全ての人は宗教をしている

エリファス1810

全ての人は宗教をしている

 今の日本人には無宗教の人が多いらしい。

 さらに、今、ヨーロッパやアメリカでは無宗教の人が増えているそうである。


 「宗教を信じない」と言う人は、科学を、何らかの物事を判断するための基準としているようである。


 しかし、「宗教を信じない」と言う人は誤りが無い全知全能の科学者だろうか?

 また、「宗教を信じない」と言う人は判断基準としている「現時点で科学的に正しい」と言われている物事を実験して発見した当事者だろうか?


 科学を判断基準としている「宗教を信じない」と言う人は、「現時点で科学的に正しい」と言われている物事を、誰かの言葉の受け売りで信じているだけではないだろうか?


 さらに、実際、「現時点で科学的に正しい」と言われていた物事が後で否定されて「科学的に誤りである」と訂正される事が多々有る。

 それに、正反対の2つの説が有って、どちらの説が正しいのか不明な事も多々有る。


 科学を判断基準としている「宗教を信じない」と言う人は宗教の代わりに科学を信じているに過ぎないのである。


 多かれ少なかれ、人は、全知全能ではないので、知らないにもかかわらず、何らかの物事を判断するための基準として何かを信じる必要が有るのである。


 何らかの物事を判断せずに済む人なんて存在しない。


 つまり、多かれ少なかれ、全ての人は何かを信じる事をしている。


 大胆に言い換えると、全ての人は宗教をしているのである。


 さて、金銭の大小や肉体の美醜といった物質を判断基準としている人は、広い意味では宗教をしてはいるが劣悪であるため、遅かれ早かれ、動物的人間や心無い機械仕掛けの人形に堕落してしまう。


 人は望ましい物事を信じる。

 そのため、人は、信じている対象が望ましいので、信じている対象を模倣したり、信じている対象に近づこうとしたりする。


 だから、物質を判断基準とする劣悪な段階よりも向上できなかった稚拙な人間は動物的人間のままで終わってしまう。


 事実、金銭の大小や肉体といった物質を判断基準とする者どもは、金銭で買収されて裏切ったり、保身に走ったりしかねないので、信頼に値しない。


 このため、人は、物質を超越したもの、良い意味で美しいもの、真の意味で強いものを信じる必要が有る。


 人は無闇に信じてはいけないのである。


 人は知力によって論理的な仮定を論理的に信じる必要が有る。


 その上、正しい人は、信じている対象が望ましいはずなので、熱意を持って信じる必要が有るし、熱意を持つように成るはずである。


 そのために、逆に考えると、人には知力によって熱意を持って信じる事ができるように成る能力または可能性が有るはずである。


 大胆に言い換えると、人には宗教をするための能力が与えられているはずである。


 だから、人と宗教は不可分である。

 人と宗教は切っても切れない関係なのである。

 良くも悪くも、人の歴史は宗教の歴史に成るはずである。

 誤った精霊信仰、誤った霊への崇拝、誤った偶像崇拝、誤った人間の神格化、誤った無神論への盲信、誤った科学への盲信という人の迷いによる夜の闇を、正しい唯一の男性神の宗教の論理的な知的な啓発的な夜明けの光が打ち破るのが人の歴史であるし宗教の歴史である。

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