第4話 施行

朝、目覚めを催促するスマホのアラームを止めると、まだ霞んだ視界で食卓へ向かう。


 すでに母が朝食の準備を済ませ、「おはよう」と出迎えた。


 勝が壁際に設置されたテレビの向かいの椅子に腰掛けると、母は、バターの乗ったトーストとコップ一杯の牛乳を差し出した。


 勝は何も言わずにトーストを手に取ると、固形のバターがとろけて滑り落ちそうになり、慌ててトーストを水平に戻して口に運んだ。


 テレビの中の色白で美しい女性によると、今日は一日中晴れらしい。


 朝支度を済ませると、勝は玄関を出て学校へ足を運んだ。


 抜けるような青空が広がり、その下には忌々しい家々が立ち並んでいる。


 そんないつも通りの通学路。


 違うことといえば、ひとつだけ。


 なだらかな道路を15分ほど歩けば、勝の通う公立高校にたどり着く。


 それは住宅街のすぐそばにある一際大きな建物で、その圧倒的な重厚感でもって鎮座している。


 この建物を見るたびに、勝は、中学校の修学旅行で観た、奈良の大仏を想起する。


 堂々たる風格をもって、腰を据え、無差別に人を見下ろしてくる感覚が、似ているのかもしれない。


 正門に向かって吸い込まれる生徒の群れに、勝も従った。


 生徒たちでごった返す廊下を抜けて自分の教室に入ると、席につき、リュックサックから机へと教科書を移し替える作業に取り掛かる。


 無論、「自己防衛法」などど書かれた一冊のノートも、机に収納した。


 昨日までは憂鬱を極めていたこの時間だが、今は心強い。


 ホームルームまでまだ時間があるため、勝は岩崎とその一派に、今後降りかかる悲劇を妄想して時間を潰すことにした。


 時は意外なほどに穏やかにすぎた。


 いつもであれば、勝に対する攻撃が開始される頃合いだったが、岩崎たちは、最近流行りのスマホゲームに熱中しているようであった。


 勝は、スマホ片手に騒ぐ一群を横目で見やる。


 まず、1番背の高い男が岩崎である。


 岩崎はバレーボール部に所属しており、小柄な勝と比較すれば、頭二つ分ほど高い。


 そして、田代がいる。


 こいつは陸上部で、体育の100メートル走では、ぶっちぎりの記録を叩き出し、教師や他生徒からもてはやされていたことが記憶に新しい。


 最後に、大岩である。


 こいつが1番厄介で、何せ柔道部の所属で、腕っぷしが強い。


 この高校の柔道部は、大会で成績を残せるほどの強豪というわけではないが、それでも経験者とそうで無い者とでは、生物的に雲泥の差がある。


 実際、大岩から殴られるのが、1番痛いのだ。


 その他取り巻きは、岩崎らから目をつけられないように、仕方なく勝をからかう程度である。


 彼らには迷いが感じられるが、岩崎たちにはそれがない。


 理不尽に、悪意の塊を砲丸のように叩きつけてくるのは、岩崎たちだけである。


 件の法律も、専らこの3人を対象に制作したものであった。


 結局、ホームルーム前後や休み時間で、岩崎たちが絡んでくることはなかった。


 しかし、時はすぎて昼休みになった。


 いつものようにトイレで時間を潰そうと廊下を早足で歩いていると、運悪く前方にたむろしていた岩崎から

 

 「今日もスパーするからお前も来いや」


と声をかけられてしまった。


 勝は、自分の心臓がサッと血の気を引く感覚を覚えた。


 勝は岩崎たちの背中をトボトボと追いかけた。


 拒否権はないし、拒否すればもっと酷い目にあうことは目に見えている。


 4人が向かったのは、体育館の裏にある用具倉庫である。


 岩崎たちは、最近何に影響されたのか、ボクシンググローブを持ち込み、倉庫の影に隠しておいているのだ、


 「最初は俺と田代な」


 岩崎はグローブを装着しながら言った。


 「おうやるか」


 田代もそれに従った。


 かくして、2人のスパーリングと言う名の小突き合いが始まった。


 全くもってど素人の勝から見ても、かなりレベルの低いものだ。


 一分ほどたっただろうか。


「あー疲れたわ、お前やれ」


 田代がグローブを勝に向かって投げた。


 反射的にこれをキャッチすると、隣に立っていた大岩が勝の背中をドンと押し、岩崎の前へと突き飛ばした。


 「付けないならもう行っちゃうよ?」


 岩崎はニヤつきながらそう言うと、ボクサーのステップのように軽く上下にジャンプし始めた。


 勝は恐怖で体が動かなくなっていた。


 昨日の全能感や、朝方の余裕など消え去っていた。


 所詮自分は貧弱ないじめられっ子であると言う現実を思い知らされた。


 頭が真っ白になっていると、


 「まあいいや、行くでー」


 岩崎はそう言いながら耳元まで振りかぶった右拳を投げ出すと、それは勝の顔面を完璧に捉えた。


 鼻を殴られて涙と鼻水が溢れた勝は反転して背を向ける形になった。


 岩崎は攻撃の手を緩めず、背を向ける勝に対して、左右の腕を振り回す。


 これが面白いように当たる。


 「顔面はやめとけよー笑」


 田代が嘲笑った。


 攻撃が続き、岩崎の息が荒くなった頃、


 「まだ大岩やってないよな

  こいつ相手になってくれるって」


 必死に両手をあげてうずくまる勝を指差して、岩崎が大岩を促した。


 大岩は素直にグローブをつけると、うずくまっている勝の足や臀部をサッカーボールのように蹴り始めた。


 そして、倒れ込む勝の顔面を目掛けて拳を叩きつけ続けた。


 勝はと言うと、「うう」「アッ」などど情けない声を上げることしかできない。


 このシゴキは3人が変わる変わる、昼休み終了直後まで続いた。


 「こいつ弱すぎ、話にならん笑」


 「男の子なんだからもっと強くなれよ」


 「また今度も誘うからな、逃げんなよー」


 三者三様言いたい放題言った後、3人は掃除に向かった。


 3人とも、表向きには文武両道の優等生を演じているため、教師の目につくところではまじめぶるのだ。


 勝はよれよれと立ち上がると、まだ痛む鼻を触った。


 そして、さっきの言葉を思い出した。


 「もっと強くなれよ」


 俺は強い


 なぜなら、勝は先日生まれ変わり、法の番人となったのだから。


 勝は思い出した。


 何もケンカで勝つ必要はなく、ただ淡々と奴らを処断すればよいのだ。


 さっき起こったことを思い返す。


 これは重罪である。


 勝は教室に走ると、一冊のノートを手に取るとトイレの個室に閉じこもった。


 そして、ノートに三人の名前を書くと、歪な☆を描き、濃く塗りつぶした。


 今回は全員、★二つの罪「甲に暴行を加えること」に該当する。


 しかし、まだ蹴られた右足が痛む。


 裾を捲り上げると、大きなあざができていた。


 足を蹴ったのは大岩だけだったな。


 勝は大岩に「甲を傷害すること」を適用し、★1つを追加した。


 これにより、3人は没収刑が適用されることとなる。


 勝は既に決意していた。


 同人らの所有物品、具体的には教科書類を没収し、破棄する。


 とは言っても、単純にゴミ箱に捨てたのでは、すぐに発覚し、そうなれば疑われるのは勝である。


 ではどうするか。


 勝は彼らの教科書を自宅に持って帰り、燃やすことに決めたのだ。


 勝が行動に移すのは早かった。


 5限は体育でバスケットボールの授業であった。


 5人づつのチームをつくり、トーナメントで試合をする形式がとられた


 岩崎らは運動もそつなくこなすため、今回もクラスの中心で、各々チームを引っ張っている


 勝は自チームが早々に敗退したのをいいことに、体育教師のもとへ近づくと。


 「す、すみません。トイレに…」


 と弱々しく申し出た。


 「わかった、行ってこい」


 体育教師は快く承諾した。


 勝は体育館を出ると、教室まで走った。


 教室に入ると、まずは岩崎の机から適当に教科書を引っ張り出した。


 それは英語の教科書だった。


 続いて田代の机。


 国語の教科書が出てきた。


 最後の大岩の机からも英語の教科書を拝借した。


 勝は急いで自身のリュックサックにそれらを詰め込むと一息ついた。

 

 刑罰は滞りなく執行されることになりそうで、安堵した。


 勝が軽い足取りで体育館に戻ると、試合はすでに決勝戦の終盤に差し掛かっていた。


 岩崎のチームが21点、大岩のチームが19点でかなりいい勝負と言ったところだ。


 熱狂するクラスメイトをよそに、スポーツに全くの関心がない勝は、1人達成感に浸っていた


 だがまだ油断はできない。


 没収は相手の所有物を破棄した時点で初めて完了する。


 それまで油断することなく、また、浮かれている様を悟られぬように、気をつけなければならないと、自分を戒めた。


 試合終了のホイッスルがなる。


 結果は岩崎のチームが点差を開き勝利したそうだ。


 岩崎のチームは熱狂し、ハイタッチする者や抱擁する者もあった。


 勝は、たかだか授業の試合で、アホくさい、と思いながら眺めていた。


 体育後は本日最後の授業である国語である。


 ここで一騒動起きた。


 「あれ、俺の教科書ないんだけど」


 田代が慌てて机の中をかき回す。


 「忘れたんじゃねーの」


 「いや俺置き勉してっから」


 勝は一瞬ぎくりとした。


 置き勉とは、教科書類を家に持って帰ることなく、学校に置いたままにする行為であり、そもそも移動させていない教科書がなくなれば、不審極まりない。


 盗られたとなれば、疑われる。


 「まあお前、結局寝るから教科書なくてもよくね?笑」


 確かに、体育終わりの国語の授業など、睡眠時間と同義と言っていいだろう。


 「うーん、とりあえず隣のクラスのやつに借りてくるわ」


 勝はほっと一息ついた。


 ひとまず大きな騒動になることはなさそうだ。


 国語の授業が終わると、ホームルームを経て放課後となった。


 岩崎らは部活動に所属しているため、早々に教室を後にし、勝はその影のように下校した。


 帰り道、勝の胸は未だかつて感じたことのない満足感を抱いていた。


 リュックサックには岩崎らの教科書が納められ、法は適切に執行されるのだ。


 スキップでもしたくなるのを必死に抑え、いつもの住宅街に入る。


 両脇には、たなびく洗濯物、買い物帰りの主婦、それぞれの生活が広がる幸福な家々が立ち並んでいる。


 勝は家に入ると自室へ急ぎ、3冊の教科書を手に取って庭へ向かった。


 そして、昔バーベキューで使ったU字溝を引っ張り出すとその中に教科書を投げ入れた。


 手にはマッチ箱。


 箱からマッチを一本摘み出すと、箱に擦り付け火をつけた。


 勝は小さく燃えるその炎を少し眺めたあと教科書の上に投げ入れた。


 炎は教科書に燃え移り、黒く焦がしながら広がっていった。


 やがて炎は大きくなり、教科書だった物はただのススとなった。


 勝は、ただただ嬉しかった。


 満足していた。


 何を隠そう、これは勝の人生で初めての成功体験なのだ。


 その炎は、教科書だけでなく、心に溜まっていた鉛のように重く、苦しいわだかまりをも燃やし尽くすように感じられ、心が軽くなった。


 勝は、教科書が燃えた後も、炎を絶やすのが惜しくなり、庭の落ち葉や枝をくべて、燃やし続けた。


 傍で、勝は一冊のノートを開いた。


  岩崎:★★

  田代:★★

  大岩:★★★


 気づけば、殴られ、蹴られた痛みなど何も感じなくなっていた。


 これは正義だ。


 法律に基づいた完璧な処罰なのだ。


 勝は高校入学後初めて、翌日が楽しみになった。


 恐怖は無い。


 明日も正義を執行できる。


 U字溝の中の真っ暗なススの上で、小さな炎が以前として燃え続けている。


 

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