もしかしてだけど――8

 林間学校二日目の夜。最後のレクリエーションである肝試しを行うため、宿泊施設の近くにある林の前に、生徒たちは集まっていた。


 肝試しでは、二人一組になって林のなかを進み、指定された場所にお札を供えてこなければならない。ちなみに、脅かし役は先生が務めることになっている。


 早速、ペアを決めるクジ引きが行われ、それぞれが相手のもとに向かった。


「哲くんがお相手なんですね」

「ああ。よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 やはりというか、俺とペアを組むのは彩芽だった。おそらく、今回も先生に協力してもらい、クジに細工でもしたのだろう。


 これほどの手間を掛けてまで、彩芽は俺に意識してもらいたがっている。その気持ちは素直に嬉しい。


 けど、同時に罪悪感を覚えてしまう。彩芽が考えているほど、俺は立派な人間ではないのだから。




 俺と彩芽の番が来て、ふたりで林のなかに入っていく。


 隣にいる彩芽を横目で見る俺は、緊張のただ中にあった。


 肝試しでは、怖がっているフリをしてスキンシップを図ることができる。彩芽は俺に意識してほしいはずだから、きっとそれを狙ってくるだろう。


 一体、どんなスキンシップをしてくるんだろう? 抱きつくのが定番だけど、彩芽は外堀を埋めるほどの行動力を持っているんだ。もっと過激なことをしてきても、おかしくはないよね……。


 俺には想像することしかできない。だけど、いや、だからこそ、想像力がかき立てられて、なおさらドキドキしてしまう。


 そんななか、彩芽が動いた。


「哲くん、手を繋いでもいいですか?」

「手を?」

「はい。はぐれてしまったらいけませんから」


 眉の下がった笑みを見せながら、彩芽が頼んでくる。その笑みが強張こわばっているのは、これからアプローチすることに緊張しているからだろうか?


 彩芽の緊張が伝播でんぱしたかのように、手のひらに汗が滲む。


 ジャージで汗を拭い、俺は手を差し出した。


「も、もちろん、大丈夫だよ」

「ありがとうございます」


 胸を撫で下ろして、彩芽が俺の手を取った。彼女の肌はシルクのように滑らかで、照れくささ以上に感動を覚える。


 心拍数が増していくなか、ふぅー……、と長く吐息した。


 いよいよ仕掛けてきたか。この先、彩芽は次々とスキンシップを図ってくるはずだ。パニックに陥ってしまわないよう、心の準備をしておかないといけないな。


 自分に言い聞かせて、林のなかを進んでいく。


 三分ほど歩いたところで、ついにそのときが来た。


「ウヴォオアアァアアァアアアッ!!」

「きゃあぁああああああっ!!」

「――――――っ!!」


 茂みから飛び出してくる、ゾンビに扮した脅かし役。


 脅かし役に驚いて、俺に抱きついてくる彩芽。


 彩芽に抱きつかれて、目をかっぴらく俺。


 心の準備なんて意味がなかったと、俺は思い知った。


 桜に似た彩芽の匂いが、頭の芯を揺さぶってくる。


 腕に押しつけられた胸の感触に、思考回路が熱暴走しそうになる。


 しかも、押しつけるだけには留まらなかった。小玉スイカほどに立派で、マシュマロみたいに柔らかな膨らみは、俺の腕をムニュムニュとマッサージしてきたのだ。


 驚愕と興奮で心臓がバクバクと暴れ、口をパクパクさせてしまう。


 頭も目もグルグルと回っている。いっぱいいっぱいの状況だ。


 にもかかわらず、情け容赦なく追い打ちが来た。


 カサッ


「ひぃううっ!!」

「ちょぉっ!?」


 背後から聞こえた葉擦はずれの音に肩を跳ねさせて、一層強く、彩芽が俺を抱きしめてきたのだ。


 隙間がなくなるくらいに、俺と彩芽の距離が詰められた。もはや俺の腕は、彩芽の胸の谷間にうずめられている。


 極上の柔らかさが、至福の温もりが、三六〇度から伝わってくる。ピッタリと密着しているため、彩芽の心音さえも感じ取れた。


 ここここれはマズい! 理性が崩壊する! 煩悩が爆発する!


 醜態をさらすわけにはいかない。彩芽を傷つけるわけにもいかない。


 声をひっくり返して、俺は彩芽に呼びかけた。


「あああ彩芽? す、少し離れようか!」

「……嫌です」

「け、けど、いくらなんでも――」


 言いかけて、口をつぐむ。


 こちらを見上げる彩芽が、いまにも泣き出しそうな顔をしていたからだ。


 眉根が寄せられており、目尻に涙が溜まり、体は小刻みに震えている。腕から伝わってくる心音も速い。


 そんな彩芽の様子を見て、俺は察する。


 もしかして、フリじゃなくて本当に怖がっている? 手を繋ぎたがっていたのは不安だったからで、抱きついてきたのは、純粋に怖かったから?


 目をしばたたかせる俺に、彩芽が懇願してきた。


「お願いします……離れないでください……そばにいてください」


 親とはぐれた子猫を連想させるその姿に、父性と庇護欲が刺激される。なんとしても、この子を守らなければならないと、使命感に似た決意が湧いてくる。


 自由なほうの手で、彩芽の背中をポンポンと優しく叩いた。


「離れようなんて言ってゴメンね? このまま一緒にいるから、安心して」

「本当ですか?」

「ああ。ちゃんと側にいるよ。約束する」


 あやすように言い聞かせると、彩芽がホッと息をいた。体の震えが治まっていき、速かった心音が落ち着いていく。


 しばらくのあいだ、『俺はきみの味方だ』という思いを込めて、彩芽の背中をポンポンし続けた。


 彩芽が考えているほど、俺は立派な人間ではない。


 でも、いまくらい、この子を守りたいと思ってもいいよね?

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