壱 招かれざる鬼方士④

「それで? 何の用だ?」

「楼門の前の方からの預かり物をお持ちしました。白玲様にどうしてもと。玄冥宮が余計な干渉を嫌うことは存じておりますが、いちな熱意についほだされまして」

「白々しい。おまえのことだ、さぞ法外なまいないをむしり取ったんだろ」

「法外といえば、そうかもしれませんね。なにせ、この私が菓子包みひとつで引き受けてあげたんですから」

 菓子包みのひと言に、白玲の頰が引きつる。

 その動揺を見逃す霖雨ではない。実に楽しそうに目を細めると、懐から小さな包みを取り出した。

「まずは、昨日はお見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんという謝罪。それから、あのときご覧になったものといえば、おわかりいただけるはず。というのが、冬惺殿の言伝ですが……どうやらお心当たりがあるようで」

 めいた笑みを含みながら、霖雨は包みを差し出す。

 白玲はぶすりと唇を引き結んだまま、受け取ろうとはしない。

 しかし、それも想定内とばかり、霖雨は涼しい顔で言葉を重ねる。

ざつというそうです」

「なに?」

「この包みの中身です。鬼方士の携帯食で、きびあわの粉に、干したなつめを混ぜていためたものを乾かし、棒状に切ったもの、だとか。私も同じものをちようだいしましたが、悪くありませんでしたよ。冬惺殿は器用でいらっしゃる」

「あいつが、自分で作ったというのか?」

「唯一、得意だと胸を張れるのがこの雑胡作りだとか。私が調べた限り、冬惺殿は五岳でも有数の腕利きですけどねえ。けんそんも過ぎると鼻につきますが、ああもよどみがない人間が言うと臭みが出ないから恐ろしい」

 霖雨の話も右から左で、白玲はまじまじと包みを見つめる。

 散々無視して、ひたすら待ちぼうけをわせ続けた相手のために、手間暇をかけて作ったというのか。

「なんで……」

 困惑から、白玲は独りごちる。

 無論、拒絶を続ける自分に取り入るためと考えるのが自然だろう。

 曲がりなりにも皇帝の勅命となれば、冬惺はこの務めをおいそれと投げ出せない。現状打破の糸口になると思えば、多少の骨折りは惜しまないはずだ。

 だが、どうしてだろう。何故か、そんな打算があるとは思えなかった。

 冬惺がこの雑胡に込めた想いは、美味そうだと言っていたから食べさせてやりたいという、ごく単純で純粋なもの。根拠はないが、そう感じられてならない。

「神の代行者に勧めるようなものじゃないとか、そもそも自分が作ったものなどとか、あれこれ悩んだみたいですが、昨日の白玲様の様子を思い返すと、贈らずにはいられなかったとまあ、涙を誘うほどのけなさで。それにしても、どれだけ物欲しそうな顔をして見せたんです?」

「誰がそんな……そもそも、欲しがった覚えなどない」

「へえ、では要らないと? なら、処分するとしましょう。冬惺殿も、不快なら捨ててください、と言ってましたし」

 霖雨はいまにも放り投げんばかりに包みをかかげる。

 ほとんど反射的に、白玲は霖雨の手から包みを奪い取っていた。

「おや、収めてくださるので?」

 白玲は悔しげに唇をみ、霖雨をにらむ。

 まんまとしてやられた。しかし、手にしてしまった以上、あとには退けない。

「……わかった、これは受け取る。あいつにもそう伝えろ。そして、おまえは用が済んだら帰れ」

「収めてくださり、なによりです。雑胡ひと包みの義理が果たせて安心しました」

 霖雨は満面の笑みで白玲にきようしゆし、するりときびすを返す。

 遠ざかっていく背中に対し、白玲は舌を打ったが、やがて包みに視線を戻す。

 頭の中に、門前にたたずむ冬惺の姿が浮かんでくる。

 きっと、どれだけ無視を続けても冬惺はあきらめない。ずっと、白玲が門を開いてくれると信じて待ち続けるのだろう。

「白玲様。受け取ったからにはやはり、相応の返礼が必要かと」

「我々も、礼儀知らずになるのは嫌でございますよ」

 控えていた凜々と宵胡が遠慮がちながらも告げてくる。

 そろって胸の内は同じ、いい加減に冬惺を受けれてやれと言いたいのだ。

けされるつもりはない」

 言外で侍女たちの進言を突っぱねながらも、白玲はそっと包みを抱え直す。

 純粋な心遣いがうれしくないと言えば噓になる。

 白碧の懸念通り、自分は弱い。こうしてぬくもりを差し出されれば、自戒を忘れて、飛びついてしまいそうになるほどに。

 最初は玄冥宮に迷い込んできたねこだった。そして、次は北斉たち。目の前に現れた温もりにあらがえず、次々と手を伸ばしてきた。

──おまえには必要だから、温かいものを抱え込むのは構わない。だが、心の内に入れ過ぎてはいけないよ。それは執着につながるから。

 そんな白碧の教えを守れたためしはなく、失うたびに打ちのめされてきた。

 だからこそ、今度は手を伸ばさない。弱いからこそ、無理なのだ。

 不意に重い湿り気を含んだ風が吹きつけてきて、うつむき加減になっていた白玲の髪をなびかせる。

「嵐が来る……三日後は来ない方がいいとあいつに教えてやれ」

 侍女たちに言い置いて、白玲は玄冥宮に戻っていく。

 一日のはじまりを迎えたばかりの空は晴れ渡っていて、荒天の気配はどこにもない。

 しかし、屍王が荒れると言えば必ず荒れる。

 めいきゆうせんと呼ばれる九つの水の層の最深部にあり、別名をみなそこの国ともいう。

 水は死の世界に生きる者たちの力の根源であり、屍王もまた水を通じて神力を得ている。それ故に、屍王が水の気配を読み違えることはない。

 だが、その力をもつてしても嵐を止められないのと同じく、どう諭したところで冬惺はやって来るのだろう。

 そんな揺るぎない確信を白玲は見て見ぬフリをする。

 それ以外に、どうすればいいのかわからなかった。


               *


 白玲の言った通り、三日後の昼を過ぎた頃から、たたきつけるような激しい雨が降りはじめた。

 合わせて吹きはじめた強い風にあおられて、雨はまるでむちのごとくしなり建物や木々を打つ。バラバラと重い雨音と、悲鳴めいた風音を聴きながら、白玲は落ち着かない気分で座牀ながいすに身を横たえていた。

 元より暗がりにまみれていた空は夕刻を迎えてますます闇を深めた。外の世界はいまや半歩先もおぼつかないほど、漆黒一色に塗りつぶされている。

 しかし、それでも冬惺はいつもと同じくやって来た。確かめに行かずとも、霊力を探ればわかる。

 凜々と宵胡も察しているのだろうが、そろって何も言わない。物言いたげな空気はひしひしと伝わってくるが、懸命に耐えているようだ。

 ひたすら心を無にしてやり過ごすと、白玲は三日前から決めていた。

 何も感じないように、何も考えないように。

 そもそも、屍王は使命ありきの存在だ。

 九玄大帝の代行者として梟炎を狩り、翠炎を集める。それがすべてで、他に動じることはない。そういう風に創られている──はずなのに。

 どういう訳か、白玲は違う。余計な感情を持ち、使命以外の事柄にも心が揺るがされてしまう。

 それは多分、白玲が飛び抜けて強い神力を授かったことが原因だろうと、白碧は説明づけていた。

 屍王という代行者を挟んだ、間接的なものであっても、神が現世に干渉するのは許されざる行為である。

 仮に九玄大帝が己と並ぶほどの神力を屍王に与えていれば、梟炎狩りはすでに終わりを迎えていただろう。だが、そんな存在を遣わせば現世を大きく壊してしまう。

 おそらく、神々の中には、現世に及ぼす影響の限界はここまでだとする尺度があり、屍王に与える神力もそれを超えないように調整されてきた。

 しかし、昨今の梟炎の変容は著しく、明らかに従来の基準では対処できなくなってきている。だから、九玄大帝は屍王に与える神力を増やした。その強化の余波が感情面に及び、白玲は人に近い心を持って生まれてしまった。あくまで持論としながらも、白碧はそう考えていた。

 これまでになく高い思考力を備えて創られた白碧も、白玲ほどではないにせよ、後継に対する親心という屍王らしからぬ感情を持っていた。

 己の能力は不穏な変容を続ける梟炎の実態把握と分析、そして今後の戦略を考えるためにあるとして、冷徹に使命をまつとうしながらも、一方で白玲の行く末に心を砕き続けてくれた。

──おまえはきっと、私とは比べものにならないほど多くにとらわれ、そして苦しむのだろうね。

 昔日のどこかで聞いた、白碧の言葉がよみがえる。

 いま胸の内でせめぎ合う苦味がまさにそれだ。

 本来であれば知らずに済んだはずの痛みに白玲が唇を嚙んだ瞬間、すさまじい雷鳴がとどろく。

 耳がしびれるほどのごうおんで辛うじて残っていたこらえが切れた。

 白玲は勢いよく立ち上がると、一直線に扉へ向かう。

「白玲様、どこへ?」

「外に出るのでしたら、我々も一緒に」

「ひとりで構わん。すぐに戻る」

 侍女たちを残して、白玲は扉を開く。

 行く手を遮るように吹きすさぶ風雨にもひるまず、白玲は玄冥宮を飛び出した。

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