日本最高峰の料亭でバイトすることになった話――7

「高峰さん。可及的かきゅうてき速やかに連絡を取りたいひとがいるんだけど、ちょっと待っててくれる?」

「は、はい。構いませんよ」


 高峰さんに許可をとり、スマホを取り出す。


『どうなってるんだよ、母さん!

 住み込みでバイトするなんて聞いてないんだけど!?』


 鬱憤うっぷんをぶつけるようにフリック入力して、俺はメッセージを送信した。


 数秒後、母さんからの着信をスマホが知らせる。まるでスタンバっていたかのようなタイミングだ。


 即座に電話に出た。


『ビックリした?』


 開口一番の一言で、母さんが容疑者から被告人に。


 自分のこめかみに青筋が浮かぶのがわかった。


「したに決まってるだろ!? 高峰さんたちと同居するなんて知らされてなかったうえに、自分の持ち物が勝手に荷造りされて送られてたんだからさ!」

『イェーイ! ドッキリ大成功!』


 スピーカーから母さんの爆笑が聞こえてくる。


 こいつ、最低だな、とガチで思った。


 深々と溜息をついて、問いただす。


「こんな大切なこと、なんで教えてくれなかったんだよ?」

『だって、教えたら断りそうじゃない、バイトの話。それじゃあ、困るのよ』

「う……」


 俺は口ごもる。母さんの指摘が図星だったからだ。


 たしかに、高峰さんと同居すると知らされていたら、バイトするのをためらっていたことだろう。学校一の美少女とひとつ屋根の下で暮らすなんて、健全な男子高校生である俺には刺激が強すぎるから。


 気まずさに顔をしかめて――ふと引っかかった。


 母さん、「それじゃあ、困る」って言ったけど、どういう意味だ?


「母さん。いま――」

『おっと、そろそろ次の仕事に行かないといけないわ』

「え? ちょ……っ」

『じゃあね、哲! グッドラック!』


 引き留めようとする俺を完全に無視して、母さんが一方的に通話を切ってしまった。


 自由すぎるし、迷惑すぎるよ、母さん。


 もう一度溜息をついてから、俺は高峰さんに事情を説明する。


「うちの母さん、バイトが住み込みだってこと、俺に隠していたみたいだ」

「それで、神田くんは戸惑っていたんですね」

「ああ。混乱させてゴメンね。母さんには、あとでたっぷり説教しておくから」

「では、神田くんはどうされるんですか?」

「どうって?」

「わたしたちと一緒に暮らしてくれますか?」


 俺を真っ直ぐ見つめながら、高峰さんが尋ねてきた。その瞳は、どこか不安そうに揺れている。


 言われて気づいた。騒ぎの原因は母さんだと判明したけれど、『高峰さんたちと同居するか否か』には、まだ答えが出ていない。


 焦燥感が湧き上がり、俺はアタフタしてしまう。


「え、えっと……それに関しては、もう少し考える時間がほしいと言いますか……」

「わたしたちと暮らすのは、嫌ですか?」


 高峰さんが、シュンと肩を落とす。叱られた子犬を連想させる落ち込み様に、俺の心が揺らいだ。


「い、嫌ではないけど……ていうか、高峰さんは平気なの? 男と同居するんだよ? 怖いでしょ?」

「そんなことはありません」


 迷いなく否定して、高峰さんが頬を緩める。


「むしろ、嬉しいですよ。神田くんと暮らすの」


 高峰さんの微笑みは月明かりのようにんでいて、その言葉に一片の嘘もないことを示していた。


 あまりにも美しい微笑みと、心を許しているかのような発言に、俺の鼓動が跳ねる。


 いまのはズルいよ……そんな顔を見せられたら、そんなことを言われたら、断れなくなっちゃうじゃないか。


 きっと、俺の顔は真っ赤になっていることだろう。それが恥ずかしくて、紛らわすために咳払いした。


 まあ、緊張はたしかにするけど、ワクワクしている自分もいるし、送ってもらった荷物をまた戻すのは、大変だしね。


 心のなかで言い訳を並べて、俺は高峰さんに微笑み返す。


「じゃあ、これからお世話になります。高峰さん」

「彩芽と呼んでください」

「へ?」

「この家には『高峰さん』が何人もいるじゃないですか。いままでの呼び方では紛らわしいでしょう?」


 高峰さんが、いたずらっ子みたいに目を細めた。


 気恥ずかしさに頬を掻き、目線を逸らしながら、俺は口にする。


「あ、彩芽さん」

「さん付けは結構です。よそよそしいじゃないですか」


 な、なんて上級者向けの要望を! いまのでさえ勇気を出したのに!


「むぐぐぐ……」とうなり、緊張を鎮めるために深呼吸。


 震えそうになる声で、改めて呼ぶ。


「……彩芽」

「はい、哲くん」


 高峰さん、いや、彩芽が、満面の笑みを咲かせた。


 なんていうか、甘酸っぱいなあ、こういうの。


 収まりつつあった顔の火照ほてりが、またしても蘇ってきた。照れくささを誤魔化すため、俺は話題を変える。


「さ、さて! そうと決まったからには、荷解きをしないとね!」

「でしたら、わたしもお手伝いします」

「いや、そこまでしてもらうのは悪いよ。それに、下着とかもあるからさ」

「あ……そ、そうですね。配慮に欠けてました」


 頬を上気させて、彩芽がモジモジする。可愛い。


「で、では、お手伝いが必要でしたら、隣の部屋にいらしてください」

「隣?」

「はい」


 首を傾げる俺に、彩芽がニッコリ笑った。


「わたしのお部屋は、哲くんのお部屋の隣ですから」

「……はぇ?」


 頓狂とんきょうな声が漏れた。


「人手が足りないときは美影も呼びましょう。彼女もこの家で暮らしていますから」

「へっ? あの……え?」

「いつでも声をかけてくださいね」


 連続で明かされた衝撃的事実に、脳の処理能力が追いつかない。


 硬直する俺にペコリと頭を下げて、彩芽が部屋を出ていった。


 パタン、とドアが閉まり、室内に静寂が訪れる。


 ロボットみたいな動きで、ギギギ、と顔を左に向けた。


 あの壁の向こうで、彩芽は日々を過ごしている。学校一の美少女が私生活を送っているのだ。たった一枚の壁をへだてて。


 想像した途端、全身が茹だりそうなほど熱くなった。


 目元を覆い、弱々しくひとりごちる。


「……大丈夫かなあ? いろいろと」

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