1-3 鉱山都市ダカウロンの門にて②

 町を奪われたのみならず、死してなお辱めを受けるダルヴァリアの戦士たち。その光景に打ちのめされたのは同郷のふたりだけではありません。


 獣のような唸り声に幌の中をの覗き込むと、傭兵さんたちは武器を握りしめてわなわなと震えています。


 ――まるで飢えた狼ですわね。


 この国までもを蹂躙した宿敵に、いつ斬りかかってもおかしくありません。早くこの場から立ち去るべきです。私が袖を引くと、ドルポルさんは我に返って耳打ちしました。


「……すこし驚いたが、大丈夫だ。やつらの目的はわかっている」


 ドルポルさんは淡々と兵士さんに言います。


「俺たちはただの商人だ。商売ができればそれでいい。――さ、これが通行許可証だ。通してくれ」


 兵士さんはうすら笑いを浮かべて通行証を投げ返します。


「これはダルヴァリアの許可証だ。この町に入りたければアエテリスのものを持ってこい」


 ドルポルさんは立派でした。無礼にも動じず切り返します。


「君たちも慣れない異国の地で大変だろう。これは心付けだ。遠慮なく受け取ってくれ」


 そこで私ははじめて、兵士さんたちが袖の下を無心していたのだと気づきました。


 ――いえ、もっと悪質ですわね。ダルヴァリアの兵を装って人々を招き入れ、難癖をつけて強請るのですから。とんだ下衆どもですわ。


 しゃくですが、お金で丸く収まるならそれに越したことはありません。とにかく、これで一段落。そう思ったのですが。


「なんだこれは? 俺たちは銀より金の方が好きなんだ」


 銀貨を突き返されると、さすがのドルポルさんも苦虫をかみつぶしたような顔になります。


 私もそろそろ我慢の限界です。けれどことを荒立ててもドルポルさんが困るだけ。どうにか表情を柔らかくしたのですが、それがいけませんでした。


「どこの国の女だ? こいつは驚いた、とんだ上玉じゃないか。それに……」


 ねっとりとした視線が胸元を這います。虫唾が走りましたが、ここは我慢するしかありません。


 曖昧な笑みを浮かべる私を容易い相手と思ったのでしょう。馬車から引きずり降ろそうと私の腕をつかみます。


「こっちにこい。なに、取って食いやしない」


 他の兵士さんたちから下卑た笑いが漏れたときでした。


「――この外道どもが!!」


 獣じみた熱い吐息をつむじに感じたときには、兵士さんの頭には斧がめり込んでいます。


「うおらっ!!」


 傭兵さんが物言わぬ屍を蹴たぐって斧を抜くと、噴水のように血が噴き出します。生臭い臭いが鼻を突くのが早いか、ほかの傭兵さんも得物を手におどりかかっています。


 鋼鉄の剣が兜を砕き、斧が背を裂きます。響き渡る悲鳴と怒号。門内はまたたくまに血の海と化しました。


「――あんの脳筋ども、早まりやがってっ!!」


 アラヴィナさんが馬車を後退させようとしますが、もこもこさんはびくびくと顔を反らすばかりです。


「チッ! おらっ、根性見せな!」


 大きなお尻を蹴とばしたとき、騒ぎを聞きつけた兵士さんたちがわらわらとやってきました。1対1なら圧倒的な傭兵さんたちも、ちくりちくりとやられて次第に動きを鈍らせます。


「ちくしょう! 奴隷にされてたまるか! 俺の娘だって、お嬢ちゃんだって、誰にも触れさせやしねえぞ!!」


 仁王のごとき表情で兵士さんを叩きのめした直後、そこに雨あられと降り注ぐ、アエテリスの投げ槍。


「ぐふっ!?」


 背中からどてっぱらを貫かれて膝をつきつつも、傭兵さんは道連れとばかりに兵士に斧を投げつけます。


「――この斧が折れるより早く、命尽きることを名誉としようぞ!」


 その雄々しい叫びが最期の言葉となりました。降りかかる槍が彼をハリネズミのようにしていきます。


 熱いものが眼がしらに滲みましたが、戦況は憐憫を許しません。アエテリスへと傾きはじめた天秤を無理やり抑えつけるかのように、残された傭兵さんが雄たけびを上げながら剣を振ります。


「きさまらぁあ!!」

 

 足元に生首が転がると、はっと我に返ったアラヴィナさんが手綱を引きます。


「くっ……!! 動け! 動けったら!」


 アラヴィナさんに蹴り回されても、もこもこさんは断固拒否を貫きます。


 もはやこれまで。この窮地を脱するには私が打って出るしかありません。


「――私が合図したら、走って逃げてくださいまし!」


 ふたりの制止を振り切って、傭兵さんの斧を拾い上げます。


  ――傭兵さん。あなたの仇は必ずとりましてよ。力を貸してくださいまし。


 とんでもなく重い代物でしたが、いまの私なら何とか扱えます。どうしたことか、この世界にきたときからすこぶる調子がいいのです。まるで本来の自分に戻ったような……。


 けれど、重いことに違いはなく。ひいこら言いながら刃を水平に構えます。『肩越し構え』を名乗るには未熟な刃先の垂れですが――そんなものは誤差ですのよ、誤差!


 血濡れの刃がぎらりと光り、兵士さんたちが一瞬怯みます。


 ――その隙を逃しません! 刃が一閃、兵士たちが一瞬で崩れ落ちました。


 得物の重さに振り回される残心でしたが、一応は形になっています。


 これぞ艮御崎流剣術、弐の型『帚木ははきぎ』!! 1対多を想定した、一撃必殺の回転切りですのよ!


 退路を切り開くべく、私の猛攻は止まりません。裂き、刎ね上げて、断つ。一撃一殺、いや二殺!


 仲間の無念を晴らそうと、ひとりの兵士さんが剣先を震わせながら前に出ます。その覚悟に胸を打たれますが、それは勇気ではなく無謀。


 兜ごと頭をカチ割られた兵士さんは、誰かの名前をつぶやきながら崩れ落ちていきます。


「マ、マルチナ……!」


 私は思わず目を見開きました。そうです、彼にも愛する人がいるのです。けれど、もう彼はその人とは会えません。ふふっ、なんて残酷なのでしょう!


 はしたなくも、私のこころは鋭く痛みながらも悦に入るばかり。ですがお母さま、どうかご安心ください。たとえ遠い地でも、温姫はお母さまの言いつけを守っております。


――『なく、人を傷つけてはいけません』わ!


「ちえぃっ!!」


 頭に刺さった斧を抜く勢いのまま、後ろの兵士を撲殺したときでした。兵士さんたちはすっかり戦意を失って、遠巻きに私を眺めるだけになっています。


「――いまです! いってくださいまし!」


 私が声を張り上げると、ドルポルさんとアラヴィナさんが馬車から飛び出しました。二人と視線が交錯します。彼らの茶色の瞳ににじむのは申し訳なさと、そして恐れ。そのすべてを私は受け止めて、門から逃げ出す二人に手を振ります。


「ごきげんよう! ――どうか、お元気で!」


 よかった。思ったより早く、一宿一泊の恩を返せましたわ。


 さて、あとは……。残念ですが2人の傭兵さんはすでに斃れている様子。ドルポルさんたちが逃げる時間をひとりで稼がなければなりません。


 困りましたわ。がまた一つ積み上がるだなんて。はぁっ、楽しくなってきました。私が黄金の瞳でにらみを効かせますと、雑兵どもが情けない声でつぶやきます。


「お、おい……。あの女、笑ってやがる……」


 兵士さんたちは後ずさりながら、怯えきった表情で私を指さします。


「金色の目だ……。まさかオーガか!?」


 ですからその『おーが』とやらは何ですの。気になりましたが、それよりも!


「――艮御崎うしとらおんざき家に伝わる誇り高き黄金こがねを貶すなど愚痴無知の極み! 馬鹿にされては、またができてしまいますわ!」


 ずいっと迫って、ことさら派手に斧を振りかざします。


「ううっ! 悪鬼だ、悪鬼がくる……!」


 もはや兵士さんたちは恐慌状態。我先にと門から逃げ出そうとする始末。


「悪鬼? 失礼ですわね。――私の名前は温姫アツキですのよっ!」


 一網打尽にしようと突っ込んだときでした。


「――Τοῦτο μάχαιρα ἐστίν;これは剣か?Οὐχί.否。ἡ ἰδέα αὐτοῦ πέτραそのイデアはμεγάλη ἐστίν.巨岩である


 念仏のようなものが聞こえたと思ったら、視界の端から短剣が飛んできます。こんなちゃちなもので私は止まりはしません。


 軽く打ち払おうとしたのですが――


 短剣が閃き、鋼鉄の斧が音もなく砕け散りました。冷たい光を帯びたその刃には、何か異様な力が宿って……!


「――んぎっ……!!」


 上半身をねじって何とか避けます。――なのに私は吹っ飛ばされていました。短剣がまとっていた『重い何か』は勢いもそのままに、私を叩きつけます。


「っぐ……!?」


 空気が口からあふれると、まるで糸が切れたかのように体から力が抜けてしまいました。


 あ、あの短剣はいったい……? 


 地面に転がり、ぼんやりとした頭でそう考えたときでした。


「――静かに」


 無感情なほどに平坦なその声に、兵士さんたちが素早く道を開けます。そこを堂々と進むのは、紫のマントをたなびかせた男。華奢な体躯でしたが、その存在感はあまりに圧倒的です。空気さえ凍りつくようでした。


「まったく騒々しい。……そこの兵。被害の状況は?」


 丸眼鏡の奥の瞳が冷たく輝くと、兵士は震えるように背筋を伸ばして答えます。


「は、はっ、地方監督官マギステルさま! ただいま確認してまいります」


「急げ。私を待たせないように」


 戦々恐々とした顔で兵士が走りさると、地方監督官と呼ばれた男は兵士たちの亡骸を見ながらため息をつきます。


「さすがはオーガとの混血。帝国の最新の装備がこうもたやすく……。始末書で済めばいいのですが」


 そうつぶやいたとき、兵士さんが息を切らして戻ってきます。


「死者23名です! 負傷者はいません……!」


 誰かが息を呑む音。


「一撃必殺というわけですか。技量も相当なもののようですね……。――手枷を持ってきなさい。鉄、いえ、ミスリルのものを」


「ミ、ミスリルですか? ドラゴン用のものしかありませんが……」


「私はのです。意見しろとは言っていない」


「は、はっ!!」


 悲鳴のような兵士さんの返事は、すでに聞こえていませんでした。深いところに沈みながら、私は最後のわるあがきとばかりに心のなかでつぶやきます。


 ――ドルポルさんのいけず。この世界には、ちゃんと魔法使いがいるではありませんか。

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