日本最高峰の料亭でバイトすることになった話――3

 板場での手伝いは、『大変』という表現では足りないくらい激しかった。


 常に動き続けなければならず、休憩する暇なんてコンマ一秒もない。あっちこっち走り回り、忙しなく手を動かし、脳みそをフル回転させて、次々にやってくる仕事をひたすら捌く。


 消費カロリーはとんでもない数値になっているだろう。一キロ程度なら痩せたかもしれない。


 それでも、なんとかピークを乗り切り、九時を過ぎるころには余裕が生まれてきた。


 ここから先は板前さんたちだけで大丈夫そうだったので、俺と高峰さんは、あとを任せて仕事を上がった。


 外に出ると、夜空で星々がきらめいていた。


『はな森』の門前で、見送りにきてくれた高峰さん、由梨さんとともに、タクシーの到着を待つ。


 ちなみに、手伝ったお礼として、由梨さんが謝礼金を渡そうとしてくれたが、やんわりと断った。


 超高級なコース料理をご馳走してもらったし、タクシーの運賃も多めにくれたので、これ以上はもらいすぎだと思ったからだ。


「本当にありがとうございます。なんとお礼を申せばいいか……」

「そんなにかしこまらなくてもいいですよ。なんとかなってよかったです」

「そう仰ってくださるとありがたいです」


 深々と頭を下げる由梨さんに、俺は明るい声をかける。


 由梨さんが顔を上げて、気遣わしげにいてきた。


「いまさらになりますが、ご家族の皆さまは心配されていませんでしょうか? こんなにも遅い時間になってしまいましたが」

「それなら大丈夫です。俺、ひとり暮らしなんで」

「そうでしたか」


 安心したのか、由梨さんがホッと息をつく。


 そんな由梨さんとは対照的に、高峰さんはひどく暗い顔をしていた。


「具合でも悪いの、高峰さん?」

「……ごめんなさい!」


 尋ねる俺に、高峰さんが勢いよく頭を下げた。突然のことに、俺は目を白黒させる。


「い、いきなり、どうしたの?」

「助けてくれたお礼をするつもりだったのに、迷惑をかけてしまって……本当にごめんなさい!」

「謝らなくてもいいよ! 迷惑だなんて思ってないし! むしろ、満足してるから!」

「満足? ど、どうしてですか?」


 戸惑う高峰さんに、俺は伝える。


「『はな森』の板場って、ようするに日本最高峰の厨房でしょ? そんなところで働けたんだ。最高の体験だよ」


「なにより」と、俺は高峰さんに笑いかけた。


「仲良くなった高峰さんを助けられたんだからね」

「ふぇっ!?」


 高峰さんの顔が、リンゴよりも赤くなった。


 色づいた頬に両手を当てて、高峰さんがアワアワとうろたえる。


「えっ? わたし、なんで、こんな……!?」

「高峰さん? 大丈夫?」

「~~~~~~っ! い、いまは近寄らないでくださいっ!」

「ええっ!?」


 心配になって顔をのぞき込もうとすると、高峰さんは両腕でバッテンを作り、逃げるように後退あとずさってしまった。


 な、なんだかわからないけれど、全力で拒絶されてしまった……流石にヘコむなあ。


 俺はがっくりと肩を落とす。


「あらあら? ふふっ」


 溜息をついていると、俺たちの様子を眺めていた由梨さんが、笑みをこぼした。


「なにかおかしいことでもあったんですか?」

「ええ。この子がこんな顔をしているところ、はじめて見たものですから」

「お母さんっ!!」


 高峰さんがお嬢様らしからぬ大声を上げて、由梨さんがますますおかしそうに笑う。


 わけがわからない俺は、頭の上に大量の『?』を浮かべていた。

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