壱 招かれざる鬼方士①

 いまより時をさかのぼること、二百年と少し。

 たいせいこくの初代皇帝と、神にしてめいの王であるげんたいていは、かつてひとつの契約を交わした。

 皇帝は病で死んだちようをよみがえらせてもらう。

 そのかわりとして、子々孫々に至るまで九玄大帝の望みに助力を続ける。それが契約の内容だ。

 九玄大帝の望みとは我が子、すいにやんにやんを無残にい殺し、挙げ句人の世に逃げおおせた神獣、きようきようを討ち滅ぼすこと。

 人の世同様、神の世にも守るべき規律がある。

 数ある中でも、〈神は人の世に関わってはならない〉という決まりごとは厳格にして絶対で、どれほど強い神でも破れない。本来であれば、梟叫を人の世に逃がしてしまった時点で、九玄大帝は敵討ちを諦めなければならなかった。

 しかし、どうあっても思い切れなかった九玄大帝は、右目をえぐるという罰と引き換えに己の代行者を人の世に送り込んだ。それこそがおうげんめいきゆうあるじである。

 くして、太星国の皇城、らつけいじようの奥深くに〈玄冥宮〉と呼ばれる殿舎と、その主である〈屍王〉という存在が生まれた。

 滅びれば次、また滅びれば次と、屍王は何代にもわたり九玄大帝の悲願のために戦い続けてきた。

 しかし、いまだ成就には至っていない。



 玄冥宮は水上に建っている。

 楼門をくぐった先にのびるのはぎんしや色の広い橋。その向こうに殿舎がある。

 門扉を閉めたそばから、はくれいは足早に橋を駆けた。

 勢いのまま短い石段をのぼり、扉を開く。

 そこは玄冥宮のせいぼう。中に入れば、控えていたふたりの少女がそろって白玲に拱手し、頭を下げてきた。

 見た目はどちらも十四、五歳の少女のようだが、その正体は三百年近い時を生きる女仙である。ふたりは玄冥宮誕生の折より冥府から現世に下り、代々屍王に仕えている。

 薄桃と群青、色こそ違うが、両名はそろってきっちりとじゆくんをまとい、髪を高く結い上げている。屍王の衣食住の世話を焼くのが主な役目だからと、宮中の侍女に似せた身なりにしているらしい。

「白玲様。お帰り早々、大変でございましたね」

「さぞお疲れでございましょう。湯浴みの支度ができております」

 丸く大きなそうぼうが愛らしいりんりんと、目元涼やかなしようが顔を上げて、それぞれにねぎらいの言葉をかけてくる。

「あとでいい。まずはれんを済ませてくる」

 白玲は足を止めないまま、ふたりに答えを返した。

「承知しました」

「お待ちしております」

 再び頭を下げたふたりの間をすり抜けて、白玲はさらに奥に向かう。

 玄冥宮は大きく四つの房にわかれている。正面の正房、その左右に柱廊でつながるひがしそうぼうと西廂房、そして背後にひときわ長い尾廊を挟んで祭殿がある。

 正房を出て、尾廊を進むうちにも、白玲の胸の内に怒りがこみ上げてくる。

 爺さんめ、あれほど寄越すなと言ったのに。

 白玲はいらち紛れに舌を鳴らす。

 前屍王で、白玲の育ての親でもあるはくへきがここにいたら、たちまち無作法だと𠮟られたところだ。

 だが、白碧はもういない。たしなめられることも二度とない。

 白碧が集め、仲間と呼んだほうたちもいない。

 誰も彼も、一年前に死んでしまった。白玲の落ち度のせいで。

 ぐっとこぶしをにぎり、白玲はいっそう足早に尾廊を行く。そうして、突き当たった扉を開き、玄冥宮で最も奥に位置する祭殿に入った。

 広い祭殿の中は何処よりも濃く春蘭が香っている。

 冷たい石壁に囲まれた殿内にあるのは中央に据えられた祭壇と、その向こうにそびえる巨大なしよくだいのみ。

 窓はないが、中は燭台の淡い光で満ちている。

 白玲は扉を閉めると、祭壇の前に歩み寄り、そこから燭台を仰ぐ。

 漆黒の燭台は白玲が大きく首を反らさねばならないほどに高く、また限界まで手を伸ばしても到底抱え切れないくらいに幅広い。十二支が刻まれた円盤形の灯座に立つしん棒から、百を超える灯架が四方八方に伸びる様はまさに生い茂る大樹である。

 その大きさにも目を見張るが、さらに驚くべきは数え切れないほどの炎がともされているにもかかわらず、あたりにまるで熱がないことだ。むしろ、季節をさかのぼったように殿内は肌寒い。

 前に立てば、このあおい炎こそが春蘭の香りの源なのだとわかる。

 花香をくゆらす数多あまたの蒼い炎の群れ。これは九玄大帝のまなむすめ、翠霞娘娘の霊魂の欠片かけらたちである。

 人は死後、霊魂となって冥府に送られる。

 人の霊魂の多くは生前に犯した罪でけがれており、そのままでは今世を終えることができない。来世を迎えるためにも、冥府のごうきよめなくてはならない。

 浄化の際、霊魂はしよくざいの苦しみからえんを吐き出す。そのもろもろが冥府を穢すことがないように、怨嗟を焼き尽くす役目を担っていたのがくだんの神獣、梟叫だ。

 梟叫は業火の化身であり、その唯一の糧は翠霞娘娘が咲かす春蘭の花だった。清らかな姫神の博愛のみが、怨嗟にまみれて生きる非業の神獣の心とはらを満たした。

 そうやって百年、また百年と時を重ねていくうちに、定まりを持たぬはずの梟叫の心に確固たる想いが芽生えた。

 言うなれば、それはかなわぬ恋。

 翠霞娘娘を自分だけのものにしたい。そのまなしを、そのほほえみを、指先からこぼれる春蘭の花弁をひとつ残らず我が手に収めてしまえたら。欲望をつのらせた果て、梟叫は翠霞娘娘を無残に引き裂き、喰らい尽くした。

 梟叫の暴虐を知った九玄大帝の怒りはすさまじかった。かくのままに、その身の内に翠霞娘娘の霊魂があることも忘れ、梟叫を万余に切り刻んだ。

 九玄大帝はすぐさま己の失態を悔いたが、時すでに遅く。無数の断片となった梟叫は世のつなぎ目の隙間から現世に逃げ去ってしまった。

 屍王の使命は梟叫の断片である〈きようえん〉をすべて捜し出し、狩ることだ。それは敵討ちであると同時に、その肚の内に収められた翠霞娘娘の霊魂の一片を取り返すことでもある。

 翠霞娘娘の魂の欠片は〈すいえん〉と呼ばれ、取り返す度にこの巨大な燭台、〈てんぴようばんじゆ〉に灯される。この一連の作業が先程白玲が口にしていた〈連火〉だ。

 招かれざる連中のせいで連火を済ませることができなかった。

 腹立たしさに混ざって、白玲の脳裏に寸分前の光景がよみがえってくる。

 性悪かんがんりんの顔は眺めて楽しいものではないが、だからといって今更思うところもない。問題はもう一方、妙にほうけた顔でこちらを見ていた背の高い男だ。

 男が身につけていた鬼方士特有の黒揃えの装束や、黒いつかの剣に心がざわつく。懐かしいという想いと、それをはるかにしのぐ罪悪感が襲ってきて、白玲は堪らずじようの胸元をつかむ。

 ほくせいめいらいてんがいれい駿しゆんせいこう……かつて玄冥宮には五人の鬼方士が出入りしていた。

 そもそも、玄冥宮は屍王のみに許された空間、絶対の不可侵域である。凜々や宵胡のような、屍王が直々に許可を与えた者以外は立ち入れない。

 二百年以上にわたり、代々の屍王たちは魂に備わる本則を守り、誰の手も借りず、ひとりきりで梟炎を狩ってきた。

 だが、前屍王である白碧はそれを破った。

 理由は、長い時を経るうちに梟炎がごわさを増していき、いよいよ白碧ひとりの手には余るようになってきたからだ。

 屍王と共に戦える者を融通して欲しい。

 白碧は皇帝を通じ、ようと戦う能力を持つ者たち、鬼方士が集うがくに申し入れを行った。

 それまで、絵空事に等しかった存在からの突然の要求に、五岳側の動揺は相当なものだったらしい。だが、才智に秀でた白碧には容易たやすい交渉だったのだろう。瞬く間に話をまとめ、玄冥宮の中にこくげんという小規模な鬼方士の組織を創り上げた。

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2024年11月23日 12:00
2024年11月24日 12:00
2024年11月25日 12:00

玄冥宮の屍王 有田くもい/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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