日本最高峰の料亭でバイトすることになった話――2

『料理好き』という共通項があったため、そのあとも俺と高峰さんは、にこやかに談笑することができた。ほとんど交流がなかったけれど、いまでは友達と呼べるほど親密になっている。


 ところどころで緊張したけれど、料理は美味しかったし高峰さんとも仲良くなれたし、大満足だ。ここにきてよかった。


 コースの最後に提供されたデザートを完食し、俺はほくほく顔で高峰さんにお礼を伝える。


「今日はありがとう。スゴく楽しかったよ」

「ふふっ。喜んでいただけてなによりです」


 高峰さんが柔らかく微笑んだ。


 まったりとした空気が俺たちのあいだを漂う。


 そのときだった。


「失礼します」


 障子戸を開けて、由梨さんが入ってくる。その顔つきは硬く、どこか焦っているようにも映った。


「神田さん。申し訳ないのですが、彩芽と話をさせてもらって構いませんか?」

「え、ええ。大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」


 戸惑いながらも承諾する俺に頭を下げて、由梨さんが高峰さんに告げる。


「彩芽、板場いたばに入ってくれないかしら?」


『板場』とは厨房のことを指す。つまり由梨さんは、高峰さんに調理を手伝ってほしいと言っているのだ。


「わたしが? 従業員じゃないのに?」

「ええ。そうしなければならない状況になったの」

「どういうこと?」


 眉をひそめる高峰さんに、由梨さんが理由を伝える。


「緊急事態が起きてしまったのよ。今晩の営業は、お父さんとおじいちゃん抜きで行わないといけなくなったの」

「えっ!? ど、どうして!?」

「心配させないように黙っていたけれど、お父さんとおじいちゃんは今日、出先で交通事故に遭ったの」


 高峰さんが息をのんだ。


「交通事故!?」

「安心して。ふたりとも頭を打ったけど、たんこぶができただけらしいから。ほかにケガはないし、ピンピンしてるって言ってたわ」

「よかった……」


 高峰さんが胸を撫で下ろす。


 しかし、由梨さんの顔つきは変わらず硬いままだった。


「ただ、ついさっき、『病院で精密検査を受けるから今日中には帰れそうにない』って連絡があったの。『頭を打ったのなら万一があるから』って、お医者様に止められたらしいわ」


 由梨さんの頬を冷や汗が伝う。


「今日はたくさんのお客様が予約されているし、接待に使いたいと仰っているお得意様もいらっしゃるの。お父さんとおじいちゃん抜きでは完全にキャパオーバー。満足なサービスを提供できないわ。だから、あなたに頼るほかにないの」

「わかった。わたしも手伝う」


 高峰さんが頷き、「けど」と眉を寝かせた。


「わたしひとりが入ったくらいで、ふたりの穴を埋められる?」

「それは……」


 由梨さんの表情が曇る。その反応が如実にょじつに語っていた。高峰さんが手伝ったとしても不十分だと。


 超一流の料亭ゆえ、来客者が『はな森』を評価する際、その基準はおのずと高くなるはずだ。『これほどの名店ならば、きっと素晴らしいサービスを提供してくれる』と期待を抱くだろうから。


 それはつまり、小さなミスが評判を下げかねないということ。来客者には常に満足してもらわなければならないということだ。


 そのことを踏まえると、現状はピンチ以外のなにものでもない。そして、高峰さんの手を借りてもなお、ピンチを脱することはできない。


 まさに万事休す。絶体絶命。


 ……いや、違う。


 俺はギュッと拳を握った。


 打つ手は残されている。『はな森』がわにではなく、


 口のなかがカラカラに乾く。呼吸が浅く、速くなる。


「あのっ!」


 声が震えそうになるのを堪えて、俺は言い放った。


「俺にも手伝わせてもらえませんか!?」

「手伝う? あなたがですか?」


 由梨さんが唖然あぜんとした。


 心臓が暴れ馬みたいに跳ねるのを感じつつ、俺は頷いてみせる。


『はな森』の板場で働くなんて、緊張するどころの話ではない。プレッシャーのあまり吐きそうだ。


 数時間前の自分なら、絶対に踏み出さなかっただろう。気の毒と思いながらも、傍観者のままでいただろう。


 けど、高峰さんと仲良くなったいまは違う。


『はな森』の評判が悪くなったら、きっと高峰さんは落ち込む。そんなのは嫌だ。高峰さんが悲しむところなんて、見たくない。


 だからこそ、勇気を振り絞って訴える。


「日本料理の心得はあります! 調理に携わることはできないと思いますけど、雑用や下ごしらえならこなしてみせます! 俺に手伝わせてください!」


 俺の眼差しを真正面から受け止めて――由梨さんが首を横に振った。


「お気持ちは嬉しいのですが、板場に入っていただくわけにはいきません」


 由梨さんの意見はもっともだ。板前に限らず、料理人にとって厨房は神聖な場所。部外者の俺を入れるなんて、もってのほかだろう。


 ダメか!? この状況を打破することは、俺にはできないのか!?


 悔しさに歯噛みする。


「待って、お母さん!」


 そんななか、高峰さんが声を上げた。


「神田くんは、出てきた料理の一品一品を完璧に分析していたし、先付けの隠し味にも気づいたの! 日本料理に対する理解は、『はな森うち』の板前さんにも負けないと思う! それに、わたしよりもはるかに料理上手なの! 神田くんなら、きっと力になってくれる!」

「けど……」

「ほかに手はないんでしょう? 迷ってる暇はないよ!」


 高峰さんに説得されて、由梨さんが目を伏せる。


「……そうね」


 わずかな間を挟んで目を開けた由梨さんは、覚悟を決めたかのように凜々しい表情をしていた。


 俺に向き直って、由梨さんが三つ指をつく。


「神田さん。心苦しいのですが、わたしどもに力をお貸しいただけますか?」

「はい!」


 俺は迷いなく頷いた。

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2024年11月29日 21:03

お嬢様クラスメイトの実家の手伝いをしたら全力で外堀を埋められはじめた 虹元喜多朗 @nijimon14

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