2-1 アリーナ区にて①
からりと晴れた冬の日、石畳の街道を行く一台の馬車。その風景は牧歌的で平和そのものですが、荷台はまるで奴隷船のよう。多種多様な人々がすし詰めになっています。
人種はいろいろで老若男女を問わず、年端のいかない子供までいます。そんな彼らはみな同じ服装で、トゥニカという丈の長いTシャツを着て腰帯で留め、粗末なサンダルを履いています。そして手には、おそろいの手枷がありました。
――奴隷船のようにと私は言いましたが、事実、彼らは正真正銘の奴隷なのでした。
その奴隷たちの最前列、中央。いちばん脱走しにくい席に私は座っていました。ありがたいことに隣の奴隷さんは距離を開けてくれていますから、他の奴隷さんよりかはのびのびしています。
というか、私が臭くて近づきたくないだけですわね……。お風呂に入ったのは約1カ月前ですから、異臭を放って当然と言うもの。困りますわ、女の子はいつだってお砂糖とお花、それから少々のスパイスが効いた香りでなければならないというのに。
「はふぅん……」
蓮の花が開くようなため息だってこぼれてしまいます。だって乙女ですもの。
爪のあいだの汚れをほじくるくらいしかすることもなく。街道の風を浴びながらひどい乗り心地にただ耐えていると、私の意識は否応なしに3週間前へと遡るのでした。
――鉱山都市ダカウロンでの敗北後。捕らえれた私の扱いは、羊たちも沈黙するのではないかという厳重さでした。後ろ手で手枷をされたまま檻に閉じ込められ、用すらそこで足せと言われる徹底っぷり。
ようやく檻から出されたと思ったら、今度は馬車で3週間の大移動です。ほかの奴隷さんたちはたまには水浴びをさせて貰えていましたが、私は1回もありません。
そんな冷遇をうける理由? 鎧に歯形を刻む反骨精神と、強引に『お誘い』してきた兵士さんへの股間キックが高く評価されたに決まっていますわ!
……などと強がってみましたが、もう少しは従順な方がいいのかもしれません。食事のときですら手錠をはずして貰えないので、皿に顔を寄せての犬食いなのです。
あまりに屈辱的ですが、腐っていては艮御崎の名がすたりますわ。ボロを着ていても心は
そんなとき、ふいに馬車が止まりました。なぜか私だけ小型の馬車に移るように命令されます。
蹴りをくれてやった兵士さんともこれでお別れです。「やーい玉なし!」と舌を出して、私は新たな馬車にさっそうと乗り込みました。
おおーっ。小型ながらしっかりとした幌があるし、何より馬車の中には私と、新顔の兵士さんがひとりだけ。
むくつけき兵士さんに質問したところで返ってくるのは裏拳くらいですが、それでもいちおうは尋ねてみます。
「私はこれからどこに連れていかれますの?」
薄い小麦色の肌にさっぱりとした短髪。典型的なアエテリス人の兵士さんは、意外にも穏やかな口調で答えてくれました。
「帝都プロスペルの『アリーナ区』だ。あと3時間もあれば着くだろう。それまでしっかり休んでおけ」
そう言って手枷と荷台とをつなぐ鎖を緩める兵士さん。私があんまりにも哀れだったからでしょうか。
ですがありがたいことです。私は広々とした荷台の上で、ごろりと転がるのでした。
◆
馬車から降りるとそこは鉄格子の門でした。鉱山都市ダカウロンの城壁と比べると半分ほどの高さしかありませんが、きらびやかなまでに装飾的です。
門の左右には剣と盾を構えた戦士の像が向かいあって配置されています。そしてその2人の対決を見届けるように門の真上には獅子の像が鎮座するのですが、不思議なことにその獅子は、門の内側を向いているのでした。
――まるで、その門の向こう側にいる者たちを見張っているかのように。
「前に進め」
兵士さんにそっと背中を押されて閉じた鉄格子の門まで進むと、なかなかに容姿の整ったおじさまが私を待っています。歳のころは40の半ばくらいでしょうか。
私の姿を見ると、彼は意外にも柔らかく相好を崩しました。
「セプティミウス・アルビウス・クァルキウスです。異邦人のあなたは知らないとは思いますが、この国では真ん中の名前で呼ぶのが通例となっています。私のことはアルビウスと呼んでください」
その長ったらしい名前を聞いて、私はドルポルさんの『苗字があるのは貴族か王族か』という言葉を思い出します。ということは彼は貴族なのでしょうけれど、捕虜を相手になんて丁寧な物腰なのでしょう。しかも知的で冷静、驕り高ぶったところがありません。
そのただ者ではない振る舞いを裏付けるように、彼は市民たちとは一線を画する姿でした。
ものものしい深紅のチュニックに、肩に掛けた濃紺のマント。短く整えらえれた髪は兵士のようですが、髭はきれいに剃られていて、もみあげや眉にいたるまで隙がありません。その雰囲気をたとえるなら高級将校でしょうか。
「お会いできて光栄ですわ、アルビウスさま。私は艮御崎温姫と申します。アツキとお呼びください」
「ではアツキと呼びましょう。それにしても……ふむ、なかなかな恰好ですね……」
私の顔の痣や汚れた服を見たアルビウスさまは、視線を兵士さんへとずらします。
「アツキは驚くほどの高待遇だったようですが……」
「隙あらば逃亡を図るため、やむ得ずの処置と聞いております」
「なるほど……。なかなかのじゃじゃ馬ということですね」
アルビウスさまは確かめるように私の周りをくるりとすると、きれいに剃った顎を指先で撫でました。
「アツキ、あなたは23人もの兵を屠ったと聞いています。いくらオーガとの交じりとはいえ、その細腕でそれができるとはとても思えません。――いったいどうやったのですか?」
アエテリス人には珍しい緑の瞳が興味深そうな光をたたえています。ですが、そのご期待に添うような答えはありません。お稽古で培った剣術をいまの膂力で解き放てば、無双だったというだけで。
私は悩んだ末に、家訓から言葉を持ち出しました。
「――心にひとつ信念あれば」
どう解釈されたのでしょうか。アルビウスさまが相好を崩します。丁寧さの裏に見え隠れしていた冷徹さがわずかにやわらいで、世話焼きの兄のようなほほ笑みが浮かんでいます。
「気にいりましたよ、アツキ。――私はこの門の向こうの『アリーナ区』で
ケントウシという言葉が変換されるまで時間がかかってしまいました。遣唐使といえば空海……ってそれは違いますわ。
「野蛮人たちの娯楽のために、無理やり殺し合いをさせられる哀れな奴隷さんたちのことですわね。その指導官さまが私に何用ですの?」
「異邦人のアツキにはそう見えるのかもしれませんね」
アルビウスさまの目つきがぐっと厳しくなります。威厳と力強さ、そして意志の強さを感じさせる眼差しが私を咎めるように突き刺します。
「あなたが思っている以上に、剣闘士というものは需要なのですよ。市民たちの娯楽としてはもちろん、国全体の統合のためにも」
ひとつ咳払いして、アルビウスさまは私に言葉を突きつけました。
「アツキ。あなたは本来、すぐに斬首となるはずでした」
――そうでしたの!? と言いかけて、それはそうですわと自分でつっこみます。ちょっと調子にのりすぎましたもの。アエテリスの人々からしたら、生かしておくほうが不自然というものです。
「……では、なぜ?」
「ダカウロンを治めている
あの紫のマントの魔法使いさんですわね。ふん、あの人さえいなければ……と恨みごとの一つも浮かびますが、それはまたの機会にしましょう。
「――私に剣闘士になれとおっしゃるのかしら?」
アルビウスさまは力強くうなずきます。
「その通りですよアツキ。……23人もの兵を難なく倒したあなたです。剣闘士となれば、この国の繁栄に大きく貢献することでしょう」
23人も殺した怨敵でも、有能なら有効活用したいというのはなかなかに狂気じみていますわね。まったくやはりこの国は野蛮ですわ。
そんな私の胸の内など知る由もなく、アルビウスさまは淡々と続けます。
「しかし、これは強制するものではありません。ダカウロンでのことは聞いています。兵たちからあくどいやり方で賄賂を要求されたそうですね。こちら側にも非があるのは事実」
まさか無罪放免かと表情を明るくする私ですが、そんなうまい話があるはずもなく。アルビウスさまはその整おった顔とはアンバランスな無骨な指を2本立てました。
「そこで、私はあなたには二つの道を用意しました。ひとつ目は、私のもとで剣闘士になる道。そしてもう一つは、奴隷商の『商品』となる道です」
――奴隷となった者たちがどんな扱いを受けるのかは、馬車の中で嫌というほど耳にしました。
この帝政アエテリスにおいて、奴隷というものは主人の『財産』扱いだそうです。理由なく殺すことは禁止されているようですが、『物』に拒否権はありません。どう扱われても仕方ないということ……。
運が良ければ名家のお手伝いさんとして恵まれた暮らしができることもあるそうですが、ハズレを引けば娼館行きです。
娼館? 考えただけで恐ろしい……。
……艮御崎家の末裔として、そんなことは許されませんわ。けれど、剣闘士として殺し殺されの世界に足を踏み入れるのもいかがなものか。
「……どうして笑っているのですか?」
そう言われて初めて、私は自分の口元がゆがんでいることを自覚しました。それを隠すように、私はおどけて言葉を紡ぎます。
「だってアルビウスさま。奴隷に堕ちることなんて私にはできませんもの。たとえ見世物であっても、剣闘士として剣に生きるほうがまだ矜持が保てますわ」
――《理由》を見つけて喜んでいるのでしょう? そう誰かがつぶやきましたが、私は耳をふさいで自分を納得させます。これは仕方のないことですのよ。ベストではないけれど、ベターな選択をしただけ。
アルビウスさまは真意を確かめるように私を見ていましたが、やがて「そうですか」と相槌を打つと、門番さんに声をかけました。
鉄格子の門がゆっくりと昇って、その向こうに広がるアリーナ区へと私を誘います。入っていいものかしらとためらっていると、先に門をくぐったアルビウスさまが私へと振り返りました。
「ようこそ、アリーナ区へ。――帝都プロスペルが誇る、剣闘士の町です」
そう言われたものの、城壁で隔離されていること以外は他の区画と変わりません。いえ、その賑わいはそれ以上です。
所せましと建ち並ぶ
剣闘士らしき数人が、わいわいと談笑しながら私の前を通り過ぎていきました。その表情と足取りは堂々としたもの。まるでこのアリーナ区の主であるかのようです。
目を白黒させていると、アルビウスさまは私の手枷を外しながら言いました。
「アツキ。アリーナ区は、その義務を果たす限り誰にも等しく自由を与えます。――自由となった今の気持ちを忘れないように」
約3週間ぶりに私は自分の手首を見ました。手枷の痕が濃く刻まれていましたが、それもやがて消えることでしょう。
私は固まりかけていた肩をぎこちなく回して、両手を天高く上げました。冷たく冷えていた手にひらに太陽の熱が宿ります。
ああ! お母さま。私はまだ生きていますのよ!
――そう喜ぶ私の首元に、アルビウスさまが何かをかちりと留めました。柔らかな、樹脂のような革のようなベルトです。金具があるようですが、簡単にははずれそうにありません。
「こ、これは?」
「『制約の首輪』です。このアリーナ区から出ようとしたり首輪をはずそうとすると、首が締まって死に至り――」
アルビウスさまは酷薄に笑うと、門の上の獅子を見上げました。つられてその視線を追うと――獅子の獰猛な牙に、何かがぶら下がっているようです。
てるてる坊主のように吊られた何か。その正体を理解すると、私は思わず声を漏らしました
「あ、あっ……!?」
やはりただ者ではありません。アルビウスさまはまるで空に浮かんだ雲を見るかのように目を細めながら言いました。
「――あのように無様に晒されますので、あなたもお気をつけて」
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