第3話 体育館の死体
そんなK市を取り巻く事情であったが、事件が起こったのは、
「今も昔も、街のシンボル」
といってもいいくらいの、K大学内のっことであった。
K大学というのは、大学としては、それほど大きなところではなかった。私立大学としても、さほど学生数が多いわけでもないし、学部もそこまで多くない。
もちろん、
「総合大学」
という意味においてのことであるが、学部すうも、4つしかなく、理数系の学部は、
「理学部」
というのがあるだけで、その中に、科が細かく分かれているだけであった。
だから、
「医学部:
などもないので、大学としては、
「文系大学」
という印象が強かったりする。
必然的に、卒業生に、
「文筆家」
であったり、
「芸術家」
などが多いというのも、当然のことであった。
また、部活にも力を入れているのか、特定のスポーツでは、結構全国大会で優勝候補になるものもある。
テニス、ゴルフなどは結構強いようで、プロスポーツとして、脚光を浴びるには、少し寂しいところもあるが、それでも、有名人として、バラエティなどで顔を見る人の中には、この、
「K大学出身者」
というのが多いというのも、ウソではなかった。
だから、
「高校時代に、インターハイで全国優勝」
という輝かしい実績を持って、
「スポーツ推薦」
という形で入部してくるという人も少なくはないだろう。
そんな部員が多いことで、大学のキャンパスは、それほど広くはないが、近くの土地を買い取って、
「部活用」
ということで、練習場などに使っているところも、K市には多かった。
もちろん、部活というと、
「テニスやゴルフ」
だけではない。
もっと、他の部活もあるわけで、決して他の部がそんなに劣るというわけではない、
そもそも、全国的に有名な部というと、どこの大学でも、優先的なのは当たり前であるが、どうしても、それ以外の部というと、色褪せて見えてきて、その処遇も、
「明らかに違っている」
ということになるだろう。
しかし、K大学に関しては、
「体育会系の部活」
には、少々の成績であっても、脚光を浴びさせていて、その体制が、大学の校風ということをアピールしているので、
「K大学を目指す」
という高校生も多いようだ。
さすがに、スポーツ推薦から漏れてしまった学生も少なくはないが、それでも、
「文武両道」
ということで、まわりの評価は、悪くはないだろう。
「それでこそ、大学生というものだ」
という意味で、この大学は、就活となると、
「他の大学よりも、就職率がいい」
といわれている。
それは、
「体育会系の部員であっても、成績はそれなりにいいのである」
ということで、企業が求める人間に、合致しているといってもいいだろう。
そもそも、全国でも有名な部に所属していて、スポーツで優秀な成績を収めていれば、その学生は、そっちの道を選ぶことだろう。
しかし、部活でもしっかりやっていて、学校の成績もいいとなると、それこそ、
「最近はやりの二刀流」
ということで、好かれる対象ということになるのだろう。
もちろb、企業の中には、
「なんでも平均的にこなすという人よりも、他は平均以下でもいいから、一つのことに突出していて、それをわが社でいかんなく発揮できるというような学生を求めている」
とうそぶく、人事担当者というのもいるということになるのであろう。
それを考えると、
「企業の体質によって、さまざまではあるが、とにかく、K大学出身者というのは、比較的、求職する側の企業からすれば、欲しい学生だ」
といってもいいだろう。
就職活動というと、なかなか内定がもらえない中で、
「K大学は、今も昔も人気がある」
ということになるのだ。
だから、K大学を目指す高校生の中には、
「就職の時、ありがたい」
ということで、K大学を目指す人も少なくはない。
確かに、
「大学で何を学ぶか?」
ということが一番の優先順位なのだろうが、その学ぶこととして、
「社会に出て役立つこと」
ということが目的だと考えれば、それも決して間違いではない。
大学を卒業してからも、永遠に学ぶことができる」
という意味で、
「人生終生勉強だ」
という言葉もあるくらいなので、大学時代から、ずっと、そのことをモットーとして考えている人というのは、ある意味、
「尊い」
といっても過言ではないだろう。
大学には、それぞれの、
「顔」
というモットーのようなものがあり、K大学も、
「生涯学習」
という観点があるようで、大学生以外にも、
「開かれた教育」
ということで、時々、
「公開学習教室」
ということで、一般人に、夜間講座を、催していた李する。
社会人が、仕事が終わってやってきて、勉強をしながら、そこで仲間を作っていく。
これも、一種の、
「サブカルチャーとしての活動」
ということで、結構、話を聞きつけて、
「もう一度勉強してみようかな?」
と、文芸や芸術に関しての講座を希望している人も多いようで、結構前から続いているという。
中には、
「親子二代で、生涯学習を受けた」
という人もいるようで、昭和の頃から続いているとすると、
「親子三代というのも、いずれ出てくることでしょうね」
といわれているのであった。
「それこそ、大学というものの、存在価値が問われている」
といっても過言ではない。
特に、今の時代は、年功序列や、終身雇用ではないので、別に会社に忠誠を尽くすなどということもないし、それこそ、
「滑稽なことだ」
ということになるだろう。
そんなK大学の、体育会系の合宿所が、大学のキャンバス中心部から、1キロほど離れたところに、あった。
そこは、テニス部たゴルフ部などの、
「特退部活」
などのように、単独で施設を持てるだけの予算がないので、それでも、部活推進ということで、他の大学と比較しても、他の大学にはないほどの立派な施設が施された合宿所になっていた。
絶えず、いろいろなクラブが利用していて、一度に、3つの部活が同時に合宿できるだけの施設が整っていたのである。
だから、いつも、この施設は満タンで、それでも、3つもあれば、
「待機期間」
などというものがあるわけではないので、十分に、合宿が充実できるだけの施設だから、それだけ大規模なものだった。
いつも、にぎわっていて、それだけに、閉鎖的でもなく、中には、他の大学からも、
「モデルとしたい」
ということでの見学も、オープンにしていた。
大学運営に連絡すれば、いつでも、見学ができるということで、大学関係者だけではなく、地元ケーブルテレビや、地元の民放局あたりの取材が結構あったりするのも特徴だった。
確かに、
「大学イメージアップということに関しては、大きな事業の一つだ」
といえるだろうが、それだけではない。
実際に、大学創設以来の、
「健全な肉体が健全な精神を作る」
という教訓もあり、それが、今のこの体制を築いているのだった。
ただ、最近では、
「ちょっとやりすぎではないか?」
という人もいるのだが、大学としては、
「そこまでもない」
と思っていた。
今のところ、世論もマスゴミも、アンチがいるわけではないので、うまくいっているといってもいいだろう。
そんな状態で、最近の合宿所も結構多かったりする。
実際に、少し前までは、就職難ということもあり、さらには、
「世界的なパンデミック」
ということもあり、今まで、
「自粛」
ということで、
「大学に入学しても、オンライン授業」
などという時代だったことで、やっと4年ぶりくらいに、公開での授業であったり、部活ができるようになったということで、
「社会も、昔のように戻りたい」
ということが当たり前のようになってきた。
それを思えば、
「K大学のような学校が、注目されるにふさわしい」
といわれるようになり、大学というもののいいところを宣伝するには、
「K大学がいい」
ということで、マスゴミが注目していたのだった。
最初は、
「そんなマスゴミに利用されるというのも」
ということで、しり込みをしている人もいたが、
「いやいや、せっかく世間が求めているのだから、これがいいきっかけとなって、大学へのイメージがよくなるのはありがたいことです」
という人もいた。
ここでいう、
「大学のイメージ」
というのは、
「K大学だけ」
ということではなく、
「他の一般的な大学のイメージ回復」
ということも重要だった。
実際に、ここ5年間、
「つまりは、パンデミック前から、スポーツ界は、あまりいいイメージがなかったりした」
といわれる。
それは、大学スポーツもその例外ではないどころか、最近になって、ある大学が、ひどい状態になり、
「芋ずる式」
ということで、どんどん膿が出てきているという状態になってきているという体たらくであった。
全国でも有名な大学である、N大学は、有数のマンモス大学であり、スポーツなどでも、いろいろなジャンルで有名であった。
特に、アメフト部などは、全国的にも有名で、そこでいきなり発覚したのが、
「コーチなどによる、強制命令」
という一種の、
「パワハラ事件」
であった。
これだけでも、大事件なのに、その後出るわ出るわ。ひどい状態になっていた。
N大学の問題だけでは、スポーツ界は収まらなかった。
その少し前くらいは、
「日本の国技」
といわれる、相撲界においても、
「力士同士のプライベートな飲み会において、暴力事件が発生し、それを他人に押し付ける」
というような事件が発生した。
その時は、外部からの、
「第三者委員会」
というものが発足し、収拾を図ったが、その汚名を挽回するまでにはいくわけもなく、相撲界だけではなく、プロ野球界にまで飛び火した、
「八百長事件」
というものまであったりした。
要するに、
「何か一つ事件が起これば、どんどん飛び火する」
ということになるのである。
それを考えると、
「スポーツ界というのも、一枚岩ではない割には、悪いところでは一致団結」
ということもあるということである。
N大学になると、どんどん出てくる中で、今度は、
「常習的な薬物接種問題」
というものがあった。
これはドーピングどころではない。
法律上の、
「麻薬取締法違反」
と呼ばれる、違法薬物。
つまりは、
「麻薬」
というものの使用だったのだ。
それをまるで、普通の、
「喫煙感覚」
で行うのだから、それこそ、ひどいものである。
ここまでくると、裁判所や、公安から、
「家宅捜索」
などが行われ、
「常習的に行われていた」
ということが分かってくると、大学は、その問題で、
「責任者の更迭をはじめとして、社会にどう言い訳をすればいいのか?」
ということで躍起になっていることだろう。
そんなスポーツ界であり、特に、
「学生スポーツの王道」
といわれる、大学スポーツ界に、激震が走った時代だった。
「世界的なパンデミック」
という、
「未曽有の事態」
というものが、世の中を震撼させ、世相をまったく違った形に作り変えてくれたのに、
「N大学」
を中心とした、
「大学スポーツの闇」
というものは、逢い空らず燻っていたといってもいいだろう。
そんな大学スポーツにおいて、どうすることもできない波のようなものが押し寄せてきたことで、それまでなんでもなかったりした大学まで白い目で見られるという、一種の、
「暗黒の時代」
といってもいいだろう。
そんな大学スポーツにおいて、K大学だけは、どこからも、変な目で見られることはなかった。
それだけ、
「オープンだった」
ということが、実に清潔感があり、好意の目で受け入れられるということだったに違いない。
それを思うと、
「このままだと、ズルズルいってしまう大学スポーツ」
いや、
「大学そのものの運営:
というものに、救世主がいるとすれば、それは、
「K大学ではないか?」
ということで、
「N大学を反面教師とした」
という形での、逆の成功例ということで、最近脚光を浴びたのだ。
だから、マスゴミの取材だけではなく、他の大学からも、
「モデルにしたい」
ということで見学もひっきりなしだということであった。
さすがに今までは静観していた大学であったが、ここまで、
「世間の手本」
ということになると、黙ってもいられない。
そこで、大学側も、表に出る、
「スポークスマン」
というものを、宣伝部長として育成したり、さらには、彼らのような部署を設置することで、
「世の中に、貢献できている」
というアピールにもなるというものだ。
しかも、これは、大学が自ら進んで行ったことだともいえるが、それ以前に、
「世間が望んだことだ」
といってもいいだろう。
それを考えれば。
「大学というのは、学生よりであるのは当たり前だが、社会的影響ということを含めると、社会にも、限りなく近い」
といってもいいだろう。
だから、
「企業と大学のつながり」
というのも、今に始まったことではないが、
「大学閥」
といってもいいくらいに、密接な関係を築いているところもあった。
だが、学生にとっても、大学にとっても、企業にとっても、
「三種三様」
ということで、皆が得をするという状態になることで、決して悪いことではないといってもいいだろう。
そんな時代において、大学のアピールポイントであるものに対しては、
「お金を惜しむ」
ということをしていては、
「世間から乗り遅れる」
ということになるであろう。
体育会系のサークルも、さすがに、テニスやゴルフのように、有名部活でもなければ、さすがに、夜9時を過ぎて、
「夜の自主トレう」
ということをする学生もいない。
さすがに、外出は禁止ということになっているので、合宿部屋にて、それぞれ自分の楽しみを謳歌していた。
昔なら、読書だったり、勉強などということだっただろうが、今は、スマホなどで、ゲームやSNS、さらには、マンガを読んだりと、
「時代が変われば品変わる」
とばかりに、楽しみ方もいろいろだった。
だから、合宿所は、練習場から少し離れたところにあるということもあって、日が暮れてしまうと、
「誰も練習場の方に顔を出す人はいない」
というのが、よく言われることであった。
それを考えると、
「夜の練習場なんて、怖いだけだ」
ということで、誰も近づく人はいなかった。
今回は、他の部活はおらず、サッカー部だけだったので、それこそ、
「日が暮れは、さすがに照明までつけて、ナイターで練習などはしないよな」
ということであった。
K大学のサッカー部というと、それほど強いわけではない、確かに、地域でのリーグ戦には、名前を連ねているが、8大学が所属するリーグで、それも、レベルからいけば、レベルが5つあるとすれば、3部くらいなので、
「もし、リーグ制覇できたとしても、全国大会に出れるレベルではない」
というものである。
サッカーは、30年くらい前から、
「Jリーグ」
というものができたことで、サッカー熱が国内でも加熱することになり、一時期は、
「サッカーブーム」
というのが沸き起こった。
そこで、K大学も入部希望者が多かったが、ブームが去ると、それこそ、
「にわかファン」
というものが出現したかのように、結局、誰もサッカーに関心をもたなくなると、入部希望者も、ほとんどいなくなった。
中には、
「女の子がキャーキャー言ってくれる」
などという不謹慎な理由での入部者も多かっただろう。
しかし、実際にやってみると、いくら弱小といわれるチームとは言え、甘く考えている人に簡単にできるものではなく、どんどん退部者も増えていく。
このサークルは、
「辞めたい人はどんどん辞めてもいい」
というくらいに思っていた。
「どうせ、にわかなんだろうから、断捨離になっていい」
というくらいに思っていた。
そもそも、ブームというのは、しょせんブームでしかないのだから、それも当たり前のことであり、結局、
「腐ったミカンの方程式」
のようなもので、
「怠ける体質が蔓延しないようにするには、その元を絶たなければいけない」
ということになる。
「世界的なパンデミック」
というものが巻き起こった今の時代だから、余計に、
「水際対策が必要なように、最初の感染をいかに抑えるか?」
ということが問題なのである。
それを思えば、
「弱小チームであっても、それなりに体育会としての信念を持っているのだから、楽しんでやればいい」
と考えられる。
その日も、皆夕方には、練習を終えて、道具の片付けも終わり、グランド整備が終わると、午後六時過ぎくらいになっていた。
夕飯の時間を七時ということになっていたので、それぞれに、風呂に入ることになったのだ。
さすがに、3つの部活が同時に合宿できるだけあり、まるで、温泉センター並みの大きな風呂が3つあったのだ。
部員が全員入ろうとすると、2回に分けなければいけないのだが、今回は、他にどこの使用していないということで、一度の入浴で済むことになる、
だから、夕飯を7時ということにしておけば、逆算して、いつもであれば、5時までには上がらないといけないが、今回は、6時まで練習ができるということで、実際には5時半までの練習で、その後の片付けに、30分が必要だということであった。
それだけ部活は、ちょうどいい感じになり、夕飯も時間で、部員はある程度疲れ果て、
「部屋でゆっくりする」
という人が多かった。
ゲームなどをスマホでやる人が多いので、
「皆ロビーに集まって何かをする」
ということもほとんどなく、合宿所での賄いのおばさんなどは、
「時代も変わったわよね」
といっていたのだ。
「時代が変わった」
といって、その時代がいつのことだったのかということは、誰にも分かるというものではなかった。
皆のそれぞれの表情から、皆それぞれに、その時期が微妙に違っているという感覚だということは分かっているかのようだった。
ただ、おばさんたちの学生時代といっても、まだまだ昭和にも届かない。
それを考えると、
「スマホなどはなかったけど、ケイタイ用のゲーム機のようなものはあったので、それをやっていたかも知れないわね」
ということは考えていたのだ。
ただ、その頃では、まだ少しの人数であっても、食堂に集まって、皆で楽しめるゲーム。
つまりは、
「トランプ」
であったり、
「将棋」
のようなことを楽しんでいた。
という状態だったような気がする。
その頃、マネージャーだった経験のある人も中にはいて、
「そうね、あの頃は、食堂でゲームをしている子供たちのために、食堂のおばさんたちが、夜食におにぎりなんか作ってくれたのを覚えているわ」
というのだった。
その頃だろうから、こんなに立派な合宿場がある大学なとなかっただろう。
「今の時代でも、ここまでの合宿所は、そうはないだろう」
と思っているだけに、
「今の学生は、そのありがたみを分かっているのかな?」
と感じていた。
合宿場においての、
「夜の時間」
というのは、
「大学生の体育会系の生徒にとって、一種の安らぎであったり、楽しみだったといえるんじゃないかしら?」
と、その頃の学生を知っているおばさんは、自分が、マネージャーだった時代を思い出して、懐かしんでいるのであった。
「時代が進むというのは、いい面もあれば、決していいとは言い切れない面もある」
といえるのではないか?
それを考えると、
「恵まれているということはいえるのだが、だからと言って、学生が悪いわけではない。何が悪いのかということを誰が判断できるというのか?」
と考えるのであった。
その日も学生は、
「明日も早い」
ということで、11時までには、ほとんど全員が寝静まっていたのであった。
次の日は、
「朝練」
というものがあって、基本的には、
「道具を使わない練習」
ということだった。
しかし、下級生は、その間に、当番で、
「練習場の整備をしたり、ボールや、用具などを、用具室から出してくる」
という仕事があるのだった。
それはもちろん、朝食前の仕事で、朝練が約一時間ということなので、6時過ぎには、練習と、朝の準備とを手分けして行うことになっていた。
いつも、道具の用意をする当番は、3人で行うようになっている。今日もその3人がいつものように、道具置き場に入り、まだ少し眠い目をこすりながら、用意をしていた。
部員によっては、
「朝練よりも、こっちの方が楽でいい」
という人もいて、今日は、3人のうち2人が、そういう部員で、だからこそ、逆に、結構テキパキと作業をするので、残りの一人は、結構楽ができるので、
「これはありがたい」
と思うようになっているのであった。
だから、
「練習の方がいい」
と思っている人は、基本、片付けも、掃除も嫌いなので、用意も好きなはずがない。
それを思うと、ついつい他の2人が一生懸命にやっている間、自分は楽をしようと思うのだが、逆に時間を持て余してしまうことになったりする。
だが、それを後の2人は咎めたりしないので、結構楽であった。
だから、
「お前は、ゆっくりしていていいぞ」
というくらいで、それこそ、
「俺たちは、結構無我夢中でやっているので、もし、俺たちが忘れていそうなことがあれば、その時は、注意してくれよな」
というほどであった。
それを聞くと、
「ああ、そうだな。俺に任せとけ」
と、楽な立場なのに、結構悪くは考えていないのだった。
その日も、同じパターンで、2人の作業を漠然と見ていたが、何やら、いつもと違うような気がしたのだ。
それが、どこからくるのかということは正直分からない。
「今回の用意が、テキパキしていて、時間が経つのが早く感じるからかな?」
ということを考えてみたが、どうもそうではないようだった。
時間が早く進んでいると思って時計を見ると、
「もう終わりに近いのか?」
と思っていたが、実際には、まだ半分も時間が過ぎていない。
ということは、
「感情よりも、実際の方が時間の進みが遅いのだから、逆にいつもよりも嫌な時間の進み方だ」
ということになるだろう。
それを思うと、
「俺はどうすればいいのか?」
ということを考えてしまい、それを考えると、
「いつものように、2人ばかり見ていない方がいいかも知れないな」
と感じ、普段は見ないところに集中してみたりしたものだった。
それを感じながら、まわりを見ると、
「やはり、最初に感じた違和感のようなものが残っている」
と思えて仕方がなかったのだった。
それを思い出すと、またしても、まわりが気になるようになり、次第に、2人よりも、まわりのことが気になりだしたのだ。
そして、
「この感覚は今までに感じたことがあるものだった」
と感じたが、それがいつだったのか、まったく分からなかったのだ。
そんなことを考えていると、まわりを見ることを、
「最初から自分がその場の雰囲気を怖がっていた」
ということに気が付いた。
そこにあるのは、何やら影のようで、その影が、蠢いているように見えたのは、実際は、風があったからなのだが、その時はそうは思わず、
「まるで幽霊か何かのような気がする」
ということからだった。
幽霊が見えたのか、見えなかったのかということは、正直分かっていなかった。
しかし、そこに見えている影は、まるで、
「ろうそくの灯し」
のようで、そもそも、ろうそくなどというと、仏壇の前でしか見ることがないくらいだったので、その影がどのようなものかということすら感じることはなかった。
見えているとしても、その感覚が、目の前にあるようであればあるほど、その揺れによる違和感が、どこから来るのか分かっているようで、分かっていないのであった。
恐る恐る見てみると、
「うっ、何か臭う」
と感じた。
その臭いは、子供の頃の記憶ばあるが、だからと言って、その臭いを、
「まるで動物のようだ」
といきなり感じたわけではないと思えたのだ。
動物だという意識はあったが、そう思えば思うほど、
「人間の悪臭ではないか?」
と感じた。
すると、すぐに感じたのは、
「血の臭い」
ということであった。
確かに、動物の血の臭いはきついものだ。実際に屠殺場のある工場に工場見学に行ったことがあったが、その時の臭いを思い出した。
しかし、あの時よりも、もっと臭いがきつかった。
というのは、もっと昔の記憶で、
「そう、まだ小学生の低学年くらいだっただろうか?」
友達の家に行って、友達の家は旧家と呼ばれるようなところで、その場所に納屋があり、その納屋の階段が急だったこともあり、今まで昇ったこともない、
「急で、小さな階段」
というものを、低い状態の手すりを持って、怖がりながら昇ったのだが、さすがに、うまく上がれるはずもなく、半分くらいなでいったところで、階段から足を踏み外したということであった。
実際に、後ろに向かって落ちたのだが、下は、コンクリートになっていて、肘を思い切り打ってしまい、そこで、肘を擦りむいた。
その痛みから、感覚はマヒして、家の人が急いで飛んできて、応急手当をしてはくれたが、その慌て方が尋常ではなかったので、
「これは、相当ひどいんだ」
ということを、子供心にも感じたことで、痛みがさらに倍増しているのであった。
それを思うと、救急車が来るまで、思ったよりも時間が掛かったような気がして、やはり、その時の臭いが、まわりに充満しているようで、痛みもさらにひどくなってしまった。
その時の血の臭いは、あとで社会見学でいった。
「屠殺場」
などと比べ物にならないほどだったので、まだ何とか耐えられた。
そんなことを感じているうちに、用具の用意をしている2人も、何かの違和感にやっと感じたのか、
「これは、なんだ? 何か、ひどい臭いがするんだけど」
と一人が言い出すと、もう一人は、
「お前もそう思っていたのか? 二人とも何も言わないから、俺の勘違いだと思ってしまったんだ」
というではないか。
「それはこっちのセリフだよ」
というのだが、二人に対して。
「やっと気づいたのか」
といいたかったが、
「それだけはいってはいけない」
と感じたのだ。
その時の地の臭いが、
「人間の地の臭いだ」
という認識で、他の動物の地の臭いよりも、最初に人間のものを感じたということで、それだけ、
「血の臭い」
というものに対して、相当気持ち悪いものだという感覚になったに違いない。
だから、敏感にもなった。
ただ、今までに、そんなに人間の地の臭いを嗅ぐということは、今までにはなかった。
最初が印象的だったわりには、それ以降では一度もなかったので、それこそ、
「まるで昨日のことのように思い出せる」
ということであり、
「ああ、時系列で感じることができない時というのは、こういう意識を感じた時なのではないだろうか?」
と感じたのだ。
確かに、大学に入った時の感覚で、
「高校時代は、ずっと昔のように感じるのに、小学生の頃のことが、まるで昨日のことのように思い出せる」
というような感覚になることがあるのだ。
それがなぜなのかよくわからなかったが、それこそ、
「それ以上のことを考えようとしないから、それ以上の意識を持っていないからだ」
ということになるのではないだろうか?
そして、もう一つとして、
「小学生の頃に感じたインパクトの強い感情を、大学時代の今になって思い出すという、今の地の臭いという感覚に似ているからだ」
ということになるのであろう。
高校時代というのは、近すぎて、感覚もそんなに変わっていないだろうから、同じ感覚をそれこそ、まるで毎日のように感じてしまう。それが、余計に、自分の中の感覚を作ってしまうということになるのではないかと感じるのだった。
血の臭いを感じながら、まわりを見ていると、薄暗い中で、その中に、どす黒さが感じられる一帯を発見した。
「うわっ」
と思わず声を立ててしまったのだが、それを聞いた二人は、びっくりしてこちらを振り向いた。
その瞬間、二人は凍り付いたかのようになったが、その時間が、想像以上に長かったようだ。
「助けてくれ」
といいたいくらいだったが、それを言ってしまうと、事実なのかどうなのかが、確定してしまうということが気持ち悪いという感覚になるのだった。
気持ち悪さというものが、自分とまわりは、ほとんど共通の認識のように思っていたが、人それぞれ性格も、感受性も違うのだから、
「共通という言葉が正しいのかどうか、考えさせられる」
と思っていた。
体育館の床というと、滑り止めのようなものを縫っていて、てかっているといってもいいだろう。薄暗い中で、そのテカリが、微妙な光を表しているのだが、その時、その光は、さらにまわりを薄暗く感じさせるのだった。
普段であれば、
「少しでも、明るく見せるような演出」
という感覚になるのだろうが、よく見ると、そのテカリは、明らかに、
「光を吸収しているかのようだ」
と思えたのだ。
なぜなら、そこで光っている色が、真っ赤だったからだ。
しかも、そのテカリは、
「液体として流れてくるもの」
ということで、しかも、その色と臭いから、それが、何であるかということを知るまでに、時間もかからなかった。
だから、
「うわっ」
と叫んでしまったのだし、あとの二人も、何かを言う前に驚愕の表情になったのだろう。
それだけ二人もその臭いの正体を知っていたということになるのであろう。
「血だ」
と最初に叫んだのは誰だろう。
そして、もう一人が果敢にも、血の流れうもとにやってくると、他の二人が、創造した表情と寸分狂わないような顔に見えたので、
「やっぱり」
と感じたのだ。
「警察」
と誰かが叫んだかと思うと、もう一人はすでに、ポケットからスマホを出していた。
「見事な連係プレイだ」
と感じたのは、それだけ、
「他人事のように感じたい」
と思ったからではないだろうか。
最初に発見した、
「いや、そこに死体があるということを感じた」
という自分が、他人事になるというのは、それだけ、現実を直視したくないという感覚があったからではないだろうか?
110番というものを初めてしたといっていたが、聞いていて、
「かなり落ち着いているじゃないか」
と思えた。
もちろん、相手が落ち着いて対応してくれたからなのだろうが、さすがに、毎日110番のコールセンターで受付をしていると、分かるというものである。
要するに、テレビドラマでいうところの、
「警視庁より入電中」
という放送が、所轄の刑事課に流れるということであろう。
もっとも、ここは、東京都ではないので、警視庁ではなく、K県警ということになるのであろう。
そもそも、警視庁というのは、
「警察の中央機関」
ということではない。
各都道府県には、
「○○県警」
「○○府警」
というものがあるが、東京には、
「都警」
というものがない。
それが、
「警視庁」
というものである。
だから、警視総監というのは、いわゆる、
「県警本部長」
と同じレベルということであるが、警視総監は、他の県警本部長よりも、少しランクが上なのだ。
これは、
「県知事」
と
「都知事」
の違いのようなものであり、
「都知事というのは、他の県知事に比べれば、圧倒的な権力と、発言力がある」
といわれていて、
「下手をすると、ソーリよりも、権力があるから、一度都知事になると、中央政界に出たくない」
という人もいるだろう。
ただ、
「都知事というのは叩かれる」
というのも事実である。
それでも、やめられないと思っているということは、本当にそれだけの権力を持っているからなのかも知れない。
つまり、東京都知事ともなると、
「権力が最高にほしい」
と思っている人には、麻薬なくらいに、魅力的に見えるのであろう。
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