偶然? ――1

「…………くん。……て……くん」


 まどろみのなか、綿毛のように柔らかくて、聖母みたいに優しい声が聞こえた。


 その声にすくい上げられるように、意識が浮上していく。


「あ。起きられましたね」

「はぇ?」


 目を覚ました俺はポカンとしてしまった。彩芽が俺の腰に跨がっていたからだ。


 驚きのあまり、眠気が一瞬で吹き飛ぶ。しかし、驚きすぎて、まだ眠っているみたいに頭が働かない。


 フリーズしている俺に、彩芽がニッコリと笑いかける。


「おはようございます、哲くん」

「あ、ああ、おはよう……じゃなくて! なにしてるの、彩芽!?」


 ようやく頭が状況に追いついた。


 バクバクと鼓動が跳ねるなか、彩芽に問いただす。


「『甘ニャン』のまねっこです。このようにして起こしてあげるシーンが、作中に描かれていましたので」

「たしかに出てきたけど、どうして真似を?」

「好きなマンガのシーンを再現したら、哲くんが喜んでくれると思ったんです」


 疑問に答えて彩芽がはにかむ。


 驚き由来の胸の高鳴りに、ときめき由来のものが追加された。


『甘ニャン』のシーンを再現してくれたのは、もちろん嬉しい。けど、それ以上に、彩芽が俺を喜ばせようとしてくれたことが嬉しい。


 俺は苦笑する。


「もの凄く心臓に悪かったけど、これじゃあ、怒るわけにもいかないな」

「ふふっ。ビックリさせてしまい、すみません」


 茶目っ気たっぷりに、彩芽が小さく舌を出した。


 意外にいたずらっ子なんだなあ、彩芽は。


 彩芽の新たな一面に頬を緩めつつ、顔を上げる。


「――――――っ!?」


 直後、勢いよく背けた。


 ゴールデンウィークが終わり、今日からまた学校に行かなくてはならないので、彩芽は制服を着ている。桜沢の制服は、紺のブレザーに赤いリボンタイ、深緑のチェック柄スカートだ。


 そう。彩芽はスカートをはいている。そして、俺の腰に跨がっている。


 その状態で、寝転がっている俺が顔を上げると、角度的に見えてしまうのだ。


 女の子が隠すべき場所――スカートの内側が。


 い、いま、ほんのちょっとだけど、足の付け根に白いものが見えたような……って、ダメだダメだ! 思い出すな、俺!


 自分を律しようと努めるが、悲しいかな、男のさががそれを許さない。一瞬だけ映った魅惑の布地が、脳裏にフラッシュバックしてしまう。


 ドキドキのラインナップに、欲情由来のものが新登場。


 性的な思考が芽生えたことで、脇腹を挟む太もものムチムチ感や、下腹部に乗せられた、お尻の柔らかさに意識が向いてしまった。


 全身がカッカと熱を帯び、下半身に血流が集まっていく。


 ママママズイ! 欲情してることが彩芽にバレたらおしまいだ! 一刻も早く、この状況を変えないと!


 焦燥感に駆られて、俺は彩芽に頼む。


「と、とりあえず、どいてくれるかな、彩芽?」

「えっ? もしかして、お気に召しませんでしたか?」


 彩芽がシュンとする。慌てふためく俺を見て、迷惑をかけてしまったと勘違いしているようだ。


 迷惑じゃないよ!? 彩芽は悪くないんだよ!? 俺が男の本能を抑えきれないってだけなんだよ!?


 彩芽を元気づけるために真相を明かしたいけど、そんなことをしたら、俺の尊厳が粉々になってしまう。


 良心と保身のジレンマに頭を悩ませながら、ブンブンと首を横に振る。


「そ、そんなことない! 絶対にない! 嬉しかったよ!」

「よかった……」


 ホッと安堵の息をついて、彩芽が微笑んだ。


「でしたら、これからもこのように起こしてあげますね?」

「それは絶対にやめて!」


 一難去ってまた一難。


 全力で遠慮する俺の様子に、彩芽が目をパチクリさせる。


「どうしてですか? 嬉しいんですよね?」

「嬉しいは嬉しいけど……お、男には、いろいろあるわけでして……」

「いろいろ?」

「とにかく! こういう起こし方はもうしないこと! いいね!?」

「は、はあ……」


 俺が拒んでいる理由がわからないらしく、彩芽がコテンと首を傾げた。


 まあ、わかられたらわかられたで困るんだけど。

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