日本最高峰の料亭でバイトすることになった話――1
高峰さんと予定をすりあわせた結果、食事をするのは四月最後の土曜日に決まった。
当日の夕方。高峰さんの案内で、ご馳走になる食事処につく。その店を眺めながら、俺は呆気にとられていた。
「こ、ここで食事するの?」
「はい。恩人である神田くんには、できる限りのおもてなしをしたかったので」
なにしろ、連れてこられたのが、高峰さんの実家が営む高級料亭『はな森』だったからだ。
『はな森』の店構えは木造の日本家屋。なんでも大正時代から続く
ここに案内されるまでは、ファストフード店かファミレスでご馳走してくれるものだと予想していた。それだけに驚きを隠せない。想像と現実のギャップに言葉を失うほかにない。
まさか日本最高峰の料亭でご馳走してくれるなんて……流石はお嬢様。スケールがでかすぎる。
「さあ、こちらへ」
「あ、ああ」
ポカンとする俺を先導し、高峰さんが出入り口である門をくぐった。
門の先、塀に囲まれた敷地内には日本庭園があった。飛び石の上を歩きながら、はじめて都心を訪れた田舎育ちの子供みたいに、視線をキョロキョロと落ち着きなくさまよわせる。
あまりにも優美な空間。振る舞われる料理も、きっと極上のものだろう。
ただ、俺の胸中を占める感情は、『期待』よりも『不安』のほうが大きかった。
一介の高校生にすぎない俺が、こんなにも贅沢なところに来ていいのだろうか? 場違いなんじゃないだろうか?
視界に美しい庭園が広がっているが、楽しむ余裕は微塵もない。じんわりと手汗が滲み、体の芯が冷たくなる錯覚を得る。
気まずさに
高峰さんが戸を開ける。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
高峰さんに勧められ、俺は恐る恐る敷居をまたぐ。
程なくして、奥からひとりの女性がやってきた。
「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」
正座して三つ指をつくその女性は、高峰さんそっくりだった。正確に表せば、『一〇年後の高峰さん』みたいなひとだ。
「えっと……高峰さんのお姉さんですか?」
「あら? 嬉しいことを仰ってくれますね」
クスクスと笑みをこぼし、彼女が自己紹介をする。
「はじめまして。当店で若女将を務めています高峰
「娘? えっ!? お母さん!?」
「はい。わたしのお母さんです」
俺のリアクションがよほどおかしかったのだろう。高峰さんまでもが笑みを漏らす。
ポカンとしたまま立ち尽くしていると、由梨さんが、
「どうぞおあがりください。履き物はそちらに座って脱がれるとよろしいですよ」
「は、はい。お邪魔します」
我に返った俺は、由梨さんに促されるまま椅子へと向かう。
その途中。
「ととっ!?」
「神田くん!」
緊張のあまり足元がおぼつかず、よろめいてしまった。
「大丈夫ですか?」
「ゴメン。ちょっと緊張してて……」
「緊張?」
キョトンとする高峰さんに、俺は苦笑を返した。
「俺みたいな普通の高校生が、こんな一流料亭で食事をしていいのかなって思っちゃってさ」
「そんな心配、しなくてもいいですよ」
自嘲する俺に、高峰さんが柔らかく微笑みかける。
「神田くんはわたしの恩人なのですから、自分を卑下することなんてしなくていいんです。むしろ、胸を張ってくれて構わないんですよ?」
「ええ。わたしを含めた『はな森』の従業員も、あなたを無下に扱うつもりはありません。精一杯のおもてなしをさせていただきます」
由梨さんも高峰さんに賛同し、目を細めた。
俺はホッと息をつく。
「そう言ってもらえると嬉しいです」
体の
個室に通され、俺は座布団の上に座る。
続いて高峰さんが、机を挟んで向かい側に座った。
「高峰さんも一緒に食事してくれるんだね」
「はい。よろしいですか?」
「もちろん。こんなに上等な場所で、ひとりで食事するのは居心地が悪いし、こっちからお願いしたいくらいだよ」
「それはよかったです」
高峰さんが頬を緩める。
その可憐な笑顔に見とれて――ふと気づいた。
高峰さんクラスの美少女とふたりきりで食事するのも、充分居心地が悪いんじゃないか?
高峰さんは、桜沢一と称されるほどの美貌の持ち主。例に漏れず俺も、彼女のことを素敵なひとだと思っている。
そんな子と、いまからふたりきりで過ごすのだ。考えただけで鼓動が速まる。
加えて、俺と高峰さんが交流したことはほとんどないため、上手く話のやり取りができるかも、場が持つかもわからない。
だ、大丈夫か? 食事中ずっと、お通夜みたいな雰囲気になる可能性もあるけど……。
タラリと冷や汗が流れる。解けたはずの緊張が蘇ってくる。
そんななか、静かに障子戸が開かれた。
現れた由梨さんが、深々と頭を下げる。
「失礼します。先付けをお持ちしました」
「あ、ありがとうございます」
お礼を口にした俺と、高峰さんの前に、由梨さんが先付けを差し出した。
ブランドものと思しき和皿には、宝石と見間違いそうなほど美しい、前菜が盛り付けられている。
「本日の先付けは、『イトヨリダイのジュレ仕立て』でございます。いまが旬のイトヨリダイと菜の花を、ポン酢と
料理の説明を終えた由梨さんが、「ごゆっくり」とお辞儀をしてから去っていった。
先付けをまじまじと眺め、俺は「おおっ」と
イトヨリダイの紅白、菜の花の鮮やかな緑、琥珀色のジュレ。料理は舌だけでなく目でも楽しむものだが、その点において、この品は最上級と言えるだろう。
「綺麗な料理だなあ。食べるのがもったいなく感じちゃうよ」
「ありがとうございます。板前さんたちもきっと喜びます」
俺の賞賛に、高峰さんが我がことのように微笑んだ。
まだまだ鑑賞していたいけど、できたてのうちに食べたほうが、調理してくれたひとは喜ぶだろう。
もったいない気持ちを抑えて、俺は手を合わせる。
「いただきます」
「はい。お召し上がりください」
ニコニコする高峰さんに眺められつつ、イトヨリダイ・菜の花・ジュレを、まとめてスプーンでひとすくい。口に運んでしっかりと味わう。
「いかがですか?」
「美味い……ビックリするくらい美味しいよ!」
「ふふっ。ありがとうございます」
先付けは、溜息が漏れるほど美味しかった。流石は日本最高峰の料亭。次元が違う。
感動のあまり、語らずにはいられなかった。
「蒸すことでイトヨリダイのうま味がしっかりと閉じ込められていて、身もふわふわになっている。菜の花のシャキシャキとジュレのプルプルが相まって、味だけでなく食感でも楽しませてくれるね。ジュレの味付けも控えめで、主役であるイトヨリダイの邪魔をしていない。むしろ、引き立てている。絶妙な
一息でそこまで述べて――ハッとする。
急に早口で語り出した俺に驚いたのか、高峰さんがポカンとしていたからだ。
「ゴ、ゴメン! つい興奮しちゃって!」
「い、いえ! 謝られることなんてないですよ!」
慌てて謝る俺に、高峰さんがブンブンと首を横に振る。
「ただ、ビックリしてしまいまして。文句の付けようがないくらい適確な分析ですし、隠し味に気づいた方なんて、これまでにいませんでしたから」
「あはは。なんていうか、癖なんだよ」
「癖、ですか?」
小首を傾げる高峰さんに頷きを返し、俺はポリポリと頬を掻いた。
「俺に料理を教えてくれたひとが、『料理を舌で理解できるようになりなさい』って、鍛えてくれたんだ」
「とんでもない方が先生なんですね……!」
高峰さんが目を丸くして、納得がいったように、ぽん、と手を叩く。
「それで、神田くんは料理がお上手なんですね。先日の調理実習のパンケーキ、まるでプロの方が作ったみたいでした」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
「はい。わたしも料理の心得があるのですが、遠く及びません」
「けど、高峰さんのパンケーキもメチャクチャ良い出来だったよ。お店で売っててもおかしくないと思う」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
笑い合う俺と高峰さん。
調理実習の感想をきっかけに、俺たちの会話は弾んでいく。
ふたりきりの状況に緊張していたことは、すっかり忘れていた。
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