夢みたいだけど心臓に悪い状況――1

 五月六日。ゴールデンウィーク最終日。


「哲、今日のバイトは仕舞いでいいぞ」

「え?」


 昼営業が終わり、後片付けに取りかかろうとしていたところ、厳さんからそう言い渡された。


「いいんですか? 後片付けがまだですし、夜の営業もありますけど……」

「構わねぇよ。お前さん、明日から学校だろ? 少しは自由な時間があったほうがいいんじゃねぇか?」

「でも……」

「それに、彩芽から聞いたんだが、ゴールデンウィーク中に終わらせないとならねぇ課題があるそうじゃねぇか。ちゃんとやったのか?」

「あ」


 さあっと血の気が引いた。


 わわわ忘れてたぁああああああああああ!!


 心のなかで悲鳴を上げる。『はな森』でのバイトがはじまったり、高峰家で居候いそうろうすることになったり、引っ越し後の荷解きをしたりと、ここ数日はとにかく忙しかった。そのため、課題の存在をすっかり忘れていたのだ。


 俺は勉強ができるほうじゃない。


 マンガを読んだり、ゲームをしたり、VTuberの配信を視聴したりと、オタク活動を優先しているうえ、活動資金を捻出するために節約も頑張らなければならず、勉強に割ける時間が少ないからだ。


 課題の量はかなりある。しかし、その存在を忘れていた俺は、まったく手を付けていない。


 マズい! とてつもなくマズいぞ! 俺の頭では課題を終わらせるまでにかなりの時間がかかる! 今日中に終わらせられるかどうかも怪しい!


 突如とつじょとして到来したピンチに、俺は頭を抱える。


「その様子じゃ、全然できてないみたいだな」


 俺と厳さんのやり取りを耳にしていたらしい秀さんが、からかうような口調で話しかけてきた。


「相当ヤバい状況なのか?」

「ヤバいです。泣きたいです」

「それならよ? 彩芽のお嬢に手伝ってもらったらどうだ? お嬢、メチャクチャ頭いいんだぜ?」

「そいつぁ、名案だ! 頼んでみろよ、哲!」


 秀さんの提案に、よく言ったとばかりに厳さんが賛成する。


 ふたりが言うように、彩芽は図抜けて頭がいい。聞くところによると、テストでは常にトップスリーに入っているそうだ。


 それだけ優秀な彩芽が味方になってくれるなら、心強いことこの上ない。


 だが、俺はためらってしまう。懸念がひとつあるからだ。


「頼んでも大丈夫でしょうか? 彩芽さんにも自分の時間があるでしょうし……迷惑になりませんかね?」

「心配いらねぇよ。哲の頼み事を突っぱねるわけがねぇ。むしろ、喜んで引き受けるだろうぜ」

「厳さんの言うとおりだ。賭けてもいいぜ? お嬢が断ることは絶対にねぇよ」


 俺の懸念を笑い飛ばし、ふたりが断言する。


 ふたりとも、彩芽が俺の頼みを引き受けることを、微塵も疑っていないみたいだ。その自信はどこから来るのだろう?


 戸惑いはあったけど、ほかに方法が思い浮かばなかったので、俺は秀さんの提案に従うことにした。




 バイトを上がった俺は、私服に着替えて彩芽の部屋を訪ねた。ドアの前に立ってはみたものの、彩芽が俺の頼みを聞いてくれるのか、いまだに半信半疑のままだ。


 秀さんと厳さんはああ言ってたけど、本当に大丈夫かなあ?


 若干の不安を感じつつ、ドアをノックする。


「彩芽。ちょっと話がしたいんだけど、いいかな?」

「構いませんよ。いま開けますね」


 パタパタと足音が聞こえたのち、彩芽がドアを開けた。


「話とはなんでしょう?」

「ゴールデンウィーク中にやらないといけない課題があるよね? 実は俺、全然できてなくて……」

「そうなんですか。哲くんはここ数日、忙しかったですもんね」


 彩芽が気遣わしげに眉を下げる。


 ばつの悪さから頬を掻き、俺は頼んだ。


「それで、できたらでいいんだけど、彩芽に手伝ってもら――」

「わかりました! 任せてください!」


 満面の笑みを浮かべて、彩芽が食い気味に答えた。いまにも身を乗り出さんばかりの勢いだ。


 あまりにもあっさり引き受けてくれたことに、俺はポカンとしてしまう。


「えっと……頼んでおいてなんだけど、本当にいいの?」

「もちろんです! 準備しますので、待っていてくださいね」


 室内に戻った彩芽が、机の引き出しから筆記用具などを取り出す。見るからにウキウキしているその姿は、散歩に連れていってもらえることにはしゃぐ、わんこを連想させた。


 秀さんと厳さんの言うとおりだったなあ。けど、どうしてこんなにも喜んでいるんだろう? 頼ってもらえるのが嬉しいのかな?


 考えを巡らせつつ、室内に目を向けた。


 カーテンやカーペット、クッション、ベッドサイドの小物が暖色系のパステルカラーになっており、女の子らしさを感じる。


 読書が好きなのか本棚には小説が並び、その隣にあるキャビネットには、カラフルな小瓶やキャンドルなどが置かれていた。室内にいい香りが漂っていることから推測するに、あの小瓶やキャンドルは、アロマグッズなのだろう。


 ここで彩芽が毎日を送っているんだなあ、と想像すると、なんだか落ち着かない気分になってくる。


 な、なにをそわそわしているんだ、俺は! 女の子の部屋を眺めて妙な気持ちになるなんて、変態みたいじゃないか!


 邪念を抑えるべく、「煩悩退散!」と心のなかで繰り返す。


「お待たせしました!」


 よこしまな自分と戦っていると、ノートや筆記用具を抱え、彩芽がやってきた。


 ニコニコと嬉しそうにしていた彩芽が、俺の顔を見て目をパチクリさせる。


「大丈夫ですか、哲くん? 顔が真っ赤ですよ?」

「へっ!? だ、大丈夫! 全然問題ない! 健康そのものだから!」


 下心を悟られるわけにはいかない。アタフタしながら、健康アピールとしてマッスルポーズを取る。


 挙動不審な俺の様子に、彩芽がコテンと首を傾げた。

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