第2話 K市の事情

 ある日、その事件は、突発的に発生した。

 季節は、これから秋に向かおうという時期で、実際には、もう10月にもなっていたが、最高気温は、まだ30度を下回ることはなかった。

「残暑」

 というには厳しい時期で、昔でいえば、

「真夏の暑さ」

 あるいは、

「うだるような暑さ」

 という表現で考えれば、33度を超えたくらいから、そんな表現であっただろう。

 今であれば、33度などというと、9月でも、普通にある時期である。

 そもそも、35度を超える時期というと、

「猛暑日」

 といわれるが、そんな言葉は、少なくとも、30年前くらいにはなかったものだった。

 それが言われるようになったのは、世紀末に近い頃であっただろうか、7月に入った頃に急に暑さが酷となり、

「呼吸するのも苦しい」

 というくらいの暑さを感じていると、そのうちに、

「風がある方が、暑さを感じる」

 というくらいになってきた。

 その理由というのは、

「体温よりも、気温の方が高い」

 というのだから、それも当たり前だろう。

 お風呂に浸かっている時、熱い湯船を冷まそうとして、風呂を掻きまわすと、

「却って熱くなった」

 という経験をしたことのない人は、ほぼいないだろう。

 つまりは、

「人間の体温よりも熱い状態になった」

 ということで、例えば、

「風呂の最適温度」

 ということで、

「40度ちょっと」

 と考えると、

「ぬるま湯くらいの大気の中で暮らさないといけない」

 ということになり、少しの時間くらいならまだいいかも知れないが、それが数時間ともなると、不快指数どころの問題ではなくなるだろう。

 そんな酷暑といわれるような暑さの中、

「地球温暖化現象」

 なる言葉が言われるようになってきた。

 そのために、

「自然環境の根本的な改善」

 というものが叫ばれるようになり、

「結果、どうすればいいのか?」

 ということが、

「全世界的な問題」

 ということになった。

 それが最近ではさらに大きな問題となり、

「地球沸騰化現象」

 とまで呼ばれるようになった。

 世紀末では、気温が35度ということで、

「猛暑日」

 といわれ出したのだが、今度はそれにとどまらず、

「37度以上」

 という酷暑の日が、

「年間に数十日ある」

 などという状態になってきたのであった。

 それを考えると、

「最近では、森林火災などが、さらにその沸騰化を加速させている」

 ということになり、

「世紀末に言われていたことが、どんどん加速していき、当時の計画では、まったく間に合わなくなってきている」

 ということであった。

 それこそ、

「地球の寿命」

 というものが、切実な問題となり、それ以前に、

「生物が住める環境ではない」

 ということになり、それこそ、

「国破れて山河在り」

 などというどころではなくなるだろう。

 昔から、人類の滅亡として、

「宇宙からの侵略論」

「人間同士の核戦争によるもの」

「自然破壊」

 といろいろ言われてきて、それぞれに切実ではあったが、実際の今の可能性として、

「信憑性があり、着実だ」

 ということであれば、

「自然破壊」

 ということになるであろう。

 そんな今の時代、

「自然災害」

 などというのは、当たり前のように起こっている。

 森林火災なども当たり前のようにあるが、降雨期による、

「大水害」

 であったり、

「地震大国」

 と呼ばれる日本としては、地震などの災害などは、日常茶飯事である。

 何といっても、

「地球沸騰化における、南極の氷が溶ける」

 などということでの、

「住める範囲が狭くなってくる」

 という問題も切実であろう。

「そもそも、人が住んでいない地域があるではないか?」

 ということであるが、

「人が住んでいないのは、人が住める環境にないからだ」

 ということで、この自然災害などによって、災害によるものではなく、元から、人が住める環境にないところがあったものが、さらに増えてくるとなると、それこそ、

「地下都市」

 であったり、

「海底都市」

 さらには、宇宙開発を成功させて、

「宇宙空間都市」

 などという、まるでSF小説や特撮のような、それこそ、

「夢物語」

 というものが現実味を帯びてこないと、

「人類滅亡の方が、はるかに早い」

 ということになりかねないということである。

 それを思うと、

「人間というものが、いかに因果応報に向かっているか?」

 ということになる。

 それも、前章のように、

「人間がいかに、おこがましく、地球上のすべての生物に比べて、高等だ」

 ということの因果からきているということであろう。

 それが、

「神に近づこう」

 ということが、因果となり、言葉が通じなくなるという、

「応報」

 ということになるのであろう。

 そんな暑さのせいか、

「最近の夏は、最低気温が30度を下回らない時もある」

 といわれるほどに、ひどい状態になっていた。

「何といっても、午前8時くらいから、すでに、30度を超えている毎日なので、最低気温が、30度をくだらないという日が出てきても、無理もない

 というのも、当たり前だといってもいいだろう。

 つまりは、

「最低気温が、真夏日」

 ということである。

 そんな日は、きっと最高気温は、

「体温よりも高い」

 という時期なんだろう。

 スポーツにおいて、昔、特に昭和の時代に言われていたことが、

「今では間違いだった」

 とされていることも結構ある。

 よく言われていたこととして、

「部活中に、水を飲むな」

 といわれていた。

 今の時代は、

「熱中症にならないように、水分補給をこまめに」

 といわれるが、昔は、

「水は絶対に飲むな」

 といわれていた。

 それは、別に、

「しごき」

 であったり、

「苛め」

 ということではなく、昔なりに、理由はあったのであった。

 その言われていた理由というのが、

「水を飲むとバテる」

 ということだったからである。

 確かにそれはいえることで、水を飲みすぎると、急激な運動をすると、

「そりゃあ、身体が拒否反応を起こして、お腹が痛くなったりするだろうよ」

 ということである。

 だから、本来なら、

「飲みすぎなければいいだけのことであるが、確かにバテるということもあり、水は御法度だった」

 ということである。

 しかし、もっといえば、

「飲みすぎるから、お腹が痛くなったり、バテたりするわけで、何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし」

 ということになるわけである。

 そういえば、今の時代は、

「熱中症」

 というが、昔は、

「日射病」

 といっていたではないか。

 似たような話で、

「似たようなことでも、時代とともに、言葉が変わってしまった」

 という例として、今では、

「不登校」

 といわれているが、昔は、

「登校拒否」

 といっていたではないか、

「不登校」

 にしても、

「熱中症」

 にしても、それぞれで、言葉の意味が微妙に違うのだが、言葉がまったく違えば、意味合いがまったく違っていると思わされるのも、仕方のないことであろう。

 それが、まるで、スポーツにおいて、

「水を飲んではいけない」

 といわれていたことが、まるで迷信だったとばかりに言われているが、それは本当にそうなのだろうか?

 あくまでも、

「昔の時代だったから、水を飲まなくても問題なかった」

 ということではないのだろうか?

「水を飲まなくても、昔は、我慢もできたし、今は、できなくなった」

 というのが真相であり、その方が信憑性があるだろう。

 だから、昔の人が、別に無知だったわけでも、迷信を信じていたわけでもない。

 もっとも、今、昔のように、

「水を飲むな」

 ということになれば、

「救急車が何台あっても足りない」

 ということである。

 何といっても、昔は毎日のように、小学校では、朝礼が校庭で行われていたではないか。

 それなのに、倒れる人はそんなにもいなかった。むしろ昔であれば、

「ひ弱な少年」

 というレッテルを貼られるくらいで、我慢して立っていようとして、我慢できる時代だったのだ。

 今のように、

「たまに校庭で朝礼をすれば、生徒がバタバタと倒れていった」

 というのが当たり前のようになると、

「今の世の中が、どんどんひどい自然環境になってきた」

 ということを分かっているくせに、なぜ、それを受け入れて、

「昔と今は違う」

 ということにならないのか?

「いやいや、分かっていることだ」

 という人もいるだろう。

 しかし、だったら、昔の迷信のような、

「水を飲むな」

 といわれたことも、

「あの時代だったら、よかっただけのことだ」

 と考えないのだろう。

「いや、考えている」

 という人もいるかも知れないが、

「迷信を信じされていた」

 ということで、

「迷信」

 という言葉を使う時点で、そもそも考え方が間違っているといえるのではないだろうか?

 要するに、それだけ、社会常識であったり、考え方がついてこれないという人が多いと思われるほどに、その進展は、ものすごく早いということであろう。

 それを思うと、

「もう、逃げられないくらいの、待ったなしの状態になった」

 ということで、

「果たして、今の時代の、戦争すらなくならないこの時代に、地球環境の破壊を止めることなどできるのであろうか?」

 というものである。

 確かに、世界で首脳が集まって、

「自然環境をどげんかせないかん」

 ということで、対策を打とうとしているが、その片方で、

「自分たちの勝手な都合で、戦争を引き起こしているところがある」

 しかも、それを日本や他の国は、

「秩序のため」

 ということなのか知らないが、片方の国に鐘や武器弾薬を供与し、片方に味方して、

「戦争継続を形として促しているではないか」

 といえるだろう。

「戦争自体が、自然環境の破壊だ」

 ということで、その元凶であるということに、どうして気づこうとしないのだろうか?

 それが、不思議で仕方がないのだ。

 この暑さの中において、会社から帰ってくるのに、駅から降りて、近くの住宅街まで、バスを使って帰っていた。

 その住宅街は、今から数十年前に、

「腐乱死体が見つかった」

 ということで、その時は、

「不可思議な事件」

 ということで噂になり。その時代においては、まだまだ科学捜査も行き届いていなかったが、その当時、事件を解決に導いた、当時は若手だった

「下瀬刑事」

 というのが、今では警部補となり、

「副本部長」

 とまで言われるようになっていた。

 それは、

「捜査本部」

 におけるものであり、もうすぐ警部に昇進という話もあった。

 だが、彼はどちらかというと、昇進には興味がなかった。

 若い頃は血気に走った時期があり、彼の教育係でもあった八木刑事という人が、結構なだめることもあったくらいだが、それ以上に、冷静で頭がいいところをいかんなく発揮して、事件解決に、彼の発想が大きく影響したのは間違いなかった。

 昭和の頃は。

「まだ、足で稼ぐ」

 という時代だったので、

「頭を使った捜査というものは、まだまだの時代だった」

 しかし、彼が、主任と呼ばれ、第一線では、中堅からベテランになってくると、

「やっと時代が追いついてきた」

 というべきか、科学捜査の発展もあることで、

「本当に、コンピュータの発達とともに、紙の時代から、データの時代ということになってきたのであった」

 それを思うと、下瀬刑事は、

「時代の寵児」

 といってもいいかも知れない。

 それでも、もし彼が、もっと昇進に貪欲であったら、頭の良さも手伝ったはずで、しかも、勉強熱心で、勉強に関しては要領もよく、

「とらえどころは捉えるので、テストも、受ければ、必ず合格していた」

 といわれる、一種の、

「秀才肌」

 といってもいいだろう。

 しかも、その秀才の中には、

「天才肌」

 というのが含まれていて、それこそ、

「天は二物を与えず」

 といわれるが、下瀬に関してはそんなことはなかったようだ。

 それでも、今では、

「警部補」

 たたき上げとしては、まわりから見れば、出世は早い方で、それだけ、

「控えめ」

 というか、

「生粋の刑事魂」

 というものを持っているといってもいいだろう。

 トレンディドラマの時代に、刑事ものの中で、

「警察の縦割り社会:

 というものに不満を持っている刑事が、

「警察は個人の力では何もできないのか?」

 ということを愚痴った時、その上司が、

「やりたいことをしたいなら、昇進して自分が上の立場に行くしかない」

 ということで、昇進に力を入れているという人だったのだ。

 そのセリフが印象に残っていて。下瀬刑事という人は、

「そういうところを理想として、刑事生活を送っている」

 というように見えたのだ。

 その時代あたりから、警察の体質も変わってきたのかも知れない。

 今は、捜査本部ができると、

「本部長が、八木警部、副本部長が、下瀬警部補」

 というのが、最近の流れになっていて、特に所轄の、K警察署では、最近事件も増えてきて、捜査本部ができることも少なくなかった。

 それは、このK市というところが、最近になって、住宅地への人の流れが多くなってきた。

 今までは都心部に住んでいた人たちが、こっちに流れてきたというイメージが強いからかも知れない。

 一つの理由としては、

「都心部の家賃が一気に上がってしまった」

 ということと、

「それに比べて、通勤圏内から少し離れたところに建設していた住宅街に人がこずに、結局、無駄になりかかっていたので、分譲の値がほとんど据え置きだということもあって、都心部から流れてくる人が増えた」

 ということがあったからだ。

 いまさらのドーナツ化現象であるが、

「時代は繰り返す」

 というが、まるで、今から半世紀くらい前の時代を思い起こさせるような気がするのであった。

 そんなK市には、昔から大学があり、駅前は、

「大学の街」

 ということで、それなりの賑わいはあった。

 住宅地がなくとも、大学の賑わいのおかげもあってか、それほど、人の流れは少なくはなかった。

 しかし、ここ15年くらい前から、街の雰囲気はガラッと変わってしまった。

 それは、商店街の人も、昔から駅前に住んでいる人たちも感じていることで、警察も、同じことが分かっているといってもいいだろう。

「何が、そんなに変わったのか?」

 と思うのだが、最初は、ハッキリと分からなかった。

 しかし、明らかに、

「以前に比べて寂しい」

 と感じるようになったのだ。

 それは、歩く人が減ったというわけではない。大学生が急に減るわけもないのだから、だとすると、

「雰囲気的に感じることだろう」

 と思うようになった。

 ただ、一つ事実としてあったのは、

「駅が、きれいになった」

 ということであった。

 それまでは、平屋に、歩道橋を渡って隣のホームに出るというような雰囲気の駅であった。

 そして、駅に行く階段の近くには、線路に隣接するように、コンビニであったり、パンやや喫茶店が並んでいて、そこから少し先あたりから、アーケードの商店街が広がっていたのである。

 駅は、快速電車が止まる駅だったので、それなりの乗降客もいた。それでも、以前は、

「快速が止まるのは、大学生のため」

 というほと、大学生の街だったのだ。

 だが、住宅街に関しては、かつて、腐乱死体が見つかったあの頃から比べれば、若干人の数が増えたのは否めないが、ただ、それは、

「街の再開発」

 という意味では、当初の計画からは程遠い状態だった。

「これは、計画を間違えた」

 と思わせるほどだったが、ここ15年くらいの間に、人が増えてきたのだった。

 先にできていた大型商業施設も、おかげでにぎわうようになっていて、住宅地からのバイト希望者も多いことから、商業施設も、活性化できていたのだ。

 以前は、

「休日の賑わいは、結構なものだが、平日は客もまばらで、その差の激しさは、ハンパではなかった」

 というほどだったのに、やはり近所の住民が増えれば、平日も、時間帯によっては、駐車場がかなり車で埋まっていて、近くの道路が一時的に渋滞を起こすというほどになっているくらいであった。

「駅前の再開発」

 という計画もあった。

 アーケードの商店街」

 というのも、ある程度の老朽化が進んでいた。

 このあたりは、結構古い町並みであり、アーケードも、戦後の闇市が発展したものであり、昔の趣を残した雰囲気であることから、

「昭和レトロを思わせる」

 ということで、大学生にも、

「憩いの場」

 ということを感じさせていた。

 しかも、駅前の商店街から少しそれた、いわゆる、

「大学通り」

 といわれる横丁には、クラシック喫茶であったり、今でも、昔ながらの、

「昭和の純喫茶」

 というものを思わせる佇まいとなっていたのだ。

 それが、

「K駅の駅前」

 ということで、他の駅前とは、

「一線を画している」

 といってもいいような街並みだったのだ。

 そんな街の雰囲気を分かっているのかいないのか、鉄道会社は、他の街の駅のような、いわゆる、

「似たり寄ったり」

 といってもいい、

「まったく個性がない駅舎」

 に作り変えたのだ。

 あまり来たことのない人は、

「あれ? 自分の降りる駅だったっけ?」

 ということで、どこの駅も同じ雰囲気になっている光景を、まるで、

「どこを切っても」

 という雰囲気の、

「金太郎飴のようではないか」

 と感じているのであった。

 そんな、金太郎飴のような駅のその向こうに、ずっと建設中の線路があった。

 そこは、新幹線の建設予定地であり、ちょうど駅舎が新しくなってからすぐくらいの時に、新幹線が開業したのである。

 もちろん、快速が止まるとはいえ、新幹線が止まるほどの駅ではない。それこそ、大きな商業施設が立ち並ぶような都会でないと、新幹線の駅を作る意味はないということであるが、最近の新幹線の駅の特徴としては、

「住宅地でもありなのではないか?」

 ということであった。

 新幹線が開業すれば、在来線を通っていた特急は、

「廃止になるか?」

 あるいは、

「本数がかなり減って、通勤時間か、最終に近いくらいの時間に数本走らせる」

 というくらいに限定されるのである。

 だから、付近の住民は、危機感を持っているのだ。

 というのも、

「新幹線は、騒音と、高速で走るため、最短距離の直線を必要とする。そのため、トンネルも多く。開発費用もハンパではない」

 というのだ。

 政府が請け負う金額も大きいが、新幹線により、

「潤うであろう」

 といわれる自治体にも、その費用を課すということで、当然、

「市県民税」

 というものは、新幹線が通っている地域には、かなりの負担を強いることになり、

「果たしてそれで、住民が納得するのだろうか?」

 ということになる。

 実際に、今まで新幹線が通ってきた地域のことを考えると、

「今までの在来線の特急が止まる」

 ということで、街を再開発させ、町おこしということに躍起になっていた矢先、新幹線の計画を聞いて、街の住民は、愕然とした。

 というのは、

「新幹線を通すから、特急は廃止」

 ということになったのだ。

 というのも、

「新幹線は、山間にトンネルを掘って走らせる」

 ということになったので、

「今までの在来線は、遠回りをしていたのは、きれいな海岸線を通る」

 ということで、国鉄からJRになった時、

「その立地を使わない手はない」

 ということで、海岸線をアピールし、特急車両や、営業車両は、

「オーシャンビュー」

 ということで、できるだけ、窓を大きく取るという列車が人気だったのだ。

 そのおかげで、観光客の足も好調に伸びてきて、街の賑わいもそれなりにあったのだった。

 観光地は、いろいろなイベントを開催してきて、イベント期間は、

「全国から集まってくる」

 というほどで、

「町おこしに成功した街」

 ということで、全国から取材も多かったりした。

 しかし、それも、

「新幹線の開通」

 ということになった時、悲惨な状態が巻き起こることになったのだ。

 新幹線が開通することで、

「新幹線に客を取られ、こちらには、客がまばらになるのでは?」

 と思われたが、そんな生易しいことではなかった。

「特急電車の廃止」

 ということに、さすがの住民は切れてしまっていた。

「今まで、鉄道会社ともタイアップすることで、お互いに潤ってきたはずなのに、新幹線を通すということで、今までの協力関係を切って、こちらを見捨てるということになるのか?」

 というと、

「そうです」

 と、さすがに鉄道会社も、

「利益にならない」

 あるいは、

「この路線を残して、新幹線に金がかかっているにも関わらず、採算がとれるのか?」

 ということを考えると、鉄道会社とすれば、

「住民が何といおうとも、こっちもシビアに行くしかない」

 という態度に出るのであった。

 だから、完全に、

「それまで、二人三脚だったものを見限ることで、完全に見捨てられた町は、惨めなものだった」

 ということになる。

 しかも、

「特急も通らない在来線は、一気に赤字路線」

 ということで、当時の鉄道会社は、

「赤字路線の排除」

 ということを、全国規模で行っていて、

「廃線候補」

 ということになったのだ。

 昔は、特急電車が通っていて、

「○○本線」

 ということで、少なくとも、地方の幹線路線だということで、まさか、

「廃線候補」

 に上がるなど、考えられなかった、

 しかし、元々、

「赤字をずっと放置してきた」

 という

「国が経営していた鉄道会社を、民間会社として、指導させたのは、赤字を少しでも、甲斐性させるため」

 ということが表向きで、本当は、

「国の借金もどんどん膨れ上がってきているので、国の赤字を放り投げる」

 という目的での、

「国有企業の民営化」

 というものだった。

 鉄道だけでなく、電信電話事業であったり、郵政省関係まで、

「完全に、国の責任を、国民に丸投げした形になった」

 ということである。

 ただ、その事情というのは、

「共産主義」

 というものが、当時は、

「社会悪」

 として見られていたことで、

「国営が多いというのは、共産主義に近づく危険のあるものだ」

 ということで、国民も、そのあたりは理解しているつもりだっただろう。

 しかも、

「ソ連の崩壊」

 などということで、世界最大の社会主義連邦が崩壊すると、

「ああ、やはり、共産主義は限界なんだ」

 ということで、

「資本主義の勝利」

 というものを、

「経済界の自由競争」

 ということで、国営ということは、

「国家がその事業を独占していたものを、民間で競わせる」

 という自由経済が芽生えてきた。

 ただ、鉄道に関しては、私鉄というのが昔からあって、

 ということがあるが、実は、元々、

「国鉄というのが、鉄道の走りではなく、元々は、私鉄だったものを、国が買い上げ、国有とした」

 ということだったので、国鉄のほかに私鉄も存在していたという、他の産業とは違った流れだった。

 だが、国鉄は、国有ということで、

「営利二の次」

 ということを他の国営と同じ発想で行ったことが、

「血を垂れ流しているかのような、慢性的な赤字体質」

 というものが、消えないのであった。

 そんな体質が、

「昭和という時代が終わるとともに、民間に押し付けないとやっていけない」

 という状態から、

「国鉄を中心とした国有を、民営化させる」

 ということに繋がったのだ。

 だから、

「JRというのは、国鉄から、赤字ごと継承したことになり、ある意味、大きな負からの出発ということになり、営利を特に追求しないといけない」

 ということんいなり、

「サービスよりも、利益」

 という体質になったのだろう。

 しかし、長年育まれた、

「親方日の丸体質」

 というのが消えるわけもなく。

「サービスどころか、民間の客に対しての、横柄な態度は、民営化されて、40年近く経とうとしている現在でも、変わっていない」

 といってもいいだろう。

 特に、

「人身事故をはじめとした、遅延などの対応に対しては、実に上から目線であり」

 特に人身事故などに関しては。

「ほとんどが自殺」

 ということもあり、

「人が飛び込んだのだから、しょうがない」

 といって、笑っている有様だった。

 普通の民間企業であれば、そんな態度を取った社員がいたということになると、

「懲戒解雇」

 レベルのものではないだろうか、

 もちろん、民間人と喧嘩になり、相手をケガさせるなどという刑事事件を起こした場合などであろうが、大げさではなく、

「会社の信用を著しく失墜させた」

 ということと、

「警察沙汰になった」

 ということが重なれば、十分に、懲戒問題に発展しないとは限らないのだ。

 それを、昔の国鉄気質ということでやっているので、当然住民とのトラブルは絶えないだろう。

 だが、住民も、怒りを持つのは持つが、冷静になると、

「しょせんは、元国鉄」

 ということで、溜飲が下がってくるというものだ。

 だから、鉄道会社も、

「反省すらしない」

 ということになる。

「客がわがままだ」

 とまで思っているかどうかは分からないが、

「自分たちが悪いわけではない」

 ということを考えるのだ。

 確かに、自殺まで防ぐことは難しいだろう。

 しかし、防犯カメラを増やしたり、駅構内に、警備員を増やすなどという、

「最低限の努力」

 すら、しようとしないのは、それこそ、本当に、

「親た日の丸根性が抜けていない」

 といってもいいだろう。

 そんな会社なので、

「新幹線を通すかわりに、在来線を廃線にする」

 というのは、当たり前としか思っていないのだ。

 地域住民とすれば、

「せっかく金を掛けて、町おこしを行ったのに、新幹線のせいで、水の泡になってしまった」

 と考えると、

「市県民税を新幹線のために取らせる」

 というくらいに、これでもかとばかりに締め付けるというのは、

「完全な搾取ではないか」

 ということになる。

 もちろん、在来線は廃線とはなるが、それがないと

「住民生活が立ち行かない」

 ということで、地域が買い取り、運営するという、

「第三セクター方式」

 というものが取られ、

「何とか、在来線を保つことができる」

 というもので、これも、JR、いや、その前の国鉄時代からのツケというものを、地域住民が結局背負わされるということになるのだ。

 そもそも、国鉄時代の借金も、税金が使われるわけで、それだって、元々国民の、

「血税」

 というものだ。

 地域住民とすれば、

「ダブルで税金を払っているようなものだ」

 ということで、国家や自治体に対しての不満は最高潮になっていることであろう。

 そこへもってきて、駅の再開発によって、

「商店街が、市の街のようになってくる」

 ということが現実味を帯びてくると、

「果たして、自分たちは、どこを見ていけばいいんだ?」

 と、途方に暮れることになるのであろう。


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