2-5 剣闘士養成所(スコラ)にて③

 円形訓練場の中心――本物を模した練習場の広さは野球場くらいでした。


 その外周にある簡素な観客席に並んだご同輩たちは40名ほど。1年後に何人が残っているか空恐ろしいですが、いまは彼らも気楽な観客というわけです。


 砂を薄く敷いた床はわずかに弾力があり、体育館の床に似ています。それを踏みしめて闘技場の中央にまで行けば、待っているのは初老の男――マルカス教官です。


「手加減はいらない。君の剣を見せてもらおうか」


 マルカス教官の手にはスクトゥムとグラディウスの木剣。いかにも彼らしいベーシックな『剣兵闘士』のクラスです。


「艮御崎流剣術の太刀筋は、目で追えるような生半可なものではなくってよ?」


 私が不敵に笑うと、マルカス教官は少しばかり眉を吊り上げました。その瞬間、ネメラ教官が手を挙げます。


「――試合開始!!」


 ご同輩たちには申し訳ないのですが、私にはお嬢さまの矜持があります。剣とは己に向けられるものであって、野蛮な殴り合いの道具ではありません。彼らを沸せることなど言語道断。


 手早く終わらせましてよ!


 一足に踏み込むと、分厚い床が大きくたわみました。反動のままに一気に詰めての、不意打ちの突き。


 研ぎ澄まされた突風のような剣先はしかし、優しく押されて逸れてしまいます。


 なんでそこに剣先が!?


 私の心を読んだような反応でした。体勢を崩す私をいなしながら、マルカス教官は淡々と言います。


「さすがオーガとの交じりだ。力強く手早い」


 ――ぐ、偶然に決まっていますわ!


 渾身の一撃を盾に打ち込んでも、巧みに角度を変える盾がするりと滑らせてしまいます。なまじ力が籠っているだけに、私は大太刀に振り回されるように態勢を崩します。


 その独り相撲を老練な剣士が見逃すはずもなく――。


「もう死んだ。1回目だ」


 ぴたりとみぞおちに合わされたグラディウスから慌てて飛びのきます。


「な、ならばっ!」


 私の太刀は長く、マルカス教官のグラディウスは短いのです。両者のリーチの差は圧倒的。距離を保って冷静に打ち込めば、圧倒できるのは当然!


 ところが――短いはずの剣が、次の瞬間には私の届かないところから喉元を狙ってきます。彼の一歩が私の二歩を超える――そんな錯覚に陥るほどでした。


「2回目。もう君はりっぱなアンデッドだ」


 いったいなにが起きているのでしょう。私が何かするたびに、最適解が返ってきます。恐るべき反応の速さと、的確さ! 私の剣は空振るばかりで、あっという間に呼吸が苦しくなります。


 たまらず足を止めると、あたかもそこに『置いてあった』かのように、剣がつま先を射止めました。


 ――なんてこと。いくら義理許しとはいえ、免許皆伝の私が手も足も出ないなんて……!


「3回目。そろそろ神さまが哀れに思って、転生させてくれるころだな?」


「このっ……!!」


 雑な動きで足元を執拗に狙ってきます。その馬鹿のひとつ覚えのような攻めが私そのものを愚弄するように思えて、つい飛び込んでしまいます。


「――うぷっ!?」


 私を待ち構えていたのは錆臭い盾。熱烈な接吻を交わした私が尻もちをついて鼻血を垂らすと、誰かが笑い声を上げました。


「傑作だ! あいつ、自分からぶつかっていったぞ!?」


 どっと巻き起こった嘲笑に、かっと耳の先が赤くなる感覚がありました。


 思えば、私は衆目のもとで恥をかかされたことなどありません。全身をかきむしりたくなる羞恥をごまかすように最上段に構えると、最前列の罪人さんが小さく首を振りました。


「――落ち着いて。焦っては勝てるものも勝てなくなります」


 なんてことのないアドバイスでしたが――波紋のようなものが体を通りぬけたときには、ふしぎと私のこころは平穏をとりもどしていました。


 いまのは何だったのでしょうかと思いつつも息を整えると、見えてくるものがあります。


 マルカス教官の流れるような動き。振りかぶろうとしていた私に先んじて、平正眼の構えを取っています。その姿にはっとなりました。


 天性の速さと精密さに裏打ちされた『後の先』。それが彼の剣だと思っていましたが、それは大きな間違い。その正体は、経験による読みと的確な準備動作――つまり『見切り』と『先の先』です。


 そうとわかればやりようがあります!


 腕から力を抜いて太刀を降ろしたときには、やはりマルカス教官は半身になって盾を前に出しています。守りに堅い下段の構えは攻めにくくも強打はないと見抜き、反撃を狙っているようです。


 ――それを逆手に取る!


 太刀を逆手に持ち替えての、猛烈な切り上げ。盾を弾き飛ばす大ぶりの一撃が、しっかりと中心を捕らえていました。


 当たった……!?


 天高く打ち上げられた盾に、思わず会心の笑みが漏れます。


 ――けれどそれはあまりにうかつ。用大太刀が半月を描いたときには、マルカス教官の姿は忽然と消えていました。


「こっちだ」


 あっと瞠目する暇もなく、斜めからの突きが私を捕らえていました。


「な、なんで急に盾を捨てましたの……?」


 マルカス教官は落ちている盾を拾いながらなんでもないように言います。


「目は口ほどに物を言う。ああも盾をしっかりと見られては、わからない方がおかしいというものだ。……まだやるかい?」


 あまりに経験が違いすぎました。付け焼刃の奇襲など通じるはずもなく……。しかし、せめて一泡吹かせてやらねば退くに退けません!


「お年を召しておられますのに、長々とお付き合いいただくのは忍びないのですが……これで最後ですわ!」


 私がとった構えは『柳の構え』。手を頭上に、剣先は膝下へと斜めに。すぐに退けるように膝は軽く曲げます。


「奇妙な構えだ。防御に長けるように見えるが……」


 返事はしません。ただ集中――世界から観客も、風も、すべてを消して、マルカス教官と私だけになります。


 たった数秒のことなのに、1分にも感じられたそのとき。マルカス教官が楽しそうに笑いました。


「不利と悟って守りに転じたか。だがそれでどうやって勝つ!?」


 びりびりとしたものが私に吹き付けます。緊張? いえ違います。剣が放つ圧。そう感じたときには、すでにマルカス教官は私の間合いに大きく踏み込んでいました。


 ですがそれこそが私の狙い。


 ――ここっ!!


『柳の構え』はカウンターの構え! そこから放たれるは、参拾参の型『藤裏葉ふじのうらば』!


 相手の剣の勢いを殺ぎながらの反撃技――なのですが。


 どしんと全身に衝撃が走ります。盾で打たれたとわかったときには派手に吹っ飛んで、ごろごろと地面を転がっていました。


 私の喉元に剣を突きつけながら、マルカス教官は笑顔で言います。


「5回目だね」


 しびしびとする体を何とか起こしながら文句をぶつけます。


「い、いまのは何ですの?」


「ただの体当たりだよ」


 彼の言う通り――盾を使った突撃でした。『藤裏葉カウンター』は相手の得物を梃子にして倍返しにする技ですから、そんな力技には無力です。


体当たり? ……踏み込みの鋭さも、盾の威力も――尋常じゃありませんでしたわ!」


 マルカスは自分の腰を年寄くさく叩きます。


「君は見誤ったのだよ。非力な老人だから技術で攻めてくるに違いない、とね。確かに私は老いてはいるが、一瞬くらいならああいうことも出来る」


 ペテンにかけられた気分ですが、それを見抜けなかったのは私の慢心の致すところ。言い訳はできません。


「――ま、参りましたわ……」


 太刀から手を離すと、ネメラ教官が手を上げて試合終了を告げました。――完敗です。


「勝負あり! 勝者、マルカス!」


 わっと歓声が上がるなか、ネメラ教官はなぜか厳しい顔でマルカス教官に詰め寄ります。


「まさか気づいていない貴様ではあるまいに……甘いなマルカス」


 ぎろりと観客席を睨みつけるネメラ教官。身も凍るような緑の視線を浴びて、罪人さんが「うひっ!?」と声を漏らすと、マルカス教官は肩をすくめました。


「君こそなぜ止めなかった?」


 ネメラ教官はチッと舌打ちして目を反らします。


「あの罪人がどの程度のものか確かめたかっただけだ」


 彼女がそうとだけ言うと、マルカス教官は私を一瞥してから観客たちを見回しました。


「――これが公式の闘技会なら、お前たちは敗者に判断を下さなければならない! アツキを生かすか、それとも殺すかだ!」


 大きなどよめきが走ると、マルカス教官は親指を立てました。


「生かすならこうしろ。だが殺すならこうだ!」


 長年の鍛錬を刻んだ指が、死神の鎌のように振り下ろされます。剣闘士たちはおずおずと――けれど次第ににぎやかに、審判を下していきます。


「一方的すぎる。アツキはまともに剣も振れていない」「諦めるのも早いなぁ。俺なら打たれるまであがくね」


 さんざんな言われようですが、私はそれを甘んじて受け入れるしかありません。第三者から見れば、私は手も足も出なかったのですから……。


 指を上に向けている人はほんの少数。結果は明らかでした。しょんぼりと落とした私の肩に、マルカス教官の掌が乗ります。


「――わかったか? これが剣闘士が観客を楽しませなければならない理由だよ。たとえ負けたとしても、観客の心を打てば助命されるかもしれない。勝つのも大事だが、生き残ってこそだ」


 けれども、やはり剣闘士は修羅の道。マルカス教官は目を留めた女剣闘士に問いかけます。


「なぜ君は指を下にした?」


 女剣闘士は不意打ちに戸惑いつつも、不機嫌そうな顔で答えます。


「私、その子が嫌いなのよ。やたらと目立つし、高飛車だし、なにより見た目がいいのが気にいらない」


「おいおい!」と誰かがつっこむと、あちらこちらから忍び笑いが漏れます。そんな彼らに叱るにしては甘い眼差しを返しつつ、マルカス教官は私に言います。


「剣闘士の生き死には理不尽なものだ。だがそれでも、私は君たちに……」


 と、そこで珍しく口ごもってしまいます。ですがその瞳は彼の胸の内を雄弁に語っています。


 私は教官たちのことを少し誤解していました。彼らは少なくとも、剣闘士たちのことを物のようには見ていません。


 むしろ、私が勝手に観客たちの手先のように思っていただけですわね……。


「――完敗ですわ。……乙女に二言はございません。約束どおり、『観客たちを楽しませる剣闘士』を目指してもよろしくってよ!」


 しかし、『お嬢さま』を曲げるわけにはいきません。私はマルカス教官だけでなく、その場にいる全員に向けて宣言します。


「……けれど、派手に剣を振るような道化はまっぴらですわ。私が目指すのは――崇拝される剣闘士ですのよ!」


 私の前には、まるで森の中でひとつ立ち枯れた大木のような老人がいます。彼の剣は剣闘士を深く魅了し、私ですら舌を巻くほどです。――そう、彼のようになりたい。私は深くそう思いました。


 しんと静まり返った練習場に、マルカス教官の笑い声が響きます。


「それは指導しがいがあるというものだね。……では、さっそくだれど、反則の罰として昼食まで走り込みをしてもらおうか」


 反則なんてしたでしょうか? 私が首をかしげると、なぜかネメラ教官が罪人さんを怒鳴りつけます。


「アーネ! もちろん貴様もだ! 歩くことは許さんぞ!」


「ひっ……!」


 罪人さん……もといアーネさんは、すでに涙目で私のほうに走ってきます。はたしていつまでもつやら。


 アーネさんのペースに合わせて走り出します。教官たちがついてきてないか確認しつつ、私はアーネさんに尋ねました。


「反則の罰ということですけれど、こころあたりがありまして?」


 「ご、ごめんなさい……! 私、なんとかしようと思って、つい理法術を使ってしまったんです……!」


 聞きなれない言葉です。


「なんですのそれ?」


「理法術は、哲学的理論に基づいた技術体系です。魔術と似ていますが、人のこころに添ったものと聞いています」


「……ちんぷんかんぷんですけれど、つまり魔法のようなものということでいいのかしら」


 鉱山都市ダカウロンの、 地方監督官マギステルと呼ばれていた紫マントの男。彼の魔法が脳裏によみがえります。


「ざっくり言えばそうです。私は理法術師さまから専門的な教育を受けたので、少しだけ理法術が使えるんです」


 ですが、模擬戦のさなかに爆発したり氷が振ってきたりしましでしょうか? そう考えて、ひとつだけ思い当たることがありました。


「もしかして、私が急に落ち着いたのは……?」


 剣闘士たちの嘲笑で頭に血が上っていたとき、アーネさんの声で冷静になったことを思い出します。


「はい。アタラクシア派の基礎的な理法術です」


 アーネさんは知性を感じさせる穏やかな笑みを浮かべます。その青い瞳をみて――あの勇猛だった斧使いの傭兵さんを思い出していました。


「もしかしてアーネさんはヴァルトハイムの生まれなのかしら?」


 北の方にあって、この国アエテリスに支配されている国だったはず。


「ええ……。事情があって放浪していたのですが……」


 何かを思い出すように、遠くをみるアーネさん。なんせ逃亡奴隷なのですから、複雑な事情があるに違いありません。それについてはまたいずれ聞く機会もあるでしょう。


 私は少しだけペースを落とします。


「よろしくお願いいたしますわ。アーネさん」


 アーネさんは思わず見惚れてしまいそうな、花咲く笑顔を見せてくれました。


「……私こそ! 実は、アツキさんと話したいと思っていたんです。とてもうれしいです!」


 彼女の品のある仕草を好ましく思いながら、私は心の中でつぶやきます。


 ――お嬢さま友達、ゲットですわ!!

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