偶然? ――7

 放課後。登校時と同じく三人で帰ることにした俺たちは、昇降口へ向かう。


 靴を履き替えて昇降口を出ると、ちょうどそのタイミングで、雨粒がポツリと地面を叩いた。


 最初こそ勢いが弱かったが、雨粒はどんどん数を増していき、あっという間にザーザー降りになる。


 天気予報では50パーセントの確率だったが、辛くも雨は、接戦を制したようだ。


 雨空を見上げて、俺と彩芽は眉を下げた。


が悪いなあ」

「困りましたね」

「ああ。念のために折りたたみ傘を持ってきておいてよかったよ」


 彩芽とともにぼやいた俺は、バッグから折りたたみ傘を取り出し、広げていく。


 その最中さなか、彩芽が怖ず怖ずと頼んできた。


「哲くん。よろしければ、わたしも入れてもらえないでしょうか?」

「え? 彩芽は持ってきてないの? 傘」

「はい。油断していまして……」

「け、けど、相合い傘になっちゃうよ? いいの?」

「て、哲くんが相手でしたら……」


 頬を桜色に染めながら、彩芽が恥ずかしそうに頷く。尊死とうとししそうになるほどの可愛さに、俺の胸が射貫かれた。


 あまりのいじらしさに庇護欲をかき立てられて、勢いのまま承諾してしまいそうになる。


 だが、ギリギリで理性が待ったを掛けた。


 彩芽と相合い傘をしたら、絶対に好奇の目にさらされるぞ? 登校したときみたいに気まずい思いをするぞ? それでも、いいのか?


 あのときの気まずさを、また味わいたくはない。しかし、彩芽を置いていく選択肢はない。それだけは、あり得ない。


 となると、相合い傘以外の手段が必要になるんだけど……。


「うーん……」と頭を悩ませて――閃いた。


 そうだ、美影だ! 美影は彩芽の付き人なんだから、もしものときの用意はしているだろう! きっと、折りたたみ傘も持っているはずだ!


 一筋の光明を見出して、俺は美影に尋ねる。


「美影なら、折りたたみ傘を持っているんじゃない?」


 直後、美影が半眼になった。


「……臆病者チキン

「チキン?」

「ふと鶏肉料理をいただきたくなっただけです。他意はありません」

「そ、そっか。夕飯に出てくるといいね」


 なんの脈絡もなく食事の話題を口にした美影は、なぜか冷え冷えとした空気をまとっていた。心なしか、声色も刺々しく感じる。


 はぁ、と溜息をついて、美影が問いに答えた。


「たしかに、折りたたみ傘は持参しております」

「じゃあ……!」

「ですが、彩芽様のことは神田さんにお願いしたく思います」

「はぇ?」


 一瞬は喜べたものの、続く美影の発言が予想外だったので、俺は頓狂とんきょうな声を漏らしてしまう。


「先ほど由梨様からお使いを命じられましたので、わたしは行かなくてはならないのです」

「へ? お、お使い?」

「わたしがいないあいだ、彩芽様をお願いいたします。それでは」


 俺が戸惑っているうちに、美影は一方的に会話を打ち切ってしまった。


 素早く折りたたみ傘を開き、地面が濡れているとは思えないほどのスピードで、美影が走り去っていく。


 ハッとして、俺は呼び止めた。


「ちょ、ちょっと待って! 俺たちもついていくよ!」

「お二人のお手をわずらわせるわけにはいきませんので、お気持ちだけ頂戴いたします。いい加減に覚悟を決めてください、軟弱者」

「なんか、いきなりディスられた!?」

「いってらっしゃい、美影」


 置き土産に俺を罵倒して、今度こそ美影が去っていく。立ち尽くす俺の隣で、彩芽が手を振って見送っていた。


 残された俺と彩芽のあいだに沈黙が降りる。


 雨音だけが響くなか、彩芽が潤んだ瞳で見つめてきた。


「……相合い傘、いいですか?」

「あ、ああ。しかたないしね」


 むず痒くて甘酸っぱい雰囲気が漂っていた。




 予想通り、俺と彩芽が相合い傘をしている姿は、周りの生徒たちの興味を大いに引いた。登校時と同じか、それ以上の視線が、俺たちに注がれている。


 こんなの針のむしろだよ。落ち着かないったらありゃしない。


 居たたまれなさに耐えかねて、すすす、と彩芽から離れる。


 しかし、すぐさま彩芽が身を寄せてきた。


「あ、彩芽!?」

「濡れてしまいますよ、哲くん。もっとこちらに来てください」

「ちょっとくらいなら、どうってことないよ」

「いけません! 風邪を引いてしまったらどうするんですか?」


 子供を叱る母親みたいに、彩芽が俺をさとしてくる。


 こちらの身を案じてくれているのに、反論なんてできっこない。観念して、俺は抵抗を止めた。


 一度離れようとしたためか、彩芽は先ほどよりもピッタリとくっついている。ほとんど腕を抱いているような状態だ。


 くっついている場所から、彩芽の柔らかさや温もりが伝わってきて、ドキドキが止まらない。


 ただ、俺が感じているのは緊張や照れくささだけではなかった。温かいものが胸を満たしていくような、安らぎもだ。


 居心地が悪いけど、同時に、心地よさも覚えている。


 離れたいと思うけど、同時に、もっとくっつきたいとも思っている。


 そんな矛盾した気持ちが、俺の胸に共存していた。


「……参ったな」


 彩芽に気づかれないよう、小声で呟く。


 ポリポリと頬を掻きながら、苦笑した。


 どうやら俺は、彩芽が隣にいてくれることに、幸せを感じているらしい。

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