1-3 鉱山都市ダカウロンの門にて②

 すでにダルヴァリアの重要な町がアエテリスの手に落ちているのです。


 その事実に打ちのめされたのはダルヴァリア人のふたりだけではありません。北の国の男たちもまた同じでした。


 後ろから獣のような唸り声が小さく聞こえて、私は幌の中をのぞきます。


 ――まるで飢えた狼ですわね。


 傭兵さんたちは武器を強く握りしめ、奥歯を強くかみしめていました。祖国を蹂躙したアエテリスの兵士たちに、いつ斬りかかってもおかしくない雰囲気です。


 早くこの場から立ち去らないと良くないことになりそうな気配がありました。私が袖を引くと、ドルポルさんは小さくうなずいて私に耳打ちします。


「……してやられたな。だが大丈夫だ。やつらの目的はわかっている」


 ドルポルさんは淡々と兵士さんに言います。


「俺たちはただの商人だ。商売ができればそれでいい。――さ、これが通行許可証だ。通してくれ」


 金属のプレートを見ると、兵士さんはうすら笑いを浮かべてかぶりを振りました。


「これはダルヴァリアの許可証だ。この町に入りたければアエテリスのものを持ってこい」


 ドルポルさんは投げ返された許可証にも怒ることなくたずねます。


「では入局許可証を発効をしてくれ。もちろん関税や手数料は滞りなく払うつもりだ」


「もちろんかまわんが、それを認可する地方監督官マギステルさまはご多忙でな。許可がおりるまで2週間はかかるだろう」


 兵士さんたちをぐるっと見渡して、「負けたよ」とつぶやくと、ドルポルさんは銀貨を兵士たちに差し出します。


「君たちも慣れない異国の地で大変だろう。これは心付けだ。遠慮なく受け取ってくれ」


 そこで私ははじめて、アエテリスの兵士さんたちが袖の下を無心しているのだと気づいたのです。


 ――いえ、もっと悪質ですわね。この街が占領下にあることを知らない人々をタルヴァリアの兵を装って誘い、こうして金を要求するのですから。とんだ下衆どもですわ。


ですが、お金で丸く収まるならそれに越したことはありません。これで一段落。そう思ったのですが。


「おいおい。なんだこれは? まさか俺たちに便宜をはかれと!?」


 ことさらに兵士さんが大きな声を出すと、さすがのドルポルさんも慌てて辺りを見渡します。商人は信頼が第一ですから、悪評を流されてはたまりません。


 そんなドルポルさんに、兵士さんのひとりがそっとささやきます。


「俺たちアエテリス人は銀貨より金貨を好む。わかるか?」


 ――さすがにそれは強欲というものですわ! 文句のひとつでも言ってやりたくなりましたが、それをして困るのはドルポルさんたちです。ぐっと我慢。そう思ったのですが、それができない人たちがこの馬車にはいるのでした。


「―――ふんッ!!」


 獣じみた熱い吐息が私のつむじにかかったときには、兵士さんの頭には斧が深々とめり込んでいました。


「うおらっ!!」


 傭兵さんが物言わぬ屍を蹴たぐって斧を抜くと、音がするほどに血が飛び散りました。生臭い鉄の臭いが鼻を突くのが早いか、ほかの2人の傭兵さんも獲物を抜いています。


 鋼鉄のツーハンドソードが兜を割り、首を飛ばし、斧が背筋をばっくりと裂きます。人々の悲鳴、兵士さんたちの怒号、傭兵さんの唸り声。門の中は一瞬にして阿鼻叫喚です。


「――あんの脳筋ども、早まりやがってっ!!」


 アラヴィナさんが馬車を後退させようとしますが、もこもこさんはびくびくと顔を反らすばかりです。


「チッ! おらっ、根性見せな!」


 大きなお尻を蹴とばしたとき、騒ぎを聞きつけた兵士さんたちがわらわらと出てきました。1対1なら圧倒的だった傭兵さんたちも、短剣でちくりちくりとやられて動きが鈍っていきます。


 そこに雨あられと降り注ぐ、アエテリスの投げ槍。


「ぐふっ!?」


 背中からどてっぱらを貫かれて、傭兵さんが膝をつきます。


「――この斧が折れるより早く、倒れることを名誉と誇ろうぞ!!」


 その叫びが傭兵さんの最期の言葉となりました。降りかかる槍が彼をハリネズミのようにしていきます。


 ひとり欠けたとたん、戦況は大きくアエテリスへと傾きました。残り2人の傭兵さんたちも、かろうじて立っているようなありさま。果たしていつまでもつか……。


「くっ……!! 動け! 動けったら!」


 アラヴィナさんに蹴り回されてもいやいやするもこもこさん。残念ですが言うことを聞く気はないようです。


 もはやこれまで。ドルポルさんたちが窮地を脱するには私が打って出るしかありません。


「――私が合図したら、走って逃げてくださいまし!」


 そう言い残して馬車を飛び出した私の背中に、アラヴィナさんとドルポルさんが何かを言います。


 ですが私は振り返らず、滑り込むようにして傭兵さんの斧を拾いました。とんでもない重さですが、いまの私ならあるいは。


 どうしたとか、この世界にきたときから私には金剛力ばか力が宿っているのです。


 それでも片手で持つにはちと重い。ひいこら言いながら私は刃を水平に構えます。『肩越し構え』を名乗るには未熟な刃先の垂れですが、そんなものは誤差ですのよ、誤差!


 ぎらりと剣呑に光る血濡れの刃に、兵士たちが息を呑みます。――遅すぎますわ! 


 3人まとめて二つにしてやりました。獲物に振り回されて尻もちをつくというお粗末な残心でしたが、一応は形になっています。


 ――これぞ艮御崎流剣術、弐の型『帚木ははきぎ』!! 1対多を想定した、一撃必殺の回転切りですのよ!


 退路を切り開くべく、私の猛攻は止まりません。メキリと裂き。スパリと刎ね上げ。バキリと断ち。一撃一殺、いや二殺!


 何人の兵士さんたちが犠牲になったでしょうか。彼らにも父母や愛するものがいるはずです。けれど私の心はむしろ高揚するばかりでした。


 だってあのとき――私が生意気なお友達の両目をコンパスでえぐったとき、お母さまは涙ながらに言いましたもの。『いいですか温姫。なく人を傷つけてはいけないのです』と。


 ――お母さま、どうかご安心ください。たとえ遠い地でも温姫は言いつけを守っております。なく、人を殺めたりしておりませんわ!


「ちえぃっ!!」


 頭に刺さった斧を抜く勢いで、反動のままに後ろの兵士を撲殺したときでした。気づけば兵士さんたちはすっかり戦意を失って、遠巻きに私を眺めるだけになっています。


「――いまです! いってくださいまし!」


 私が声を張り上げると、ドルポルさんとアラヴィナさんが馬車の後ろから飛び出しました。二人と視線が交差します。瞳に滲んでいるのは申し訳なさと、恐れと驚愕。そのすべて私は受け止めて、門から逃げ出す二人が手を振ります。


「ごきげんよう! ――どうか、お元気で!」


 ふふ。思ったより早く、一宿一泊の恩を返せましたわ。


 ――さて続きです。残念ですが二人の傭兵さんはすでに斃れている様子。ドルポルさんたちが逃げる時間をひとりで稼がなければなりません。


 困りましたわ。殺してもいいがまた一つ。はぁっ、楽しくなってきました。私が黄金の瞳でにらみを効かせますと、雑兵どもが情けない声でつぶやきます。


「お、おい……。あの女、笑ってるぞ……」


「あの目――オーガだ。悪鬼だ! 悪鬼が来るぞ!!」


 ですからその『おーが』とやらは何ですのよ! 気になりましたが、それよりも。……ああ、彼らがガチガチとならず奥歯に震える足、さまよう視線。尊く不可侵なはずのものを身勝手にもぎ取ることの、なんと甘美なことか!


 私はにたりと笑いながら、前へと出ます。 


「その悪鬼というのはおやめくださいまし。私の名前は温姫アツキですのよっ!」


 ――この黄金の瞳こそが艮御崎うしとらおんざき家の血筋に伝わる誇り高き黄金こがね。それを馬鹿にされては、またができてしまいますわ!


「――んにゃらっ!!」


 なんとも可愛い掛け声とともに兵士さんたちに突っ込んだときでした。


「――Τοῦτό ἐστι ξίφος;これは剣か?|Οὐχί.Ἡ ἰδέα τοῦ ξί否。この剣のφους ἐστιイデアはτὸ ἱερὸν ξίφος.聖剣である


 念仏のようなものが聞こえたと思ったら、視界の端から短剣が飛んできます。彼らの投げ槍は脅威ですが、こんなちゃちなもので私は止まりはしません。


 軽く打ち払おうとしたのですが――


 なんと、鋼鉄の斧にすこんと刺さります。いえ、それだけでなく、見るまに食い込んで――ついに斧を完全に砕いてしまいました。


 重たい衝撃に打ち負けて、私はピンボールのように飛ばされます。城壁にしたたかに打ち付けられ、全身から力が抜けてしまいます。


 肺の空気がぜんぶ出てしまって、息もままなりません。


 あの短剣はいったい……? そう考える間にも、視界は暗く狭まっていきます。すべてが黒く塗りつぶされる直前、紫のマントを羽織った男が私の前に立ちました。


「鉄……いやミスリルですね。ミスリルの手枷を持ってきなさい」


「はっ! 地方監督官マギステルさま!」


 そう呼ばれた男は私の顔をじっと見ながら丸眼鏡をついっと上げました。そして紫のマントをばさりとひるがえし、静かに去っていきます。


 意識を失う直前、私は心の中でつぶやきまた。


 ドルポルさんのいけず。この世界にはちゃんといるではありませんか。――魔法使いが。

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