第6話 保護法益
午前7時、佐藤家の食卓では、母花子と勝が朝食をとっていた。
「今日は昼から雨が降るみたいだから、傘持って行きなさいね」
「ん」
勝のリュックサックには折り畳み傘が常備してあるため、無関心に返事をする。
朝食を食べ終えた勝は自室へ戻ると、リュックサックを背負って玄関に向かった。
キッチンの母に対して「行ってきます」と一声かけると、勝は玄関を開けた。
陽の光に晒され、新鮮で清潔な空気を肺いっぱいに吸い込むと、大きく吐き出した。
勝は、毎日行うこの瞬間が好きだった。
体のあちこちの血管には、ワインボトルのコルクのような物が、血液や生気の流れを滞らせており、それを空気によって押し出すことで清純な物を全身に巡らせて、コルクを体外に吐き捨てる。
ルーティーンを終えると、勝は玄関を出た。
最近は日中の気温も上がり、ベタつく暑苦しさが肌に纏わりついてくるようになったが、朝はまだ過ごしやすい。
勝は、日光に背を押されながら通学路を行く。
正門を抜けて校舎を見上げると、最近塗り直しを終えたばかりの純白の外壁が朝日を反射し、瞳に眩しかった。
今日も岩崎らは罪を重ね、裁きを受けることになると考えると、自然と足取りは軽くなり、期待と優越感で鼓動が高鳴るのを感じた。
しかし、勝の期待は裏切られることになった。
おかしい、もう昼休みも終わるというのに、岩崎らは、一向に絡んでこない。
岩崎たちは登校すると、相変わらずスマホに熱中し、昼休みには、他の男子生徒と肩を組んで購買に向かい、姿を現さない。
これは一体どういうことだ。
先日の一件で、勝がなんの反応も示さなかったことで、飽きられたのか。
勝が煮え切らない想いを抱いたまま、今日1日は幕を閉じた。
勝は自室の机に向かうと頬杖をつき、左手でペンを転がしながら考えた。
『あいつら、ついに改心したのか。
自分たちがどれだけ愚かで、人としての価値が無いことを理解したのかもしれない。
奴らは正しい人間になるための一歩を、今日踏み出したんだろう。
だが所詮は今日1日だけのこと。
明日になれば、また本性を表すかもしれない。』
勝は退屈な一日を終わらせるため、布団に入った。
やはりおかしい。
翌日も、そしてその次も、早一週間が経つが、岩崎たちは勝になんの関心も示さなくなってしまった。
まるで、犬がそれまで遊んでいたおもちゃに急に関心を示さなくなるように、勝は教室の隅で置いてけぼりにされていた。
勝はここ1週間程、平凡な高校生生活を送っていた。
必然的に、あのノートを開くことも無かった。
退屈な昼休みに、勝は原点に立ち返った。
『いや、これは法が正しく作用している証拠ではないか。』
法律とは、抑止力でもある。
何も犯罪が起きていないということは、法律の睨みが効き、秩序が維持されている証拠である。
これまで勝は、処断することに重きを置き、ある種の快楽を感じていた。
しかし、岩崎たちからの攻撃が止んだということは、これ以上なく、法律の存在意義が達成されていることを意味していた。
『僕の勝利だ。
法律が味方についているのは変わらないんだから、奴らがまた血迷った時には、裁いてやればいい。』
勝は1人で勝ち誇り、口角が釣り上がるのを抑えられなかった。
昼休みが終わると体育の授業だった。
やはり体育とは退屈な授業である。
今日はバレーボールをやらされているが、ボールを受けるのは痛いし、サーブは入らないしで、面白さも楽しさもない。
勝のチームの試合が終わったので、体育座りをして試合を眺めていると、
「先生、小西が突き指したそうです!」
田代だった。
「そうか、大丈夫かー?小西」
教師が問いかけると、小西は右手を庇いながら、
「そんなに大したことないです。」
と答えた。
「田代、保健室に連れてってやれ。」
教師がそう言うと、田代は小西の肩を持ち、保健室に向かった。
相変わらず、教師の前ではリーダーシップを発揮する田代に嫌気がさしだだけで、その日も平凡に終了した。
岩崎たちは足早に部室に向かい、教室を後にした。
友達のいない勝も、授業が終わった学校に用はない。
リュックを背負ってのそのそと教室を出ようとしたその時。
「おい」
聞き馴染みのない声に呼び止められた勝の肩が、一瞬跳ね上がると、振り返った。
そこには、小西が立っていた。
小西は岩崎達とよくつるんでおり、勝も何度か悪口を言われたことがあった。
しかし、大した物では無かったので、別に恨んではいないし、恨まれる覚えもない。
勝が呆気に取られていると、小西は「ちょっと、こっち」と勝の腕を掴んでトイレに連れ込んだ。
またここか、と勝は内心呆れたが、次の瞬間、小西は勝の胸ぐらを掴み、壁に押し付けた。
『こいつも処罰対象に加えるべきか?』
勝がそう思ったのも束の間、
「なんでお前じゃねえんだよ!」
と顔面間近でそう叫ばれた。
「へ?」
これには勝も、思わず情けない声をあげてしまった。
「お前だったじゃん!いじめられてんの!
なんで俺がやられなきゃいけねえんだよ!!」
勝は全て理解した。
犬は、そのおもちゃに飽きれば、違うおもちゃで遊ぶ。
ここ一週間ほど岩崎たちの攻撃がなかったのは、ターゲットが勝から小西に変わったからだったのだ。
「小西くん、岩崎くんたちからいじめられてるの?」
勝が問うと、
「ここ最近毎日だよ!
毎日購買とか奢らされたり、さっきの体育でも思いっきりボールぶつけられて怪我させられて!」
小西の嗚咽が混じった叫び声が響く。
「でも、ぼ、ぼく、悪くなくない?」
逆恨みも甚だしいと腹が立った勝は、強気に言い返す。
すると小西は勢いよく手を離すと、袖で鼻水を拭きながら、
「そんなことわかってんだよ。
でも、お前あんだけいじめられてたのに、なんで急に俺になったのか、納得出来ないから。」
我に帰ったのか、落ち着いた口調になった。
「おまえ、どうやったらいじめられなくなったんだよ。
これ以上ひどくなったら、俺耐えられないかも。」
どうやったら、と言われても、なぜ急にいじめられなくなったのか、勝にもさっぱりわからない。
「わ、わかんない。
なんか、急に…」
「なんだよそれ!意味わからん!」
小西は頭を掻きむしって叫んだ。
「もういいわ!お前に聞いても意味ねーわ!」
そう吐き捨てると、小西はそそくさとトイレから出て行った。
取り残された勝は、法律とは何か、自分の信条について今一度考えた。
『法とは、社会秩序を維持し、常に厳しく、時に優しく、全ての弱者を無条件に守護する存在』
全ての弱者…
今の小西は、紛れもない弱者だ。
そうか、彼も法に守られるべき存在なのだ。
これまでの勝の自己防衛法は、勝のみを守る法律であった。
『僕は法の番人なんだ。
みんなのことも守らないと。』
勝は、自分を恥じた。
これまで散々、岩崎らを「自己中」と卑下していたくせに、自分も自己中心的ではないか。
自分だけが守られればそれで良い、など、法の番人にあるまじき思想である。
となれば、改正である。
『僕が守ってあげるよ』
心の中でそう呟くと、家路についた。
自室に入るや否や、勝はノートを開きペンを握った。
今回の改正は、法の適用範囲の拡張である。
だが、単に保護対象を勝と小西に限定したならば、他の生徒に岩崎らの魔の手が伸びた際に、小回りが効かなくなってしまう。
よって、法の適用範囲を「全校生徒」に変更した。
他にも細々と修正を加えた。
勝が平凡な日々を過ごして約1週間。
本来、勝が望んでいた、穏やかに流れる1日1日は、なぜか退屈なものだった。
だか明日からは、再び勝が目を光らせて、岩崎たちを処断することが出来るのだ。
-処断することができる
そう思うと、勝の心臓は、ギアを上げたように鼓動を強めた。
ソワソワして体を動かしたくなったが、気付けば夜になっている。
勝は台所に行くと簡単に食事を済ませると、布団に入った。
その夜は、かなり寝つきが悪かった。
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自己防衛法(改ニ)
第一条 目的
この法律は、佐藤勝が所属する公立高校の全校生徒(以下甲という)の日常生活の安全を保護し、この法律で定める禁止行為に対する処罰を円滑に実行することを目的とする。
第二条 刑罰
第一項
刑罰は没収、罰金及び死刑とする。
第二項
★2つに達した者は、没収の刑に処する。
★6つに達した者は、罰金の刑に処する。
★10個に達した者は、死刑に処する。
第三条 処罰対象
この法律の処罰を受ける対象は、以下に定める者 とする。
①岩崎 弘明
②田代 一
③大岩 照義
第三条 禁止行為
第一項 ★1つに該当する禁止行為
①甲の所有物品を損壊すること。
②甲の所有物品の使用を著しく困難にすること。
③甲の名誉を毀損すること。
④甲に関する虚偽の情報を流布すること。
⑤甲を畏怖させること。
第二項 ★2つに該当する禁止行為
①甲に対して暴行を加えること。
②甲の所有物品を窃取すること。
③甲を欺き、所有物品を騙し取ること。
④甲の親族の名誉を毀損すること。
⑤甲の親族に関する虚偽の情報を流布すること。
⑥甲に義務のない行為を強制させること。
⑦甲を脅迫すること。
⑧甲を監禁または逮捕すること。
第三項 ★3つに該当する禁止行為
①甲を傷害すること。
②甲の所有物品を強取すること。
③甲の所有物品を脅し盗ること。
④甲の生命に対する危険を生じさせること。
⑤甲の心身の障害を侮辱すること。
第四条 減刑の禁止
付された星の数は、減少しない。
第五条 未遂犯について
この法律において、未遂犯は、一つ減した星の数を付する。
第六条 処罰の方法
第一項 没収
没収は、当該人物の所有物品一つを没収し、破棄することで執行する。
第二項 罰金
罰金は、当該人物の所持金を甲が取得することで執行する。
第三項 死刑
死刑は、執行方法を問わない。
死刑の執行については、甲の任意による。
第七条 共犯について
禁止行為の現場に居合わせた者は正犯とみなし、着手しなかったものについても、全員に規定の★を付する。
第八条 改正について
この法律は佐藤勝の意思に基づき、何時でも改正することができる。
改正法は、佐藤勝がノートに条文を書き終えた瞬間から施行される。
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