2-6 公共図書館にて
――お母さまへ。剣闘士となって1カ月が経ちました。鼻血を出したり異臭騒ぎを起こしたりと色々ありましたが、ちゃんと生きています。
今日はお母さまを安心させるためにも、剣闘士養成所での生活についてお話ししますね。
起床は朝6時。日の出とともに起きて、まずはストレッチ。となりのベッドの猫さんほどではありませんが、私もなかなかの柔軟性です。
つぎは治療室に行って傷の治療と確認です。この世界には理法術という魔法のようなものがあるので、だいたいの傷はすぐに治ってしまいます。兵士さんにぼこぼこにされた傷も、お肌に残ることなく消えました。ご安心ください。
さて、次はお待ちかね――朝食です! メニューはとにかく高たんぱく・高カロリーですのよ。
今日は、オリーブオイルと蜂蜜で風味付けした麦粥、レンズ豆の煮もの、イチジクとデーツの盛り合わせというメニュー。
味は……控え目に言って、畜生どものエサのよう……いえ、失礼しました。とっても素朴でオーガニックですわ!
ご存じとは思いますが、私はお豆さんが苦手です……。お友達のアーネさんにこっそりおすそ分けしていたのですが、最近では「お豆だいすきです!」と勝手に取っていくようになりました。
話が逸れましたわね。水で薄めたうっすいワインで水分補給をしたら、いざ訓練へ。
午前中は体力づくりのための基礎訓練です。ランニングやウエイトリフティングで体力や筋力を、体操や平均台でバランス感覚や柔軟性を鍛えます。
基礎訓練が終わったら、次は武器を握りしめての特訓です。みなさんはネメラ教官に可愛がられながら武器の持ち方からのスタートでしたが、私は自由にさせていただいています。
マルカス教官いわく、「大太刀の扱い方について教えることはないから、とにかく重さに慣れろ」とのこと。
たまにミュナさんを追いかけたりして、まるで鬼ごっこのように剣を振るっています。彼女は「死ぬ!」と必死ですが、それも訓練になるらしく、教官たちは黙認。私にとっても、良い気分転換です!
以上で午前中の訓練は終了。昼食と1時間ばかりの休憩をはさんで、午後の実践的な訓練へ……。
そんな日々を送る私ですが、昨日は特別な出来事がありました。以下に記しますね。
なんと! 午後からの訓練が中止になったのです。マルカス教官の腰痛と、ネメラ教官の急用が重なった……とのことでした。
しかし、私はこれがマルカス教官の粋な計らいではないかと邪推しております。実際、彼はこれまでも「見るのも訓練だ」と言って、さりげなく休息時間を作ってくれたことがありました。今回もきっと、そんな優しさを見せてくれたのではないでしょうか。
とつぜん降って湧いた休暇に、半日といえどご同輩たちは大興奮。だって、この1カ月、お休みなんて1日もありませんでしたもの!
私も急いで身支度をして、町へと繰り出したのですが――ああ、なんということでしょう!
私は悲嘆に暮れております! せっかくの自由を謳歌しようとした矢先、財布すら持たぬ無一文だなんて――なんて運命のいたずらでしょうか!
……ですので、10万円――いえ5万円でいいので、お小遣いを送っていただけませんか……?
―――異世界から愛を込めて、あなたの大切なお嬢さまより。
◆
ボロは着てても心は錦。お金がなくとも心豊かな休日を送ることは可能でしてよ!
そう意気込んで訪れたのは、
窓にはめこまれた半透明のガラスを物珍しく思いながら、厳かな雰囲気の図書館へと入りました。
この匂いは何でしょう? 藁のような、乾いた草木の香りです。不思議に思いながら静かな廊下を進むと、身なりのいい上級市民さんたちとすれ違います。
彼らはみな『トガ』と呼ばれる長い布をマントのように体に巻き付けていて、高貴な雰囲気に満ちています。それに対して私ときたら、
なんてみすぼらしいのでしょう。いまに見ていなさい、私だって! と、ブルジョワどもを敵愾心たっぷりに心の中で睨みつけ
てやります。
奴隷のような剣闘士といえども、お金を稼ぐ方法がないわけではありません。剣闘士が勝つたびにもらえる点数は、お金に交換することも出来るのです。
しかもいやらしいことに、交換する点数によってレートが変動するのです。1点だけなら金貨1枚ですが、10点まとめてなら1点あたり金貨5枚になるそうな。えっと、元の世界に換算したら――10点で650万円。
命を懸けた試合の報酬としてはシケた金額ですが、この世界の基準で考えたら破格です。
――ふん! 優秀な剣闘士を手元に置いておきたいという意図が見え見えの制度ですわね。私はそんなものにつられませんのよ!
といきりつつも、貴婦人の服を羨望の眼差しで見る私なのでした。ああ、貧乏は心が荒みますわね……。でも、せっかくのお休みですもの、落ち込んではいられません。
中庭から差し込む日差しのおかげで館内は明るく、書架に積まれた本も良く見えます。
いえ、本ではなく『巻物』ですわね。開いてみるとぱりぱりと軽快な音とともに、秋の田園のような匂いが漂います。
もしやこれがパピルスというものでしょうか。麻布を荒くしたような質感を楽しみつつ、私は2本の巻物を持ってテーブルに着きました。
最初に広げた巻物は、
『
おお……なんともわくわくなタイトルです。
――ふむ。いままでさんざん『オーガとの交じり』と言われましたが、その理由がわかりました。この帝政アエテリスがある大陸のはるかな東方に、『オーガ』という種族がいるそうです。
彼らは『体が大きく』『額に角があり』、そして――
その文字にくぎ付けになりました。『金色の目を持つ』。艮御崎家のものはみな『
それに、『額の角』。おじいさまの離れにあった、あの頭蓋骨さんを意識せざるを得ません。
……奇妙な符号ですわね。金の瞳に角。ふたつも重なると、ただの偶然とするのは無理がありましてよ。
ざっと一読してみましたが、元の世界に返るためのヒントはなさそうです。
ですが少しばかり面白い情報がありました。はるかな昔、1人のオーガが船でアエテリスに流れ着いたそうです。
そのオーガというのがとんでもない暴れん坊で、暴虐の限りを尽くすのみならず、たったひとりで100人近い兵士たちを叩きのめしたのだとか。
いまでもそのオーガのことは『悪鬼』として伝説に残り、子供が悪いことをすると「悪鬼が来るぞ!」と親が言うそうな。
ふふ、にっくきアエテリスの兵士さんたちを一人で叩きのめしただなんて爽快ですわね!
気分が軽くなった勢いで、本命の巻物へ!
『
打って変わって今度は参考書のようなタイトル。――しっかりと目を通しましたが、求めているものではありませんでした。
理法術にはいろいろな種類があることは分かったのですが、異世界から誰かを転移させるようなものは見つかりません。ですが、ひとつだけ収穫がありました。
この国のとなりにある『セプティマリス』という国には、私が考えるような『魔法』の力を秘めた『魔道具』なるアイテムがあるそう。
元の世界に転移するための魔道具もあるかも……。
――まだ希望は残されていますわ。自由の身になったら、セプティマリスに行ってみなければ……。
疲れた目をしょぼしょぼとさせながら、図書館を出たときでした。
「こっちだ! 早く来いよ!」
子供たちが目の前を全力疾走で通り過ぎていきます。
たとえ異世界でも子供たちは微笑ましいですわね。なんて思っていると、気になる言葉が飛び出しました。
「すごいぞ! 猫女が治安兵に襲いかかったんだ!」
何やら穏やかではありませんが、はて猫女? まさかと思いつつ小走りで子供たちを追いかけると、繁華街の入口に人だかりができています。
まるで円陣を組むかのような人々にさえぎられて、何が起こっているのかさっぱりわかりません。
小柄でよかったですわ……っと。
強引に潜り込んで騒ぎの中心へと顔を出した瞬間、素っ頓狂な声が響きました。
「お、落ち着けっ!!」
顔を引きつらせた治安兵さんの首元には、ぎらりと剣呑に光る刃。奪ったグラディウスを背後から突きつけているのは――
「な、何をしていますの!? いますぐその方を解放しなさいまし!」
ミュナさんは一瞬だけ驚いたようでしたが、私が前に出るとじりっと退きます。
「来ないで!」
尻尾が猫じゃらしのようになっています。相当に興奮しているようですが、治安兵さんを拘束するなんて正気の沙汰ではありません。
「いったい何がありましたの……!?」
治安兵さんを油断なくけん制しつつ、ミュナさんはつぶやくように言います。
「――聖女さまのペンダント」
ミュナさんの手からぶら下がったものがきらりと瞬きます。詳しくは知りませんが、さきほど読んだ本に『聖女さま』という言葉が載っていました。たしか、セプティマリスの7つある自由都市の指導者――七聖女のことです。
そんな貴重品を、なぜ彼が?
そう疑問に思っていると、治安兵さんは助けを求めるように群衆に叫びます。
「お、俺はちゃんと行商から買ったんだ! それをこいつが――」
首の皮に切っ先が触れます。
「黙れ」
底冷えするような声に息を飲むような静けさが落ちると、私は必死に思索をめぐらしました。状況を鑑みるに、ミュナさんがペンダントを奪い取ったようです。
困りましたわね。どうみても悪いのはミュナさんですわ……。
そう思った直後、重たい地響きが群衆をふたつに分けました。
「――
はしゃぐような子供たちの声とともに飛び込んできたのは、雑兵たちとは一線を画す豪奢な騎兵たち。皇帝の護衛であるとともに、緊急時の対応を任せられたエリートたちです。
磨き抜かれた鱗鎧をしゃりんと鳴らせて、近衛隊は長槍を手にミュナさんに迫ります。
その研ぎ澄まされた断罪は問答無用。私が目を見開いたときには、すでにミュナさんの額を貫こうとしていました。
ところが――ぴたりとその穂先が紙一重で止まります。
「お前は……」
他の騎兵たちに目くばせをすると、先頭の男は軍馬からひらりと降りて、ずしりと大地に足をつけました。
それほど背は高くありませんが、その二の腕や大腿は金剛力士を思わせるほどの筋肉の起りです。頬当て越しでも精悍とわかる顔を治安兵さんに向けると、男は地面から何かを拾いあげました。
いつからそこにあったのでしょうか? きらっと光る金貨です。
「――治安兵。そのペンダントは、剣闘士に売る約束だったのではないか?」
金貨を強引に握らせると、男はきょとんとしているミュナさんからグラディウスを取り上げます。
「剣闘士、お前も余計なトラブルを起こすな」
「え……?」
突然の展開に混乱したのは私だけではありません。目を丸くする治安兵さんとミュナさんを置いてけぼりにして、男は野次馬たちに手を振りました。
「双方に非があったようだ。このことは不問とする! さぁ、通行の邪魔だ。散れ!」
部下の騎馬たちが群衆たちを追い立てながら去っていくと、ひとり残った男は治安兵さんの背中を押しながらほほ笑みます。
「お前の仕事ぶりは上にも伝えておこう。巡回にもどれ」
「へ、へぇ……」
首をかしげながらも金貨を握りしめた治安兵さんが居なくなると、ミュナさんはおずおずと男を見上げました。
「あ、あの」
男はミュナさんの失われた片耳を見ながら、低い声で囁くように言います。
「――聖女もそれをのぞんでいるだろう」
ミュナさんの顔が凍り付きます。男の顔を確かめるように見つめて、コンマ数秒後。――まだらの髪がぶわっと逆立ちました。
「あ、あのときのッ!!」
野生そのものな動きで飛びのいたかと思うと、ミュナさんは犬歯をむき出しにして「シャーッ!」と威嚇します。
しかし男はただ諭すようにうなずいて、何も言わずに手綱を引きました。彼が姿を消すころには、繁華街にはいつもの雑踏が戻って、先ほどの騒ぎが嘘のようです。
私は狐につままれたような気分を引きずったまま、ミュナさんに尋ねました。
「あの金貨は、本当にミュナさんが落としたものでして……?」
ミュナさんは心ここにあらずといった顔で答えます。
「違う……」
やっぱりそうでしたか。ということは、あの近衛隊の男がひと芝居打ったということですけれど……?
「……まぁ、なんにせよ良かったですわね。そのペンダント、よほど大事なものではなくって?」
私の言葉にはっとなるミュナさん。白くなるくらい握りしめていた手をそっと開くと、七角形のチャームがきらりと光っています。
「良かった……」
ミュナさんは泣きそうな声でそう言うと、ペンダントを祈るように握りしめます。
私はやれやれとため息をついてから、ミュナさんの背中をばしんと叩くのでした。
「ほんともう、寿命が縮みましたわ……! それで、どうしてあんなことをなさりましたの?」
なにも言わずにふらりと歩き始めたミュナさんを慌てて追いかけると、彼女は目をさまよわせながら小さな声で言います。
「このペンダントは、私の大事な人の持ち物だから」
その押し殺した声に潜んだ悲痛さに思わず足を止めると、ミュナさんが私の手を強く握りました。
「――聞いてくれる? 私のこと」
震えるように揺れる縦長の瞳孔を見つめながら、私はどんと胸を叩きました。
「水臭いですわね。いちいち聞かなくても結構ですわ。――さ、話やすいところに行きますわよ!」
お嬢さまの心得その3。ご友人には限りなく優しく、ですわ!
私はミュナさんの手を握り返して子供のように駆けだします。
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