから、生かされた意味を見失わずに済んでいる。居場所にはこだわらないが、ようを斬り、人々を脅かす危難をわずかでも減らすという、鬼方士の責務だけは手放す訳にはいかない。

 それに……ふと思い立ち、冬惺は軒下から出ると、吹きつけてくる風雨にも構わず楼門を見上げる。

 白玲の姿を目にしたのは三度。いずれも、場所はこの楼門だった。

 はじめて顔を合わせた時は本当に驚いた。

 美しいという言葉の意味をあれほど実感したことはない。強大な霊威にを覚えながらも、屍王というより麗しい女神とたいしている心地がした。

 二度目は大急ぎで逃げていく姿をちらりと見ただけだったが、慌てふためく様子が兎か何かの小動物のようで、不敬かもしれないが可愛らしいと思った。

 そして、三度目。朝食がわりの雑胡をかじるところを目撃されてしまったのは失態の極みだが、頭上から降ってきた白玲の声は素直そのもので、それが偽りのない気持ちであるのがわかった。

 だから、雑胡を作り、霖雨に託した。おもねりと取られるかもしれないが、白玲の願いにこたえたかった。

 確かに、はじめは役目のためだった。白玲が受けれてくれなければ、鬼方士として働くことができない。だから、どうしても門扉を開きたかった。

 けれど、いまは少し違う。

 ずっと考えもなく信じ込んできた。屍王は人とは別の生きものだ、と。

 しかし、実際に目にした白玲はまるで違った。けたはずれの力を持っていようとも、感情もあらわに慌てたり、童のように食べ物を欲しがったり、その姿は人と同じだ。

 己の偏見と無知を恥じたあと、冬惺の胸にかつてない想いが芽生えた。

 屍王という存在を、いや白玲のことを正しく知りたい。役目だからではなく、冬惺自身の心がそれを望んでいた。

 白玲にとって、前屍王や黒玄府の鬼方士たちがどんな存在であったか、それはわからない。だが、近しい者たちを一度にすべて失うことがつらくなかったはずはない。

 残される者の苦しみを冬惺は知っている。

 並べて語るなどおこがましいが、白玲があの痛みを抱えながら、ひとり戦い続けているのかと思うと心がきしむ。たとえわずかでも助けになれたら。そう思うのは身の程知らずだろうか。

 がいとうでは防ぎ切れず、叩きつけてくる雨滴が髪や衣服を冷たくらしていく。

 開かぬ門の前で立ち尽くす冬惺をあざわらうように、風がひとわき鋭く鳴った、そのときだった。

 すさまじい勢いで強大な神力が近づいてきたかと思うや、門扉が左右に大きく開く。

 冬惺が驚きに目を見張る中、いまのいままで想い描いていた姿──白玲が中から飛び出してきた。

「おまっ……よりにもよって、何故そんなところに突っ立っている?」

 白玲は風雨に身をさらす冬惺に目をくや、怒鳴りつけてくる。

「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、どこまで馬鹿なんだ。どうかしているぞ」

 白玲は荒々しい足取りで近づいてくると、冬惺の手をわしりとつかむ。

 途端、吹きつけてきていた風雨がぴたりとんだ。

 扉が開き、白玲が現れたこともそうだが、いきなり雨が止んだことがまず不思議で、冬惺は周囲を見回す。

 相変わらず、あたりは嵐のただなかで、雨も風も吹き荒れている。次第に遠ざかっているとはいえ、雷も止んではいない。

 それでも、風雨を感じないのは、それらが届く手前ではじかれているからだ。

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