第5話

 俺は戸惑いながら手を伸ばしたが――


「あ、やっぱりダメ」


 すごい肩透かしを食らってショックを受ける。

 人知れずショックがあったのは、きっと断られたからじゃない。やはり彼女にもやましいことがあるんだなと悟ったからだ。

 こいつも所詮は凡人、俗人というわけだ。


「まあ誰にだって見られちゃまずい暗黒面ってのはあるからな」


 とりあえず虚勢で取り繕う俺。

 大丈夫。よくあることだ。


「ちょっと人聞きが悪いなぁ。暗黒なんてございません」

「でも見せられないんだろ。別に否定することない。みんなそんなもんだから。裏垢作って陰口や誹謗中傷してる人もいるだろうし。グルーブラインでひとりの悪口を言ってる連中もいるだろうし」

「私が見せられないのはそういうんじゃなくて、最近ユーチューブで配信を始めて、身バレはよくないみたいだから。それだけ」


 再び俺氏に激震が走る。

 いまどきクラスメイトがユーチューブに動画を上げていたり、ティックトックでバズったりしていることは何ら珍しいことじゃない。さすらいネキみたいなそこから芸能事務所に所属する例も中にはある。

 だから俺が度肝を抜かれたのはそこじゃない。

 絶句したのは、身バレは不利益だと認識しながら、配信業をやっていることを簡単に、それもたいして親しくもない俺に開示してしまったことだ。

 ありえないだろ。

 隠すならそこも隠せ。

 こいつは何を考えてる。

 真正の馬鹿なのか。


「へー、朝日向が配信をね」


 俺はそう素っ気なく返事をしながらも、内心は興味津々、鼻息がつい荒くなる。

 彼女はクラスメイトや家族に黙って、かつ身分を隠しながら配信者をやっている。つまりそこにはきっと本音や本性が出ているに違いない。

 その姿を見ることが出来れば間違いなく恋人審査は完了し、俺の恋に白黒をつけることが出来るはずだ。

 そして再び俺は正気に戻れる。

 こんな手っ取り早い話はない。渡りに船だ。


「ごめんね。『必読オレ様の配信マニュアル俺を信じれば成功間違いなし』、って指南本にそう書いてあったから守らないと」

「なんかいかにも胡散臭そうな本だな」

「ううん。現役超人気ユーチューバーって自己紹介してたよ」

「人気って自分で言うなんてますます胡散臭い」

「有名人でそんな堂々と嘘つく人なんていないって」


 こいつ本気でそんなことを言っているのか。

 有名な人はその知名度を使って詐欺を働くんだぞ。

 有名人を見たら詐欺師と思え、というのは、現代における俺が作った新たなことわざだ。


「だいたい人気があるのが本当ならお金にも困ってないんだから、そんなノウハウ本なんて出す必要がない。やっぱり怪しい」

「ちょっと疑いすぎじゃない?」

「じゃあそこに書かれていることが嘘だったら?」

「まさか」

「まさか、だよな」


 人が良すぎる彼女との議論は打ち切って、俺は少し黙る。彼女も一段落したのを確認して作業を再開させた。

 ここまでの収穫をまとめよう。

 スマホは平気で放置する隙があるが、友達からのアドバイスにより指紋認証がかけられている。 

 次に配信者を最近になって始めたらしいが、指南本に忠実に従い、さすがの不用心な彼女も正体は明かしてくれない。

 仮にさっき俺が、


「ようつべの配信者だって俺に言ってもいいのか?」


 と突っ込んだなら、


「名前もチャンネルも教えなければ大丈夫い」


 なんて、のほほんと答えたに違いない。光景が目に浮かぶようだ。

 確かにその通りだろう。それだけなら数多の配信者の中から彼女だけを見つけるのはほぼ不可能に近い。

 しかしだからこそスマホの放置が命取りになる。

 いま彼女のスマホは画面を明るくしながらテーブルの上に載っている。いまかすめ取って逃げてしまえば中は見放題となる。

 だがそんなことをすれば好感度貯金がたちまちゼロになるどころかマイナスで、俺の築き上げた善良な立ち位置は一気に崩れ去ってしまう。

 他人との適度なバリアが壊れてしまう。

 それだけは避けなけきゃいけない。

 ならどうする。

 指紋認証をどう突破する。

 手刀で昏倒させてから手を借りるか。それか睡眠薬か。

 いや……待てよ。

 彼女も使っているスマホはアンドロイドだと言った。

 俺のよく知るアンドロイド。

 仕様。

 瞬間――ある神の導きのような閃きがあった。


「そういえばさ」

「んー」


 ペンを走らせながら油断しきった声を出す朝日向を、俺はぼんやり眺める。

 小さな耳。白い肌。産毛が少しあるうなじ。三つ編みで出来た綺麗な分け目。

 そして吸い込まれそうなほど人のいい横顔。


「さっきから何してんの?」

「読書感想文を書いてるよ」

「ああ、前に担任が出してきたやつか。でもこんなギリギリになるまで書いてないなんて意外だな。俺ですら終わってるのに」

「私のじゃないよ。梨華が親戚が亡くなって書く気力がないの。前にもふたり亡くしてるから、可哀そうで私が代わりに書いてるんだ」

「それってさ」

「んー」


 また間抜けな声を耳にして、俺はかぶりを振る。


「いやなんでもない。それなら邪魔しちゃ悪いからもう行くわ」

「別に気にしなくていいのに」

「俺が気にするんだよ。また次にする」


 議論の余地などないとばかりに俺は席を立って歩き出す。

 バリアの出力全開。


「話せてよかった」

「私も」


 ほんとかよと思いつつ、俺は一度だけ振り返る。

 けれど見ていたのは俺へ向けて手をゆるゆる振っている朝日向ではなく、暗くなった画面だ。

 俺や彼女が利用しているアンドロイドのロックには、ある特徴がある。その特徴というのは、七十四時間経過するとパスワードを忘れないためにという名目で、ナンバー式のロックを解除しなければならないことだ。そのときは指紋では解除できず、必ず数字を入力する必要がある。

 その際の指の動き。

 そのあとの指紋の痕跡。

 トイレに席を離れている時間。

 このみっつが揃えば俺は彼女の正体にすぐにも辿り着ける。

 朝日向ひより。

 他人を信用している女の子。

 他人を疑わない人間。

 俺とは対極の存在。

 と、思わせている存在。

 だが、誰も自分を知らない安全な場所でなら、いったいどんな姿をしてる?

 どんなキャラで、どんな声で、どんな性格をしてる?

 俺についての話題なら何を話す。

 本当はうざかったか。

 本当は気持ち悪かったか。

 本当は話せてよかったなんて思ってなかったんじゃないのか。

 ますます俺の中で彼女に対する疑惑と関心が膨れ上がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る