出る杭は打たれるけど出過ぎたら認められる――1

 五月四日。ゴールデンウィーク二日目。


 昼の営業に向けて板場の掃除をしていると、俺を見た厳さんが眉をひそめた。


「どうした、哲? ひでぇくまじゃねぇか」

「実は、ちょっと寝不足で……」

「おいおい、しっかりしてくれよ? 体調管理も仕事のうちだぜ?」


 俺の肩をポンポン叩きながら、厳さんが注意してくる。


「気をつけます」と返して、俺はこっそりと溜息をついた。


 厳さんの言うことはもっともだ。反論の余地はない。


 それでも、こればかりは許してほしい。なにしろ、まったく心の準備ができていない状態で、彩芽・月本さんとの同居生活がはじまったのだから。


 彩芽は言わずもがな、月本さんも目が覚めるような美少女。それほどの女の子たちとひとつ屋根の下でいて、落ち着けるわけがない。気がたかぶってしまい、昨晩はなかなか寝付けなかったのだ。


 しかし、眠いからといってミスは許されない。厳さんたちに迷惑をかけるわけにはいかない。


 気を引き締めるため、パンパンと頬を叩く。


「頑張っていきますか」


 眠気をはね除けて、俺は掃除を再開した。




「おーい、哲! ちょっと来てくれ!」

「いま行きます!」


 昼の営業がはじまってから少し経ったころ、厳さんが俺を呼んだ。


 食器を運んでいる途中だった俺は、近くの台にそれらを置いて、厳さんのもとへ急ぐ。


「なにか用ですか?」

「こいつの味見をしてみねぇか?」


 火に掛けている鍋を厳さんが指さした。


 鍋の中身は澄んだスープ。漂ってくるのは出汁だしの香り。


「おすましですか?」

「おう。バイトとはいえ、ここで働いてんだ。『はな森うち』の味は知っておくべきだろ?」

「たしかにそうですね」

「よし。じゃあ、ほれ」


 おすましを小皿にとり、厳さんが手渡してくる。


 受け取った俺は、「いただきます」と、小皿に口をつけた。


 口のなかいっぱいに出汁のうま味が広がり、芳醇ほうじゅんな香りが鼻を抜けていく。味付けは薄めだが、だからこそ、出汁の美味しさを純粋に堪能できる。上品でありながらも存在感のある味わいだ。


 文句のつけようもない出来。まさに超一級品。


 しかしながら、俺は違和感を覚えていた。


「……ん?」

「どうかしたか?」


 首を傾げると、厳さんが気にかけてきた。


 俺は尋ねる。


「おすましは、いつもこの味付けで出しているんですか?」

「そりゃあな。味にばらつきがあったらいけねぇだろ?」

「でしたら、ちょっとだけ塩が足りないんじゃないでしょうか? 先月末にここでご馳走になったおすましは、もう少し塩味えんみがあったんですけど」


 指摘すると、「ほう」と厳さんが顎をさすった。


「なら、どれくらい足せばいいか、わかるか?」

「そうですね……」


 問われた俺は、おすましを作っている鍋に目を向けた。


 あのサイズだったら、こんなところかな。


 調理台のケースから、ほんのちょっとだけ塩をすくい、手のひらに載せる。ひとつまみにも満たない、ごくわずかな量だ。


「これくらいでしょうか」

「なるほどな」


 厳さんがニヤリと口端くちはしを上げて、別の小皿でおすましの味を見る。


「おっと、いけねぇ。おめぇさんの言うとおりだ。助かったぜ、哲」

「いえ。お役に立てたのなら、なによりです」


 俺が指定したのと同じ量、厳さんがおすましに塩を加える。


 俺は意外に感じていた。


 板長である厳さんも、ミスをすることがあるんだなあ。案外、抜けてるひとなのか?


 若干失礼な推測をしていると、厳さんが呟いた。


「――我が孫ながら、見る目があるじゃねぇか」

「孫? 彩芽さんがどうかしたんですか?」

「お前さんが気にするこたぁねぇよ」


 厳さんが笑い声を上げる。


 嬉しいことでもあったのか、その顔はえらく満足そうだった。




 正午過ぎ、俺はまた厳さんに呼ばれた。


「まかないを作ってくれねぇか、哲?」

「俺がですか?」


「おう」と厳さんが頷く。


「彩芽から聞いたんだが、お前さん、相当料理の腕が立つらしいじゃねぇか。それがどれほどのもんか知りてぇんだよ」

「わかりました」


 俺が引き受けると、厳さんが調理台に置かれたボウルを指さす。そこには、数匹分の魚のアラが入っていた。


「材料はそいつだ。調味料や薬味も自由に使って構わねぇ」

「はい」

「それじゃあ、楽しみにしてるぜ」


 ニッと歯を見せて、厳さんが仕事に戻る。


 その姿を眺めつつ、俺は気合を入れた。


「下手なものは出せないな」


 プレッシャーを感じずにはいられない。厳さんほどのひとに試されているのだから。


 けれど、それに負けないくらいの高揚感を覚えていた。厳さんほどのひとに期待されているのだから。


 やる気がみなぎり、口元が笑みを描く。


「アラからはいい出汁が取れる。骨周りの身はうま味が強いから――」


 もらったボウルを運びながら、どんなまかないにするか、考えを巡らせた。




「皆さん、お昼ご飯ができました!」


 完成したまかないをお盆に載せて、先輩たちに配って回る。


「厳さんもどうぞ」

「おう」


 お椀を受け取った厳さんが、口端を上げた。


「なるほどな。出汁茶漬けか」


 厳さんの言ったとおり、俺が作ったのは出汁茶漬けだった。まかないはさっと食べられるほうがいいし、お茶漬けならば、アラから取れる出汁も活かせるからだ。


 骨周りの身はスプーンでこそぎ、そぼろにしてトッピング。彩りが足りなかったので、万能ネギも散らしてみた。


 分析するようにしばらくまかないを眺め、厳さんがスプーンを取る。


「いただくぜ」

「ど、どうぞ」


 厳さんが出汁茶漬けをひとすくいして、口に運んだ。


 顔を強張こわばらせ、心臓をバクバクさせながら、俺は判定を待つ。


 じっくりと味わったのち――厳さんが笑みを見せた。


美味うめぇじゃねぇか!」

「本当ですか!?」

「おう。出汁に臭みがねぇし、そぼろの味付けも抜群だ。たいしたもんだぜ」

「ありがとうございます!」


 思わずガッツポーズしそうになった。無理もない。板前の頂点である厳さんに、手放しで褒められたのだから。


 メチャクチャ嬉しい! ニヤけるのを我慢できない!


 俺が喜びに浸る横で、厳さんが先輩たちを見回す。


「さて。どうだ、お前ら? 『例の話』に異論があるやつはいるか?」

「俺はないですね。いいと思いますよ」

「俺もっす。こんなん出されたら、文句の付けようもないっすよ」

「まあ、厳さんの言うことなら……」


 問われた先輩たちが答える。渋々といった様子のひとが何名かいるが、大半は『例の話』とやらに賛成のようだった。


『例の話』? なんのことだろう?


 厳さんと先輩たちのやり取りがなにを意味しているのかわからず、俺は首を傾げる。


 そんななか、ひとりの先輩が俺を睨み付けてきた。その眼光は刃のように鋭利で、苛立ちと敵意に満ちている。


 俺は頬をひくつかせた。


 ど、どうして睨まれてるんだ? 俺、なんかしちゃった?

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