日本最高峰の料亭でバイトすることになった話――4
五月に入り、暖かさと爽やかさが増してきた。
自室のベッドに腰掛けた俺は、窓から差す茜色の陽光に照らされながら、財布の中身を確認していた。
お札は〇枚。硬貨は数枚。合計金額は一〇〇〇円にも満たない。
俺は溜息をつく。
「参ったなあ。今月はほしいグッズがたくさん発売されるのに……」
呟いて、顔を左に向けた。
視線の先にある棚には、ゲーム、アニメ、VTuberのグッズが飾られ、その奥にある三台の本棚には、マンガやラノベが大量に並んでいる。
見てわかる通り、俺は二次元オタク。そして、いま困っているのは、オタク活動の資金が尽きかけているからだ。
ひとり暮らしをしている俺には、毎月、シングルマザーである母さんから生活費が与えられ、使わなかった分はお小遣いにできる。そのため、スーパーの安売り情報を仕入れたり、ポイントカードやクーポンを活用したりと、普段から節約に励み、オタク活動の資金を捻出している。
しかし、節約するにしても限界はある。事実、現在の懐事情は厳しめだ。
こういうときは、支出を削るよりも収入源を得るほうがいい。
「またバイトでもしようかな。もうすぐゴールデンウィークだから、時間に余裕もできるし」
これまでもそうしてきたように、俺はバイトを探すことにした。
求人情報を調べるべく、スマホを取り出す。
スマホが着信音を鳴らしたのは、ちょうどそのときだ。
不意をつかれてビックリしながら、誰からの着信なのか確認する。
「なんだ、母さんか」
電話してきたのは、俺の母親――神田
カメラマンとして世界で活躍している母さんは、ひとり暮らしの俺を気にかけて、多忙ながらもちょくちょく連絡をとってくる。おそらく、今日もそのつもりなのだろう。
スマホをスワイプして、俺は電話に出た。
「母さん?」
『おっす、哲。元気してる?』
「ああ、元気だよ」
『しっかり飯食ってる? 家事はサボってない?』
「一日三食しっかり食べてるし、家事もちゃんとやってるよ」
『それもそっか! あんた、あたしよりずっとしっかり者だしね! むしろ、あたしの生活のほうがヤバいわ! あんたの心配をしてる暇なんてないかも!』
「本末転倒って言葉、知ってる?」
俺の皮肉もどこ吹く風、スピーカーの向こうで母さんが笑い声を上げる。相変わらず陽気なひとだ。
『元気にやってんならよかったよ。んじゃあ、本題に入ろっか』
「え? 今日は別の用件があるの?」
底抜けな明るさに苦笑していると、母さんが話題を変えた。
意外に思う俺に『そうなんよー』と返し、母さんが切り出す。
『あんたにバイトをお願いしたいって話が来てんの。「はな森」って料亭から』
「『はな森』!?」
まさかの依頼主に俺はギョッとした。
構わず、母さんが続ける。
『そーそー。今月の三日から入ってほしいらしくて、仕事内容と給料は――』
母さんによると、仕事内容は掃除や皿洗いなどの雑用。給料は時給制で、驚くべきことに、一般的な飲食店の三倍くらいあった。なお、仕事内容は適性によって変更される場合があるとのことだ。
母さんの説明を聞きながらも、俺は混乱のただ中にあった。
どうして『はな森』が俺に? というか、『はな森』ってバイト雇ってるの? そんなイメージないけど……。
疑問がグルグルと頭のなかを駆け巡るなか、説明を終えた母さんが訊いてくる。
『――って感じなんだけど、なんか質問ある?』
「えっと……その話、本当? 母さんの冗談とかじゃなくて?」
『あんたはあたしをなんだと思ってんだ』
「だって、『はな森』からバイトのお願いをされるなんて、とてもじゃないけど信じられないんだよ」
母さんには申し訳ないけれど、疑わずにはいられない。
ひとつ息をついて、母さんが俺の疑問に答えをくれた。
『あんた、「はな森」さんが大変なときに手を貸してあげたそうじゃない。そのときの手際がよかったんだってさ』
その話を聞いて、ようやく
なるほど。俺の働きがよかったから、従業員として雇いたいってことか。あまりにも太っ腹な時給には、手伝ってくれた恩返し的な意味合いがあるのかもしれないな。
ふむふむ、と頷いていると、母さんが身を乗り出すような勢いで尋ねてきた。
『で? この話、受ける? 受けるわよね? 受けろ!』
「な、なんか、圧、強くない?」
『いいから受けなさい! 断ったら親子の縁を切るわよ!』
「理不尽!!」
あんまりな物言いに、俺は悲鳴を上げる。
そ、そんなにも引き受けてほしいのか。ていうか、母さんって、こんなに高圧的なひとだっけ?
どことなく不自然さを感じる。引っかかる点もいくつかある。
それでも、この話が魅力的なのはたしかだ。
もともとバイトをしようと考えていたし、給料も驚くほどいい。断る理由を探すほうが難しいな。
ならば、答えはひとつ。
「わかった。『はな森』で働くよ」
『っしゃあっ!! よく言ったわ! それでこそ、あたしの息子よ!』
「そのテンションはなんなの?」
『気にしない気にしない。じゃあ、先方にはあたしから連絡しておくわね』
引いている俺とは対照的に、母さんはやたらとご機嫌そうだ。
なんでだろう? と
『上手くやりなさいよ、哲』
「は? どういう意味?」
『そのうちわかるわ』
謎の言葉を残して、母さんが電話を切る。
「……変な母さん」
スマホの画面に目を落として、俺は首を傾げた。
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