壱 招かれざる鬼方士②
白玲は一度目を閉じ、気持ちを落ち着けると、
白玲は春蘭の花香を薫らせる翠炎を両手でそっと包み、すでに灯架で燃え立つ他の翠炎に近づける。すると、翠炎と翠炎はたちまち溶け合い、いっそう強く輝きはじめた。
連火を終えたことで、緊張に
しかし、
この美しく揺らめく翠炎のため、犠牲になった者たちを思い起こせば、どうしても心は重くなる。
現世に散ったすべての梟炎を狩り、すべての翠炎を取り戻す。その日まで、屍王の使命は終わらない。
いまや
白碧もそうだった。
黒玄府という味方を得て、梟炎狩りの成果は確かに上がった。けれど、賢明が過ぎるせいで先が見えていたのだろう。黒玄府を創った頃から、白碧は自身が滅したあとの話をするようになっていった。
──私が消えたあと、屍王となったおまえは、きっと孤独に逃げる。再び失うことを恐れて、すべてを遠ざけようとするに違いない。でもね、それはいけないよ。おまえは私以上に、ひとりで戦うことに向いていない。どの屍王よりも強く、どの屍王よりも弱い。それが白玲、おまえなのだから。
この話は殊に何度も言って聞かされたが、諭す裏側で白碧は白玲が必ず背くと見越していたのだろう。
──定めた期間が過ぎても白玲が鬼方士の招集を行わなければ、そちらから命を下し、送り込んで欲しい。
白碧が皇帝に
白玲とて、白碧を裏切るのは
白玲にとって、屍王の使命を果たすことは意義であると同時に償いでもある。決して許されることのない罪に報いるためにも、命ある限り梟炎を狩る。そのためにはどんな辛苦も
だが、これだけは譲れない。仲間を持つことだけはしたくない。
絶対に嫌なのだ。二度と、あんな思いをしたくない。もう誰も、己の使命に巻き込みたくない。
「……誰もいらない。ひとりでいい」
己に言い聞かすようにつぶやき、白玲は天縹萬樹に背を向けた。
*
ひと月が過ぎ、季節は夏にかかりはじめた。
昼中は汗ばむほどの暑さになる日も増えてきているが、九玄大帝の神力を帯びた水が巡る玄冥宮は常に外界を拒むような、そんなひやりとした空気に包まれている。
「……しつこいにもほどがある」
本当なら舌打ちをしたいところだが、いまはそうもいかない。白玲は足音を潜めながら橋を渡っていく。
事は昨夜、凜々と宵胡に泣きつかれたことに端を発する。
侍女たちは口々に可哀想で見ていられないとわめき、とにかく一度その目で確かめてこいと、朝になるなり、白玲を玄冥宮から放り出した。
可哀想というのは他でもない。白碧が暗々裏に手配した鬼方士のことである。
ああも
白玲に限らず、屍王が楼門をくぐることはほぼないが、凜々や宵胡は皇城から隔日で送られてくる荷を受け取るため、夜明けに門を開き、外に出る。その度々、
はじめの日と違い、冬惺は夕暮れの一刻前にやって来て、夜明けから一刻過ぎた頃に帰って行った。冬惺が時刻を変えた理由はすぐにわかった。鬼方士の討伐対象である
だが、残念ながらその努力が実ることはない。このひと月の間、白玲はすでに十二度梟炎狩りを行っている。けれど、冬惺とは一度も顔を合わせてはいない。冬惺が毎晩欠かさず楼門の前に立っていたにもかかわらずだ。
黒玄府を創る交渉の中で、白碧が絶対としていたのが玄冥宮の機密の保持だった。
鬼方士たちは玄冥宮で見聞きした一切を口外しないこと。また、五岳側も鬼方士たちに開示を求めないこと。白碧はこのふたつの徹底を強く迫った。当然、五岳も反発を示したが最後には折れたらしい。白碧があらゆる論述を駆使して手折った、という方が正しいのかもしれないが。
北斉たちが誓いを守り抜いてくれたことは、白玲が梟炎狩りに赴く手段を冬惺が知らずに、楼門の前で待ち続けている点から
秘密が守られていて良かった。
屍王がどうやって梟炎狩りに赴くのか。それを知っていたら、冬惺はじっとしていなかっただろう。そんなことを思いつつ、白玲は楼門の前で足を止める。
実のところ、冬惺の様子を探りに来たのはこれがはじめてではない。十日前にも様子をのぞき見ようと楼門を登ったのだが、あっさり勘づかれて逃げ帰る羽目に陥った。
あとから考えてみれば、屍王が放つ強大な神力に、察知能力のある冬惺が気づかないはずもない。己の
こちらが気にしていると悟れば、冬惺はますます
いっそ率直に、勅命を取り消せと、皇帝に申し立てることも考えたが、白碧の手が回っている以上、抵抗したところでおそらく無駄に終わる。白碧をよく知る白玲には嫌というほどそれがわかっていた。
詰まるところ、向こうが諦めるまで待つしかない。
白玲は覚悟を決めて、無視を続けてきたが、良心と母性が限界を迎えた侍女たちの圧力に屈し、再び楼門に向かっている。
今回は事前に術をほどこし、神力と気配を
そろりそろりと、物音どころか息さえ殺して、白玲は楼門を登っていく。
仮にもここの主たる自分が、どうしてコソコソしなければいけないのか。冷静に考えると腹が立ってくる。
とはいえ、また酷い言葉を投げつけて、追い返すのも気が進まない。とにかく、いまはちゃんと様子を見てきたという実績を作り、侍女たちを納得させるしかない。
白玲は亀に似た歩みで登り切ると、ほとんど
そこから慎重に首を伸ばし、のぞき窓から外を見下ろす。今日も今日とて、冬惺は楼門の前に立っていた。
姿勢が良く、立ち居にも隙がない。まだ年若いが、修練と実戦経験に不足がないことは研ぎ澄まされた霊力が物語っている。
性根のみならず、口も悪い霖雨などは「まるで捨て犬」などと面白がっているが、たとえが的外れでないところが辛い。
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