夢みたいだけど心臓に悪い状況――5

 艶やかな栗毛が流れ、さらりと俺の腕にかかる。


 心臓が狂ったように脈を打つ。喉がカラカラに乾いていく。


「あ、彩芽さん? いかがなされました?」


 声を上擦らせて尋ねる。パニックにおちいっていたため、言葉遣いがやたらと丁寧になっていた。


 彩芽からの返答はない。なにも言わず、ただ俺に身を委ねている。


 ど、どういうつもりなんだ、彩芽は? なんで体を寄せてきた? キスシーンを見たことと関係があるのか?


 手のひらがジットリと汗ばむ。


 キスシーンをきっかけに体を寄せてきたとしたら、彩芽が望んでいるのは、もしかして……。


 想像が妄想になり、緊張と混乱のなかに欲望が紛れ込んできた。


 ゴクリと喉を鳴らし、彩芽の次の行動を待つ。


 意識を彩芽へと集中させて――俺は気づいた。


「……すぅ」


 静かに、穏やかに、彩芽が寝息を立てていることに。


 寝落ちしただけかいっ!!


 心のなかでツッコむ。強張っていた体から一気に力が抜けた。


 うわぁ、メチャクチャ恥ずかしい! 勝手に勘違いするし、変な妄想までするし……危うく黒歴史を作っちゃうとこだったよ!


 熱くなった顔を手で覆い、深く深く溜息をつく。


「紛らわしいこと、しないでくれよ」


 少しだけ不満を込めて、彩芽のほうに目をやる。


 映り込んだ彩芽の寝顔は、まさに天使のそれだった。


 目元を飾る長いまつげ。マシュマロみたいに柔らかそうな頬。ふっくらしたローズピンクの唇。


 芸術品としか呼べない美しさに、抱いていた不満は煙みたいに消えた。


 ひとたび見てしまったら、それまでだ。


 縫い付けられたように、彩芽の寝顔から目を離せない。いつまでも眺めていたいと思ってしまう。


 ただただ彩芽の寝顔を見つめる。時間感覚が薄れてしまったようで、どれだけ見つめているのかもわからなくなっていた。



「やはり、眠ってしまわれましたか」

「――――――っ!?」



 そんななか、唐突に現れる月本さん。


 悲鳴を上げそうになった俺は、彩芽を起こしてはならないという使命感から、すんでのところで口を塞ぐ。


「つつつ月本さん!?」

「夜分遅くに失礼します」


 目を白黒させる俺に頭を下げて、月本さんが部屋に入ってきた。


 さあっと血の気が引く。


 この状況を月本さんに見られたの、致命的すぎない?


 彩芽の付き人であり護衛でもある月本さんは、男性を敵視している節がある。実際、ナンパ男から彩芽を助けた日、彩芽の手を取っていたというだけで、俺は月本さんに腕を折られそうになった。


 それなのに、いまの俺は彩芽と密着し、その寝顔を眺めていたのだ。殺される可能性すらある。


 お、俺、今日が命日になるかも……!


 判決を待つ被告人になった気分で、ゆっくりと歩いてくる月本さんを見上げる。


 カタカタと震える俺の前で立ち止まり、月本さんが静かにかがんだ。


「彩芽様は早寝早起きなのです」

「……ん?」


 告げられたのは、詰問でも非難でも裁断でもなく、彩芽に関する情報。予想外すぎて、なにを言われたのか理解するまでに、数秒を要した。

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