お嬢様クラスメイトの実家の手伝いをしたら全力で外堀を埋められはじめた

虹元喜多朗

第一章

プロローグ:お嬢様クラスメイトを助けたら食事に誘われた

 高峰彩芽たかみね あやめほど『お嬢様』という表現が似合う高校生は、そうそういないだろう。


 丸く愛らしい小豆あずき色の瞳。


 すっきりした鼻筋に、瑞々みずみずしいローズピンクの唇。


 ロングストレートの髪はつややかで、駿馬しゅんめのようなブラウンだ。


 肌は新雪のように白く、くすみひとつない。


 背丈が平均的なのは、『ひとつくらい平凡な点を作らなければ、ほかの女性に嫉妬されてしまうだろう』と神様が配慮したからではないだろうか? そう思ってしまうくらい、高峰さんは美しい容姿をしている。


 彼女が優れているのは容姿だけではない。育ちの良さを感じさせる、洗練された所作しょさ。淑やかで心優しい性格。頭脳明晰で成績もトップクラス。非の打ち所がないとは、まさにこのことだ。


 ただ、「美人で性格が良くて成績優秀だからって、お嬢様と呼ばれるものなのか?」という疑問は出てくると思う。


 たしかにその通り。しかし、『お嬢様』と呼ばれるにしかるべき要素を、高峰さんは持っているのだ。


 高峰さんの実家は日本で一、二を争う名料亭を営んでおり、各界のお偉いさんとの繋がりもある。家ではお手伝いさんが働いているらしいし、彼女自身にも、護衛を兼任する付き人がいる。


 そう。高峰さんは名家のご息女。正真正銘のお嬢様なのだ。




 調理実習の授業を受けながら、俺――神田哲かんだ てつは、別の班にいる高峰さんを眺めていた。


 高峰さんが、フライパンで焼いていたパンケーキをひっくり返す。その動作には危なげなところが一切なく、パンケーキの焼き色も完璧だ。


 一目で料理上手だとわかる。おそらく、実家が料亭を営んでいる関係で、心得を学んでいるのだろう。


こなれた手つきだ。見事なもんだなあ」

「それ、お前が言うことか?」

「そーそー。嫌味に聞こえちゃうよ」


 感心する俺に、呆れた声がふたり分、かけられる。


 声がしたほうを向くと、快活そうな長身の男子と、金髪ポニーテールの小柄な女子が、苦笑いを浮かべていた。


 男子のほうは金津修司かなづ しゅうじ。女子のほうは茜井知香あかねい ちか。ふたりは幼なじみ同士であり、ここ、桜沢さくらざわ高校で有名なラブラブカップル。俺とは中学時代からの付き合いで、高二になったいまでもつるんでいる友達だ。


 ふたりの指摘に俺は眉をひそめる。


「嫌味なんかじゃなくて、素直な感想なんだけど」

「もちろん、わかってる。哲はそんなひねくれたやつじゃないもんな」

「でも、を作りながら言われたらさー」


 知香が俺の手元を指で示す。


 俺が手にしているのはフライパン。その上で焼かれているパンケーキは羊雲のようにふっくらしており、見るからにふわふわだ。


「これ、スフレパンケーキってやつだよね? 絶対に美味しいやつじゃん。食べなくてもわかるよ」

「店で出てくるレベルだよな。てか、どうやって作ったんだよ? 材料はほかの班と同じはずだぞ?」

「材料が同じでも、調理法を工夫すれば作れるよ。どうせなら美味しいほうがいいじゃん。作ったパンケーキは班のみんなで食べるんだから」

「それに関しては完全に同意」

「あたしたち、哲くんの友達でよかったー」

「現金な友情だなあ」


 親指を立てるふたりに苦笑しながら、俺はわざとらしく肩をすくめてみせる。


「高峰さんが料理上手だとは俺たちも思うけど、哲は特別だよな」

「規格外だよね。俺Tueeeってやつ」

「哲、もしかしてお前、人生二周目?」

「なろう系主人公か、俺は」


 パンケーキをひっくり返しながら、俺は答えた。


「教えてくれたひとがスゴかったんだよ」



     □  □  □



「ん?」


 放課後。家に帰る途中、俺はその場面を目撃した。


「大丈夫だって。きみならすぐに売れるよ」

「い、いえ、お構いなく」

「不安なのはわかるけど、俺に全部任せときな。うちの事務所は大御所とのパイプもあるからさ」

「その……わたし、芸能界に興味がなくて」

「まあまあ、悪いようにはしないって。とりあえず、お茶でもしながら話そうよ」


 ギラギラした服装の、いかにもチャラそうな男が、高峰さんに絡んでいるところを。


 高峰さんが困り顔で断っているが、男は聞く耳を持たず、名刺を見せびらかしながらなおも迫る。


 芸能事務所の人間ならば、高峰さんほどの美少女を見かけたら声をかけずにはいられないだろう。スカウトしたくなる気持ちもわかる。


 ただ、なんかうさんくさいんだよなあ、あの男。


 疑わずにはいられなかった。


 なにしろ、その男はいかにも下心がありそうな顔で、小玉スイカみたいに膨らんだ高峰さんの胸を凝視しているからだ。


 高峰さんをお茶に誘っている点も怪しい。あくまで推測なのだが、あの男はスカウトマンのフリをしたナンパ野郎じゃないだろうか?


 辺りを行き交うひとたちも男をうさんくさく感じているようで、チラチラと視線を向けている。それでも、高峰さんを助けようとするひとはいなかった。


 冷たいとは思うけど、しかたないだろう。自ら進んで厄介事に飛び込む者は、決して多くはないのだから。


 正直に言えば、俺も面倒事は避けたい。見て見ぬ振りをしたいという気持ちはある。


「けど、ここで高峰さんを見捨てたら、絶対に寝覚めが悪いだろうなあ」


 呟き、はぁ、と溜息をついて、俺は高峰さんに駆け寄った。


 よそ行きの笑顔を貼り付けて、男と高峰さんのあいだに割り込む。


「ゴメンゴメン。ちょっと遅れちゃったよ」

「え?」

「はあ?」


 高峰さんが目をパチクリさせて、男が不機嫌そうに顔をしかめる。


 男に見せないように高峰さんのほうへ振り返った俺は、笑顔の仮面を外し、『話を合わせて』との意味を込めて視線を送った。


 俺の意図を察したらしく、高峰さんがハッとして、小さく頷きを返す。


「いえ、気にしないでください」

「ありがとう。じゃあ、行こうか」


 急いで男から離れるべく、俺は高峰さんの手を取ってきびすを返した。


「ちょっと待ってくんない?」


 だが、そう簡単に逃がしてはくれなかった。不愉快さを露わにした声で、男が俺を呼び止める。よほど高峰さんをものにしたいのだろう。


 渋い顔をして振り返ると、男がさげすむように睨んできた。


「きみ、なんなの? いきなり割り込んできて。その子と俺は大切な話をしてるんだけど?」

「この子には話すつもりがないみたいですが? 現に先ほどから何回も断っているでしょう? いい加減諦めたらどうですか?」

「いやいや。その子はまだ、俺の話の価値がわかっていないんだよ」


「やれやれ」と首を横に振った男は、両腕を広げ、芝居がかった口調で語る。


「いいかい? 俺の話に乗れば、その子は薔薇色の人生を歩めるんだ。断るなんてあり得ない。だから、部外者は引っ込んでいてくれないかな? きみにこの子の人生を左右する権利なんてないだろう?」


 あまりのしつこさに頭が痛くなってきた。


 うんざりしながらも、俺は考えを巡らせる。


 このままではらちが明かない。この男を黙らせるには、どう答えればいい?


 焦燥感に駆られ、考えに考えて――閃いた。


 俺は声を張り上げる。


「部外者なんかじゃない! この子は俺のカノジョなんだから!」

「ふぇっ!?」


 ぽひゅっ、という音が聞こえそうなほどの勢いで、高峰さんの顔が真っ赤に染まる。


 我ながらとんでもないことを口にしているよなあ、と頭の片隅で思いながら、俺はまくし立てた。


「大切なひとの心配をしてなにが悪いんですか! そっちこそ、この子の人生を左右する権利なんてないでしょう!」

「な……っ」

「俺の大切なひとの人生を、勝手にねじ曲げないでください!」


 男が怯んだ隙に、いまだに真っ赤な顔をしている高峰さんの手を引く。


 足早にその場を離れた俺は、男の様子をうかがうべくチラリと振り返った。


 苛立たしげに舌打ちこそしたが、男が俺たちを追ってくることはなかった。これ以上は時間の無駄だし、騒ぎが大きくなったら面倒だと判断したのだろう。


 ようやく諦めてくれたか。


 窮地を脱し、俺は安堵の息をつく。


 ただ、まだ問題は残っていた。


 あの男から逃げるためとはいえ、カレシ振るのはマズかったんじゃないかなあ。手も握っちゃったし。


 冷や汗が頬を伝う。


 気まずさと恥ずかしさで高峰さんの顔を見られない。男から逃げることに必死で気にならなかったが、高峰さんの手の温もりが、柔らかさが、なめらかさが、やけに鮮明に伝わってくる。


 男と対峙していたときもうるさかったが、俺の心臓はいま、別の原因でドキドキしていた。


 と、とりあえず、高峰さんに謝ったほうがいいよね。


 そう思った直後。


「彩芽様になにをされているのですか?」


 ナイフのように鋭く、氷よりも冷たい声がした。


 同時、俺の右腕が何者かにつかまれて、後方に捻られる。繋いでいた高峰さんの手が離れ、視界がぐらりと傾く。


 気づけば俺は、うつ伏せでアスファルトに倒されていた。


 なにが起きたのかわからず、俺は軽いパニックにおちいる。追い打ちを掛けるように、自由を奪われた右腕に激痛が走った。


……ぎっ!?」

「彩芽様に不埒ふらちな真似をされましたね? 万死に値します」


 激痛にさいなまれながら振り向くと、黒真珠の如き切れ長の瞳と目が合った。


 美しい瞳の持ち主は、中性的な顔立ちの女の子。


 まとう雰囲気は騎士ほどに凜々しく、セミショートの髪は、宵闇を写し取ったかのような黒色だ。


 高峰さんより一〇センチほど高いだろう体躯たいくは引き締まり、スレンダーながらも力強さを感じる。


 彼女の名前は月本美影つきもと みかげ。高峰さんのクラスメイトであり、付き人であり、護衛でもあるひとだ。


「申し訳ありません、彩芽様。由梨ゆり様からのご用があったとは言え、わたしがおそばに控えていなかったばかりに、このような目に遭わせてしまいました。一生の不覚です」


 宝玉のような双眸そうぼうに宿す、冷たい怒りを俺に向けたまま、月本さんが高峰さんに謝罪する。


「いかなる処罰も甘んじて受け入れる所存ですが……まずは、この不届き者を懲らしめることにしましょう」

「あだだだだだっ!!」


 つかまれた右腕がねじり上げられ、ミシミシと骨がきしむ。全身の汗腺から脂汗が噴き出し、恐怖のあまり血の気が引いた。


 お、折られる! マジで折られる!


 最悪の事態を予期して、俺は涙目で悶える。


「待って、美影!」


 絶体絶命の俺に、救いの手が差し伸べられた。月本さんに向けて、高峰さんが制止の声を張り上げたのだ。


 血相を変えて、高峰さんが月本さんに訴える。


「そのひとは――神田くんは、わたしを助けてくれたの!」

「助けた? この方がですか?」

「そう! わたし、男のひとに絡まれていて……そのひとから逃げるために、神田くんはわたしの手を取ったの! だから、なにも悪いことはしていない! 神田くんはわたしの恩人なの!」

「……わかりました」


 月本さんが俺の腕から手を放す。


 俺は解放された腕を抱えるようにして、さすった。効果があるかはわからないけれど、少しでも痛みが治まってくれればと思いながら。


 ひ、ひどい目に遭った。人助けをしたっていうのに、骨を折られるなんてたまったものじゃないよ。


 ゼーゼーと肩で息をしながら、よろよろと立ち上がる。


 弱り切った俺に、月本さんが頭を下げた。


「こちらの早とちりで危害を加えてしまい、大変申し訳ありません」

「い、いや、勘違いは誰にでもあるから……」


 頬をヒクヒクさせて、俺は本音を偽る。


 正直、文句は山のようにある。けれど、ぶつける気にはならなかった。なにしろ、相手が月本さんなのだから。


 月本さんは、身体能力も運動神経もバケモノじみている。少なくとも、桜沢高校うちの生徒で彼女に敵う者はひとりとしていない。たとえ成人男性であっても、大抵のひとは勝負にすらならないのではないだろうか?


 加えて、月本さんは男性に対して強い警戒心を持っている。実際、高峰さんのお近づきになろうとした男子生徒は例外なく、月本さんにコテンパンにされているのだ。


 月本さんの左手の甲には傷跡があるのだが、『あれは高峰さんを襲った暴漢を病院送りにした際にできたもの』と噂されている。


 そんな月本さんに噛みつく真似が、どうしてできるだろうか? 納得はいかないけれど、泣き寝入りするほかにない。


「頭なんて下げなくていいよ。俺は全然気にしてないから」

「恐れ入ります」


 不満を隠しながらうながすと、月本さんが頭を上げた。


 口では謝っているけれど、月本さんの表情は依然として冷ややかなままだ。もしかしたら、まだ俺を疑っているのかもしれない。


 威圧感に負けて後退あとずさったところ、月本さんが問いかけてきた。


「ひとつお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「あ、ああ。なに?」

「なぜ、あなたは彩芽様を助けられたのですか? 話を聞く限り、あなたにメリットはない。むしろ、面倒事に巻きこまれるような状況だったと思うのですが」


 月本さんの視線は槍のようで、嘘偽りは許さないと言外に告げている。


 その迫力に唾をのんだ俺は、緊張を鎮めるために深呼吸して、答えた。


「高峰さんを見捨てたら、後悔すると思ったからだよ」

「後悔、ですか?」

「なんていうかさ? この先の生活で、『あのとき、俺は高峰さんを見捨てちゃったんだよなあ』とか、『勇気を出して助ければよかったなあ』とか、ふとした瞬間に思い出しちゃうかもしれないでしょ? それが嫌だったんだ。言っちゃえば、高峰さんを助けたのは自分のため。自己満足に過ぎないよ」

「自分のため……」


 騎士のように引き締められていた月本さんの表情が崩れ、鳩が豆鉄砲を食らったみたいなものになった。俺の解答が予想外だったのだろうか?


 よくわからないけど、いまなら話を打ち切れるかもしれない!


 これ以上、月本さんのプレッシャーにさらされていたくなかった俺は、チャンスとばかりに踵を返す。


「じゃ、じゃあ、俺はこの辺で!」

「待ってください!」


 立ち去ろうとした俺の背中に、高峰さんの声がかけられた。


「なにかお礼を……お食事などはいかがでしょう? ご馳走させてもらえませんか?」


 足を止めて、俺は手を振る。


「別に気を遣わなくていいよ。見返りがほしくて助けたわけじゃないんだから」

「ですが、こちらは神田くんにひどいことをしてしまいましたし……」


 高峰さんが眉を『八』の字にして、月本さんがばつが悪そうに目を逸らした。


 たしかに、高峰さん側は俺に危害を加えている。勘違いで傷つけてしまったことに、負い目を抱いていてもおかしくない。


 だとしたら、高峰さんの誘いを受けたほうがいいのではないだろうか? 食事をご馳走になるのが嫌なわけじゃないし、高峰さんたちの罪悪感も薄れるし。


 考えをまとめ、俺は返事する。


「なら、厚意に甘えることにするよ」

「はい!」


 高峰さんが、安堵と嬉しさが混じったような笑みを見せた。

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