いつもはおしとやか、弱ると甘えんぼう――3

 俺が作ったのは、ショウガの絞り汁とハチミツを加えたおかゆだ。


 ショウガには血行を促進して体を温める効能があり、ハチミツに豊富に含まれているブドウ糖は、速やかに体に吸収されるので、消耗時のエネルギー源として優れている。いずれも風邪の際にはうってつけだ。調味料としても有能で、淡泊になりがちなおかゆに、香りとコクをプラスしてくれる。


 できあがったおかゆを持って、彩芽の部屋に戻ってきた。


「お待たせ。ご飯、作ってきたよ」


 ノックとともに呼びかけると、静かにドアが開けられた。


 顔を覗かせた美影が、立てた人差し指を口元に当てた。彼女の意図を察した俺は、黙って頷きを返す。


 美影に招かれて、音を立てないように部屋に入る。案の定、彩芽は眠っていた。


「神田さんが台所に向かわれたあと、眠ってしまわれたのです」


 彩芽を起こさないように、美影が小声で知らせてくる。


「神田さんとしては、できたてを召し上がってほしいところでしょう。ですが、彩芽様が自然に目を覚まされるまで、お待ちいただけないでしょうか?」

「構わないよ。彩芽の体が第一だからね」

「ご理解、感謝します」


 気遣う俺に、美影がお辞儀をした。


 ひとまず、おかゆは机に置かせてもらおうかな。


 おかゆが載ったお盆を机に置いていると、美影が提案してくる。


「彩芽様の看病は交代で行いませんか? わたしたちがともに看病をしましたら、彩芽様が気に病まれると思うのです」

「たしかに。彩芽は気を遣うところがあるからね」


 林間学校の山登りで、体が弱い彩芽は俺たちに助けを求めるほかになかった。そのことで俺たちの足を引っぱったと思ってしまったらしく、カレー作りで挽回しようと、彩芽は無茶をするところだったのだ。


 そのことを踏まえて考えると、俺と美影が一緒に看病をしたら、『ふたりに迷惑を掛けてしまった』と、彩芽が罪悪感を覚えてしまうかもしれない。彩芽が胸を痛めてしまわないよう、美影の言うとおりにするのがいいだろう。


「なら、一時間毎に交代するってのはどう?」

「妥当ですね」


 俺の意見に美影が賛同した。


「では、ここから一時間、彩芽様の看病は神田さんにお願いしたく思います。わたしは自室で控えていますので、なにかありましたら遠慮なくお呼びください」

「わかった」


 首肯を返す俺に「失礼します」と頭を下げて、美影が部屋を出ていった。


 音を立てることなく、ドアが閉められる。


「……いい匂い」


 美影を見送ったのとほぼ同じタイミングで、彩芽のか細い声が聞こえた。


 見ると、机の上の土鍋に、彩芽が半開きの目を向けている。空腹だったこともあってか、おかゆの香りに覚醒を促されたようだ。


「おはよう、彩芽。ご飯、食べる?」


 俺の問いかけに、コクリと彩芽が頷く。その表情はぽけーっとしていて、まだ本調子じゃないことを表していた。


 幼さを感じさせる仕草と表情に笑みを誘われつつ、彩芽の背中に手を回す。


 上体を起こすのを手伝ったあと、机に置いておいた、土鍋の蓋を開けた。


「はい、どうぞ」


 湯気の立つおかゆを茶碗によそい、レンゲとともに彩芽に差し出す。


 しかし、彩芽は受け取ろうとしない。フルフルと首を横に振るだけだ。


 どうしたのだろう? と俺は首を傾げる。


 不思議がっていると、彩芽が口を開けた。


「あーん」


 どうやら食べさせてほしいらしい。本当に、今日の彩芽は甘えんぼうだ。


 普段の俺ならば、あーんをせがまれたことに慌てふためいていただろう。だが、いまの彩芽が幼く見えるためか、照れくささよりも慈愛のほうがまさった。


「しかたないなあ」


 俺は苦笑を浮かべ、おかゆを掬ってフーフーと冷ます。


「はい、あーん」

「あーん」


 口元に運ばれてきたレンゲを、彩芽がパクリと咥えた。


 ハムスターみたいにモキュモキュと咀嚼そしゃくして、コクンとのみ込み――


「……美味しい」


 ふにゃりと頬を緩める。


 天使のものとしか思えない笑顔に、俺の胸がキュゥゥンと高鳴った。


 いつもの彩芽はもちろん可愛いが、いまの彩芽には別種の可愛さがある。例えるなら、いつものが『女性的な可愛さ』で、いまのが『幼子みたいな可愛さ』だ。


 つまりなにが言いたいかというと、『彩芽は可愛い』ということだ。ものすごくIQが低いことを述べている気がするけど、許してほしい。彩芽が可愛すぎて、脳がバグってしまったのだ。


 愛おしさが際限なく溢れてきて、吸い寄せられるように、彩芽の頭に手を伸ばす。


 ブラウンの艶髪つやがみを優しく撫でて――俺は我に返った。


「ゴ、ゴメン! 勝手に撫でちゃって!」


 慌てて手を引っ込める。


「……ん」


 そんな俺の手を追い掛けるように、彩芽が頭を差し出してきた。


『もっと撫でて?』とねだるように、小豆色の瞳が上目遣いをしてくる。


 な、なにこの可愛い生き物!? 持って帰りたい!


 もはや俺はメロメロだった。いまならば、彩芽にどんなおねだりをされても無条件で聞いてしまうだろう。


 引っ込めた手を差し出された頭に戻し、お姫様が満足するまで撫で続けた。

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