女の子とのお出かけはデートに含まれますか? ――1

 五月半ばの休日。


 午前八時半、板場に向かうべく、俺は玄関で靴を履いていた。


 俺は居候いそうろうの身だが、毎日三食ご馳走になり、電気代・ガス代・水道代もまかなってもらっている。そのうえ、バイトの時給は一般的な飲食店の三倍と、超が三つつくくらいの高待遇だ。


 ここまでされると、もらいすぎなんじゃないかと心配になってしまう。せめて家賃くらいは払おうと思ったのだが――


「気にしなくてもいいのよ? この前も言ったけど、自分の家だと思ってくつろいで? 自分の家だと思って」


 と、由梨さんにやんわりと断られてしまった。


 それならば、バイトの働きで恩返しをしようと考えて、俺は誰よりも早く板場に入り、下準備をするようにしていた。


 靴を履き終えて、パンパンと頬を叩き、気合を入れる。


「よし! 今日も頑張るか!」

「おう、哲。今日はバイト休みでいいぞ」

「えっ?」


 その折り、歩いてきた厳さんにそう伝えられた。


 肩透かしを食らった気分になり、俺は目をパチパチとしばたたかせる。


「いいんですか?」

「お前さん、いつも一生懸命に仕事してくれてるからな。たまには羽を伸ばすのも大切だろ?」

「は、はあ……わかりました」


 戸惑いつつも首肯すると、ニカッと笑い、厳さんが戻っていった。


 残された俺は、玄関に立ち尽くしたまま、「うーん……」と腕を組む。


 思いがけず休みをもらったけど、なにをして過ごそうか……。


「あら? どうしたの、哲くん? ボーッとして」


 考えていると、厳さんと代わるようにやって来た、由梨さんに声をかけられた。


「今日のバイトが休みになったので、なにをしようか考えていたんです」

「そうなの。だったら、ちょうどいいものがあるわ」


 由梨さんが、ポン、と手を合わせて、「ちょっと待っていてね?」と、来た道を戻っていく。


 しばらくして帰ってきた由梨さんは、紙切れを手にしていた。


「これ、友達がくれたものなんだけど、哲くんに譲るわ。よかったらもらって?」


 手にしている紙切れを差し出してくる由梨さん。


 なんだろう? と俺はのぞき込み――


「『甘ニャン』劇場版のチケット!?」


 驚きと喜びが混じった声を上げた。


『甘ニャン』はアニメ化されているのだが、それが大好評となり、第二期と劇場版の制作が決まった。そして今月の初旬に、劇場版の全国上映がはじまっていたのだ。


 高揚感をあらわにする俺の様子に、由梨さんが目を丸くする。


「あら? 知っている作品なの?」

「はい! 大好きなマンガの劇場版なんです! ずっと楽しみにしてて、時間ができたら観にいこうと思っていたんです!」

「なら、このチケットはなおさら、哲くんが持っていたほうがいいわね」

「本当にいいんですか?」

「ええ。わたしはアニメ映画に疎いから、哲くんに楽しんでもらったほうが嬉しいの」


 たおやかに微笑んで、由梨さんがチケットを手渡してきた。


 チケットを受け取った俺は、口元に笑みを浮かべて、頭を下げる。


「ありがとうございます! しっかり楽しんできます!」

「喜んでもらえたのなら嬉しいわ」


 由梨さんが目を細めて、「ああ、そうそう」と補足する。


「チケットは二枚あるから、誰か誘ったらいいんじゃないかしら?」

「二枚?」


 重なっていて気づかなかったけど、由梨さんの言うとおり、たしかにチケットは二枚あった。


「この作品が好きなお知り合いがいたら、声をかけてみたらどう?」

「そうですね。誰かと一緒に観たほうが楽しめるでしょうし」

「お母さん、こんなところで哲くんとお喋りしてるの?」

「あら、彩芽」


 俺と由梨さんが話しているのを見かけて、彩芽が寄ってくる。厳さんとの会話から一〇分も経っていないのに、よくもまあ次から次へと訪れるものだ。


「哲くん、バイトが休みになったらしくてね? なにをしようか悩んでいるみたいだったから、映画のチケットをプレゼントしたのよ」

「映画のチケット?」

「これだよ」


 俺がチケットを見せると、小首を傾げていた彩芽がキラキラと瞳を輝かせる。


「『甘ニャン』!? 映画になっていたんですか!?」

「ああ。人気作だからね」

「スゴい! なんていうか……スゴいです!」

「哲くんだけじゃなくて、彩芽も知っていたの?」


 興奮しすぎて語彙力を失っている彩芽に、キョトンとしながら由梨さんがいた。


 コクコクコクと、彩芽が何度も頷く。


「うん! 哲くんに教えてもらって、大好きになったの!」

「それはよかったわね。同じものが好きなのなら、ますます仲良しになれるんじゃないかしら?」

「えへへへ。そうなったら、いいよね」


 頬を緩める彩芽は、いつもよりあどけなく感じる。普段のおしとやかさとのギャップにやられて、俺の胸がキュンと疼いた。


 頬が熱くなるのを感じつつ、手元のチケットに目を落とす。


 ――この作品が好きなお知り合いがいたら、声をかけてみたらどう?

 ――哲くんに教えてもらって、大好きになったの!


 俺が勧めた『甘ニャン』を、彩芽は素直に読んでくれた。『哲くんの好きなものを好きになれて、よかったです』と言ってくれた。


 だから、俺が誘いたいひとは決まっている。一緒に楽しみたいと思うひとは、をおいてほかにない。


 照れくささに頬をきながら、口を開く。


「あのさ、彩芽? よかったら、一緒に観にいかない?」


 由梨さんと彩芽が目を丸くした。


 ドキドキと鼓動が跳ねるなか、彩芽がヒマワリみたいな笑みを咲かせる。


「はい! 是非とも!」


 尻込みしないで誘ってよかったと、心から思った。

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