2 最初の痛み

 脱衣所へと移動し、月奏の服を半ば強引に脱がせた。すると、細い腕にまばらに散らばった青く滲む丸い痕や、切り傷。骨に皮を着せているだけのような、浮き出た肋骨。服に隠れていた虐待の跡がすべて露わになった。


 また、先ほどの憐れみの感情が喉奥をくすぐった。それでも、私の嗜虐心は下がるどころか、ふつふつと湧き上がって来ていた。


「寒い……」


 まじまじと月奏の身体を見ていると、耐えきれなくなった月奏がそう零した。気づけば、その身体は少し震えていた。


「ああ、ごめん……お風呂、入ろうか。でもそれよりもまず、身体、綺麗にするよ」


 私はお風呂の扉を開けて、シャワーのノズルをひねった。出てきた水をヘッドを持つのと反対の手に浴びせ、温まるのを待つ。十分なくらい温まったら、椅子に数秒浴びせたあと、月奏をそこに座らせた。


「行くよ」

「……っ! 痛いっ!」


 シャワーを当てた瞬間、その子がビクッと跳ねた。おそらく虐待の傷に滲みたのだろう。見る感じまだ新しめの傷がいくつかあった。


「我慢して」

「いやっ、痛い……!」


 小さく暴れる姿を見て、私の壊れた心が初めて動いた。……今なら、悪事に対する躾として、なにしたっていいだろう。


 静かに、シャワーを持っている手と逆の手が、温度調節のノズルに伸びる。そしてそれを下に回し、青色のマークの上限まで回し切った。


「……やっ……!? 冷たい、やだっ!」


 私の手に操られたシャワーが、冷酷にその温度を落としていき、先ほど寒いと零した月奏からさらに体温を奪った。暴れる月奏の背中に追い打ちのように私は真っ直ぐ冷水をかける。傷の痛みも忘れさせるほどの冷たさが、小さな身体を鋭利に刺す。


「やめてっ……お願い……!」

「それじゃ、大人しくする?」

「する……します、から……!」


 必死な懇願に私はシャワーを止め、ノズルの位置を元に戻す。


「次暴れたら、今度は熱湯かけるから」


 抑揚を完全に殺したような冷淡な口調で脅すと、その子は恐怖に顔を歪ませ、声も出さずに弱々しく首を横に振った。


 私はもう一度シャワーを流し、冷えた身体に当てていく。痛みに耐えているのか、それとも凍えているのか、ぷるぷると小さく震えている。暴れることはなく、ただ私の手に洗われるだけ。今私が爪を立てて腕を引っ掻いても、この子は叫び声すら我慢するんだろう。身体の内で渇望していた嗜虐心が、ようやく喉を潤せたのを感じた。


 洗い終わった後湯船につからせ、身体を温めさせた。温かいはずの湯船に浸かっている間も、心なしか震えている気がした。その間にバスタオルや着替えなんかを探しに家の中をまさぐった。けれど小学生用の服なんて一人暮らしの家にはないから、さっきまで着ていた服をもう一度着てもらうことにした。


 一通り揃え終えて、湯船を見に行くと先ほどよりは落ち着いた表情の月奏がいた。まだ出るには早いかな、そばに置いてある桶を手に取って、湯船からお湯を掬い、露出した月奏の肩にゆっくりと掛けた。すると月奏の肩はビクリと跳ねた。それは怯えのものだった。ただ浸かってない部分が冷えるだろうからと慮ってのものだったけれど、先ほど虐げた以上怖がられているのだろうか……それとも、元いた家でも同じようなことがあったんだろうか。わからないけど、なんにせよその怯えは重たく月奏を支配している。


「……月奏、あなた何歳?」


 入りもしないのに服を着たまま隣にいるのが気まずくなって、ときどきお湯をかけてあげながら私はそう訊いた。話しかけられると思ってなかったのか、月奏は驚いてこちらを見上げ目を合わせた。


「えっと……十歳」

「えっ……!?」


 想像よりも大きな声が喉を衝いてしまった。それは私が担任のクラスと同い年であるのと、そのクラスの子たちと比べても、身長が一回りも二回りも小さかったから。二歳くらいは下に見えた。


「おねぇさんは、何歳なの?」


 すると今度は月奏から私に訊いてきた。さっきまで虐げていたのに、まるでそんなことなかったかのように、月奏は興味深そうにそう訊いてきた。自分の年齢なんて二十歳になってから数える意味を感じられなくて、憶えてないから、答えに困った。


「二十六……だったかな」

「おとなだ……」

「そりゃね」

「おしごとは?」

「小学校の先生」

「せんせぇなの!?」


 バシャ、と水面を波立たせ月奏は食いついてきた。水飛沫がかかり桶を動かす手が止まる。


「そっか。それじゃあせんせぇだね!」

「せんせぇ?」

「そう! せんせぇだから、せんせぇ!」


 だからの前後が当たり前だから、数秒理解に固まった。やがてそれが私の呼び名であることに気づいた。


「ああ、そういう……別に、好きに呼べば」


 身を乗り出す月奏を宥めながら湯船に戻して、気づけば止まっていた手をもう一度動かす。かけられるお湯に怯える月奏はもういなくて、どこか嬉しそうだった。身体も十分温まったら上がった。その頃には、落ち着いたのか震えは収まっていた。

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