2-3 剣闘士養成所(スコラ)にて①

 雷が落ちたかのようなノックがあったと思ったら、とんでもない大声が私の耳をつんざきました。


「お姫さまぁ! お目覚めの時間ですわよー!?」


 ベッドから飛び起きて窓を見ます。青くなりはじめた空はまだ6時前といったところ。朝食は7時からと聞いていたので、まだ時間はあるはずなのですが……。


 絨毯爆撃じみた打撃音がまた襲ってきました。


「それとも……お姫さまは今日も優雅なお寝坊を満喫中かしら? どーぞご自由に。私は円形闘技場でお前の死体を拾う練習をしてくるぞ!!」


 となりのベッドで全身の毛を逆立てていたミュナさんが、何か言いたげな視線を私に送ってきます。


 誰かは知りませんけれど、やっぱり私に用事があるみたいですわね……。


 扉よりも彼女の頭の血管のほうがはじけないかと心配です。慌てて服を着て扉を開けると、そこには屈強な兵士も逃げだしそうないかついお姉さまが――


 あら? いませんわね。


「――きさまぁ!? どこを見ている!! お前も私と大して変わらんだろうが!?」


 まさかと視線をおろします。おお! いつも見上げてばかりですから気が付きませんでした。ちょうど同じ高さに、黒檀のような肌と、深い森のような緑の瞳があります。


「えっと……。ごきげんよう?」


 私がぺこりと頭を下げると、彼女は憎たらしく舌打ちします。


「貴様が23人もの兵を殺した『悪鬼』か。その名にふさわしい醜悪さだが、いまはとんだ間抜け面だな! ――顔を洗ったら中央棟の裏にある武器練習場に来い!」


 まくしたてるように言うと、ぷりぷりと怒りながら去っていく謎のちびっこさん。つんと尖った特徴的な耳を見ながら、私はその小さな背中を引き留めます。


「あの、あなたは……?」


 立ち止まったかと思うと、彼女は長い銀髪をめんどくさそうに掻きあげながら答えます。


闘技教官プラエケプトルのネメラだ。おっと、無理に覚える必要はないぞ? そのうち名前を聞いただけで震えあがるようになるからな!」


 よくもまぁそれだけの語彙力を発揮できますこと。おかげで眠気が吹っ飛びましたわ。


 お目々を愛らしくぱちぱちさせていると、半開きの扉からミュナさんが顔をのぞかせます。


「大丈夫だった……?」


「ごきげんよう、ミュナさん。声が大きいだけでどうということはありませんわ」


「よかった」


 私はネメラ教官の特徴を思い出しながら尋ねます。


「彼女は普通の人間なのかしら。お耳が尖ってたり、髪が銀色だったり、お肌の色も黒檀のようだったけれども」


「ダークエルフ」


 ――えーっと、肌が黒いエルフで、人間嫌いっていう設定が多いあの?


「そ、それはたいへんけっこうですこと……」


 ドワーフがいたんですもの。もちろんエルフもいておかしくありませんが、少々変化球すぎますわね。


 納得できないものを感じていると、ミュナさんが私の背中をぽんと叩きました。


「早く行く。中央棟の裏手」


「――そうでした! ありがとうございます。では行ってまいりますわ!」


 ミュナさんに見送られて階段をおりると、1階でさっと顔を洗ってから渡り廊下を通ります。


 えっと、中央棟の裏手でしたわね……。


 少しでも遅くなれば難癖つけられてネチネチと言われるのは必至。急いで武器練習場に入ると、壁沿いにずらっと並んだ武器棚の前に、小さいのとのっぽなのが居ました。もちろん小さいほうは――


「便秘か? それともケツを拭くのがそんなに大変だったのか? ――早く来い!!」


 と、悪態をつかせれば世界一のネメラ教官です。


 その隣ののっぽさんは、風雨に晒された流木じみたおじいさんでした。アエテリス人にしては珍しく長髪で、総白髪を後ろでひとくくりにしています。


 柔らかい雰囲気なのに、視線の運び方に油断がありません。その物腰に、私はお稽古の先生を思い出します。


 私が前に立つと、その初老の男は軽く会釈して言いました。


闘技教官プラエケプトルのマルカスだ。そこの小さいのと同じで、剣闘士としての戦闘技術を君に叩き込むための教師というわけだよ。よろしく」


 視線を向けられたネメラ教官は舌打ちをしつつ、ずらっと並んだ木製の武器を眺めます。


「お前は剣闘士の戦いを無法者どもの喧嘩のようなものだと考えているかもしれないが、実際はルールに縛られた厳格なものだ。その一歩として、まずはお前の『クラス』を決める」


 ネメラ教官はアエテリスの兵士が標準装備している短めの直剣グラディウスと、体がすっぽり隠れてしまうような長方形の盾スクトゥムを構えました。


「この二つを使って戦うのが『剣兵闘士』のクラスだ。この木剣は本物とおなじ重さに調整してある。持ってみろ」


 グラディウスは扱いやすいのですが、盾を構えると前が見えず、私の体格ではどうしようもありません。マルカス教官が苦笑いしながら私から盾を取ります。


「盾が君の動きを殺してしまうな……。リーチの短さを補う武器がいいかもしれない」


 その提案にしたがってネメラ教官が持ってきたのは、3mはあろうかという長槍でした。細く力技には向いていませんが、一方的に攻撃できそうです。

 

「この長槍ならどうだ?」


 私が受け取ったとたん、噴き出すネメラ教官。


「――ぷぷっ! ……な、なんでお前はそんなにチビなんだ? まるで串に刺さった団子だ! 兄と弟はどこだ、食われたのか!?」


 ……もしかしてこの人は私を笑わせようとしているのでしょうか?


 うんざりしつつ槍を棚に返すと、大きな木剣が目に入りました。


「あれは……?」


 優美な曲線を描いたそれは刀のように見えましたが、あまりにも大きく無骨な代物でした。積もったほこりを払いながら、マルカス教官が言います。


「これは大太刀だよ。東方に住む『オーガ』という蛮族が好んで使う武器なんだが、扱い方を指導できる者がいないんだ。昔はこの武器を扱う『東方闘士』というクラスもあったそうだが……」


 その太刀から感じるのは不思議な郷愁でした。それを握ったことがあるような気さえします。


 奇妙な感覚にとらわれていると、マルカス教官が私に太刀を差し出してきました。


「ためしに持ってみるかい?」


 試しに太刀を正眼に構えてみました。お稽古で使う木刀とは似ても似つかないサイズですが、不思議としっくりきます。これなら艮御崎流の剣も存分に振るえるでしょう。


 さっそく、艮御崎流剣術の型を試そうとしたときでした。私の一挙一動を見つめる2人の雰囲気が急に剣呑なものへと変わって、背筋がぞくぞくとします。


「気にせず続けて」


 マルカス教官に促された私はひとつ深呼吸をして、太刀を垂直にします。――『八相の構え』です。そこから肘を上げて『上段の構え』、さらに剣先を降ろして『柳の構え』に移ると、マルカス教官は手を叩きました。


「驚いたよ。君はその太刀の使い方を私より熟知している……。決まりだな」


 ネメラ教官が太刀を私に押し付けるようにしながら言います。


「それしかないんだ。大事に使え。 ――引きずるなよ?」


 私は太刀を抱きかかえるようにして、指先でその刀身を撫でました。長い付き合いになりそうな予感がします。


「次は宣誓書だ。それにサインすれば、お前のようなひよっこでも剣闘士ということになる。……が、その前に説明だ」


 宿舎での生活やほかの剣闘士に対する接し方、アリーナ区の設備の使用に関することなど退屈な説明が続きます。


「――闘技会で勝利した剣闘士には1点が与えられる。もちろん負ければ生きてようが0点だ」


 これまでとは毛色の違う説明に、こみあげてきたあくびが引っ込みました。


「点数がありますのね。集めるとなにかいいことがありますの?」


 ネメラ教官は珍しく真顔で答えます。


「10点で栄誉ある『木剣拝受者ルーディウス』だ。木剣受領者は帝国の栄光に貢献した者として、それにふさわしい権利を与えられる。――制約の首輪を外され、解放奴隷となる権利だ」


「ほ、本当ですの!?」


「ああ。志願剣闘士としてアリーナ区に残ってもいいし、引退してほかの仕事を始めてもいい。どんな汚いツラの罪人でも奴隷でも、無罪放免だ」


 一筋の光が差し込んだ気分です。とにもかくにも、10勝しなければ……!


 木剣受領者。その言葉をかみしめていると、「くっくっく……」とネメラ教官が嗤います。


木剣拝受者ルーディウスになれるのはほんの一握りだ。100人いれば7人か8人といったところだろう。――残りの負け犬がどうなるかは、言うまでもないな?」


 その確率の低さにめまいがしました。10分の1に食い込めるだけの力と運が私にあるのでしょうか……。


「代筆が必要かい?」


 気が付けばマルカス教官が書類とペンを手に戻ってきていました。私は慌てて受け取ります。


「も、もちろん書けましてよ。……ここですわね」


 すらすらっと名前を書くと、「へぇ?」とネメラ教官が感心したように肩を持ち上げます。この世界では字を書ける人は珍しいのかもしれません。


 羊皮紙に刻まれた私のサインを見て、マルカス教官は力強くうなずきました。


「――よし。これで君はアエテリスで一人だけの『東方闘士』だ。その名を汚さないよう励むように」


 太刀を強く握っていると、ネメラ教官が外を見ながら言います。


「とりあえず飯を食ってこい。あと30分もすればまた訓練だ。――ああ、そんなに食わなくていいぞ? どうせ訓練で全部吐くことになるからな!」


 私は慌てて礼をすると、急ぎ足で宿舎へと戻るのでした。

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