壱 招かれざる鬼方士③

 霖雨が悪びれもせずに放言していたが、冬惺はまいない次第で取り持ってやろうという霖雨の申し出を丁重に断ったらしい。いわく、来て欲しくないという白玲の気持ちを押しのけて、金銭で無理強いするような真似はしたくないとか。実に清く正しい馬鹿だと霖雨はあざ笑っていたが、白玲にすれば笑えない話だった。

 要するに、潤冬惺は清廉で真面目な人間であり、このうえなくしんに役目と向き合おうとしている。そして、自分はその誠心を日々踏みにじっている。凜々や宵胡と同じく、白玲もまたこの事実にどうしようもなく追い詰められていた。

 とにかく、玄冥宮に来るのをやめさせたい。げんが悪いとかなんとか、こじつけでいいから理由になるものはないかと、白玲は冬惺を注意深く眺める。

 冬惺は昇り切った太陽に目を向けて、なにやら疲れた息を落とす。

 鬼方士の体力や精神力は常人離れしているが、それでも報われない努力はこたえるだろう。目の下には薄いクマが浮いていた。

 さらに増した罪悪感に白玲は頭を抱える。

 一方で、そんな苦悩に気付けるはずもない冬惺は、軽く両手を伸ばしてから、おもむろに懐から小さな包みを取り出した。

 これまでにない動きに白玲は身を乗り出す。

 しかし、なんということもない。開かれた包みの中は小さな棒状の食べ物だった。

 菓子だろうか。色は褐色で飾り気はない。小麦を使った焼き菓子のスーに似てなくもないが、白玲の知るそれとは随分と違う。

 見たことのない食べ物の登場に、白玲の視線に違った熱がこもりだす。

 神も屍王も人間同様、生きていくうえで食事や睡眠は欠かせない。

 屍王の暮らしの必需品は供物という形で皇城から支給されるが、その大部分が後宮の上級妃たちと同じ水準で用意される。そのため、白玲の食生活はかなりぜいたくで、質の高いものばかりを口にしている、のだが。

 冬惺が手にした、あの菓子めいた棒はなんなのか。北斉たちと二年共にしたことで、鬼方士のことはそれなりに知っているが、あんな食べ物は見たことも聞いたこともない。

 よくよく眺めてみれば、雑穀や干した果実だろうか、いろいろなものが混ぜ込んである。時に飾らない野の花がなによりも美しく見えるように、洗練された宮廷菓子とは対極の、素材そのままの姿形がとにかく新鮮だった。

 冬惺は手にした一本を残して包みを懐に戻すと、特に感慨もない様子でかじりはじめる。ゆっくりとしやくする様子から、見た目より硬そうだ。口にすればほろほろと溶ける焼き菓子しか知らない白玲にとって、それもまた衝撃であった。

 どうしようもなく好奇心が刺激される。悪いとは言わなかったが、白碧は白玲の食い意地の強さを常々案じていた。

──それが原因で失態を演じるようなことがなければいいが。

 そんな前任者の心配通り、白玲は謎の菓子に夢中になるあまり、ついうっかりぞうで膨れ上がった欲を口にしてしまった。

「…………美味うまそう」

 完全に意識の管理を外れたつぶやきに、一番驚いたのは白玲であった。

 そして、それほどではないにしろ、冬惺もまた十分に驚いた。

「え……?」

 大慌てで口に手をあてた白玲と、びっくりした様子で頭上を仰ぐ冬惺の目と目がかち合う。

 視線のかいこうは一瞬。

 冬惺は急いで声をかけようとしてきたが、それに先んじて白玲は身を翻す。

 まさにだつのごとく。白玲はすさまじい速さで楼門から逃げ出した。

 必死に駆けながら、白玲は前回以上に己をなじりになじる。

 どうしてこう、自分は迂闊なのか。盗み見に気づかれただけでなく、謎の菓子に気を取られて、とんでもない失言まで聞かれてしまった。

「違う。聞かれていない。絶対ないっ……」

 いちの望みにすがりながら、白玲は「聞かれていない」と繰り返す。

 それがむなしい願いであることは、他でもない白玲が一番よくわかっていた。



 翌日。

 その夜は梟炎狩りに出なかったため、白玲は寝床に入ったものの、いまもまた冬惺が門前に立ち続けていると思うとロクに眠れなかった。

 夜が明けて、凜々と宵胡が、定例の荷の受け取りに出かけていく。

 ふたりを無言で見送ったあと、白玲は起き抜けの姿のまま、座牀ながいすに腰を下ろす。

 寝不足で頭が上手うまく回らない。しかし、どれだけぼんやりしていようと、昨日の醜態だけはやたらと鮮明に浮かんでくる。

 あの失言を聞かれたからといって、何が変わる訳でもない。また無視を続けて、向こうが根負けするのを待てば良い。

 幾度となく自分に言い聞かせるも、心はまるで落ち着かない。白玲はゆううつを引きずりながら、座牀に寝そべりおうのうする。

 どうして屍王の力の中には記憶を消す術がないのだろう。それさえあれば、すぐさま解決できるのに。らちもないことをぐずぐず考えているうちに、大きな荷を両手に抱えた凜々と宵胡が戻ってきた。

 玄冥宮には屍王が許しを与えた者しか入れないため、皇城の従僕たちは手前までしか荷を運べない。

 だが、外見は少女でも中身は違うふたりにとって、多少の荷運びなど苦にもならない。まさに朝飯前だ。

 凜々と宵胡はてきぱきと運び込みを終えると、改めて座牀に寝そべる白玲の前に立つ。

「白玲様」

「お話があります」

「…………なんだ?」

 身体どころか顔さえ上げず、物憂げ全開ながらも、白玲は返事をする。

 昨日、すさまじい勢いで戻ってくるなり、自室にあたるひがしそうぼうに引きこもった姿から察するものがあったのか、凜々と宵胡が理由を尋ねてくることはなかった。

 今朝もおそらく、冬惺は門前に立っていただろうが、白玲が何かやらかしたと推し量っているいま、ふたりがあえてそこに触れてくるとは考えにくい。

 さとく、それ以上に過保護な侍女たちが、それでも白玲に伝えようとするからにはそれなりの事情があるのだろう。だとすれば、聞かない訳にはいかない。

「霖雨殿がお話があるそうです」

「昨日の件と言えば、おわかりになるはずだと」

 宵胡が口にした、霖雨の意味深なことづてに髪を引っ張られる心地で、白玲はノロノロと身を起こす。

「……まだ外にいるのか?」

「はい。玄冥宮の前でお待ちですが……大丈夫ですか?」

「嫌なら、力尽くで門の外に投げ返しますよ?」

 懸念を含んだ宵胡のうかがいに続き、凜々が頼もしく力こぶを作ってみせる。

「構わん、出る」

 聞きたくないが、聞きたい。

 相反する感情を持て余しながら、白玲は立ち上がる。

 霖雨はきっと、冬惺から何かしら聞いているに違いない。冬惺が昨日の一件についてどう考えているのか、嫌ではあるが知りたかった。

「身支度は?」

「このままでいい。あの性悪に礼儀など無用だ」

「それもそうですが、せめて帯だけでも締め直させてください」

 つき従う凜々と宵胡に焼け石に水程度の身繕いをされながら、白玲は外に向かう。

 扉を開けば、霖雨が底意地の悪い笑みを浮かべて立っていた。

「おはようございます。さてさて、なにやら妙なことになったようですね」

「御託は不要だ。早く用件を言え」

 楽しげにうそぶく霖雨のしりばしてやりたい衝動をこらえて、白玲は先を促す。

「霖雨殿、白玲様をいじめるおつもりですか?」

「無礼は許しませんよ」

 我らが務めとばかりに、凜々と宵胡が白玲をかばうように割って入ってくる。

 玄冥宮の歴史のはじまりから知るふたりにすれば、屍王を継いで一年の白玲などひよっこ同然。それ故に、態度が侍女というより乳母のごとくになりがちだ。

「いつもながらしいですねえ。私にも母性があれば、白玲様のお心を多少なりともほぐすことができたでしょうに。残念な限りです」

「凜々、宵胡。控えていろ」

 白玲は侍女たちを脇に下がらせる。

 霖雨のからかいに乗るのはしやくだが、白玲とて幼子扱いされるのは不本意だ。

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