ごきげんよう、剣闘士。~悪鬼お嬢さま、異世界でだいたい殺す~

十文子

1-1 異世界の森にて

 こころに信念ひとつあらば、悪鬼羅刹神仏に至るまですべて二つにできると心得よ。


 ――艮御崎うしとらおんざき家の家訓より





 空が白み始めても景色は昨日と変わりません。冬枯れした木々がわびしく立ち並ぶ姿は、私の絶望をより深くします。


 はぁ。本当にここはどこですの……?


 疑問を反芻しても答えはなく。私にわかっていることはすこしだけ。迷い込んで3日が経とうとしていること。冬らしいということ。そしてこれが大問題なのですが――ここは私の知る世界ではないようなのです。


 あれがオークでそれはブナ。どれも私の知っている木々です。けれど、この森に棲む動物たちは明らかに未知のものでした。


 ――その証拠に、たとえばこれ。私の右手に握られている銀色の羽。カミソリのように薄い金属のそれは、怪しい鳴き声をあげながら飛んでいった怪鳥がぽろりと落としたものです。


 それだけではありません。昨日の夜は、ネコ科のような動物が群れをなして襲ってきました。この羽でもれなくにしてやりましたけれど、そのしつこさったら! 思い出しただけでうんざりするほどでした。


 それにしても、お腹がすきましたわ……。


 たまに小川があるので干からびることはありませんが、とにかく食べるものがありません。


 お母さまの作った暖かい料理が食べたい。ああ、もう二度と温姫は悪いことなんてしませんから。


 そう誰かに祈ったときでした。


 急に開けた場所に出ました。足の裏には固い石の感触。間違いありません、道です! しかも石畳の……! 


 私は思わずその場にふにゃふにゃとしゃがみ込んでしまいました。この先にはかならず町があるはずですわ……!


 希望を胸に道の先を見据えていると、小高い丘の先に何かが見えました。こちらに向かって来ているようですが……。


 ――牛? それにしては大きすぎるような。


 もしバッファローが雪国に生息していたら、そんな姿かしもしれません。毛足が長くて立派な巻き角がついた、とんでもなく大きなもこもこの動物。それがこれまた大きな4輪仕立ての荷車を引いているのです。



 私は思わず立ち上がって手を振りました。


 その瞬間――私の足元に何かが突き刺さります。石畳を貫いてびぃいんと震える矢に気づいたときには、3人の男たちが馬車から飛び出しています。


 ――屈強という言葉がこれほど似合う男たちがいるでしょうか。その身を分厚い毛皮で包みんで、両手持ちの剣や斧を手にじりじりと迫ってくるさまはまさに蛮族。


 ぴりっとした緊張が走ったとき、斧を持った男と目が合いました。澄んだ青い瞳にわずかな動揺を走らせながら、男がつぶやきます。


「金色の目……? まさかオーガか」


『おーが』? 聞きなれない単語でしたが、ちゃんと聞き取れます。私は慌てて叫びました。


「ま、待ってくださいまし! 私に敵意はありませんわ!」


 まさか私がそんな流暢に喋れるとは思っていなかったのでしょう。男たちが顔を見合わせて首をかしげたとき、身なりの良い男が馬車から降りてきました。


 蛮族たちとは明らかに雰囲気が違いました。30歳手前くらいでしょうか。毛皮のコートの下には上等そうな丈の長い服を着ていて、しっかりとしたブーツを履いています。


 蛮族たちを制しながら、その男は私に人懐っこい笑みを向けました。


「心配しなくていい! 俺はドルポル。行商中の商人だ!」


 ドルポルさんは男たちを見回してから続けます。


「こいつらは俺が雇った傭兵だ。北の国から来たやつらだから見た目はこんなで素行もアレだが、まぁ悪いやつらじゃない」


 あまりな言い草に傭兵さんたちが非難めいた視線を向けます。けれどドルポルさんが「だろ?」と肩をすくめると、傭兵さんたちは仕方なさそうに武器を降ろします。


 緊張の糸がふっと切れて、空気が柔らかくなりました。固く握っていた羽から力を抜いて、ぺこりと可憐に会釈します。


「ありがとうございます。私は艮御崎うしとらおんざき温姫あつきと申します」


ドルポルさんは首をかしげて尋ねてきます。


「ウシトラオンザキアツキなんて呼びにくくてかなわないぞ。略称はないのかい?」


 そう来るとは思いませんでした。苦笑しながら答えます。


「艮御崎は苗字ですの。アツキとお呼びくださいまし」


「じゃあウシトラオンザキ家のアツキさんか。ふぅん……。高貴な生まれなんだな」


「まぁ! よくお分かりでしてよ! 私は世に名高い艮御崎家の長女ですの」


 やんごとない者は自然と気品を放ってしまうもの。言わずとも伝わってしまったのでしょう。


「そりゃわかるだろう。苗字があるのは貴族か王家だって相場が決まってる」


 ……さ、さようですか。がっくりきていると、ドルポルさんは首をかしげます。


「そのお嬢さまがどうしてこんなところに。見た感じではまだ15、16歳というところだろう? 」


 想定していた質問ではあります。しかしどうしたものか。


 別世界から来たと正直に言ったところで、頭のおかしい女と思われるのが関の山。ここはお茶を濁すに限ります。


「それが一体なにがあったのか……。どうやら頭を打ったみたいで。気がつけば森の中にいましたわ」


 私を値踏みしていたドルポルさんは、鉄の羽に目を留めます。


「鋼鳥ヴェントラニスの羽か……! やつに馬車ごとさらわれた商人の話を聞いたことがある。きみの乗っていた馬車もやつに襲われたのかもしれないな……」


 な、なにやら都合よく解釈してくたようです。ドルポルさんは「うむ!」とうなずいたかと思うと、馬車を指さします。


「とりあえず馬車に乗ってくれ! 最寄りの町まで送ろう」


 断る理由などありません。「よいしょ、よいしょ」と可愛らしく馬車によじ登り、大きな荷車の上に転がり込みました。


「よかったな、お嬢ちゃん。じゃあ行くよ!」


 弓使いさんが手綱を引きます。ちょっとした象ほどもあるもこもこがのそりと動いたと思ったら、次第に駆け足になって、景色がびゅんびゅん流れていきます。


「すごい……!」


 強風オールバック上等で御者台から外を眺めていると、弓使いさんが固そうな白い歯を見せました。


「私はアラヴィナ。ぼっちゃんドルポルの店の従業員だよ。そこの馬鹿たちとは違って、私もコルニダヴァの生まれさ」


 ドルポルさんより少し年上でしょうか。たしかに彼女は白い肌に茶色の瞳をしています。


「さきほどの弓はたいへんお見事でしたわ。相当な手だれですのね」


 私が心から賛辞を贈ると、アラヴィナさんは首の後ろを掻きながら目を細めます。


「ははっ。実をいうと足を射抜くつもりだったけど、外れたね。……私も腕が落ちたかな?」


 矢より鋭い視線で射抜いてくるアラヴィナさん。私があいまいに笑うと、彼女は傭兵さんたちを横目で見ながらつぶやくように言いました。


「お嬢ちゃんがアエテリス人じゃなくてよかったよ。あいつらときたらただでさえ気が早いのに、やけにぴりぴりしてるからさ」


 異世界の固有名詞に戸惑っていると、私たちの間に大きな頭が割り込んできました。波打つ赤毛が目を引く傭兵さんは早口でまくしたてます。


「そりゃ無理もないってもんだ! こうしてるあいだのもアエテリスの奴らは、俺たちの兄弟に手枷と鎖をつけて、てめえらの国まで引きずって行ってるんだぞ!」


 アラヴィナさんは同情を示すように太い眉を下げながら言いました。


「『人の庭に全部足りるまで』か……。最近のアエテリスの勢いはすごいの一言だ」


「『足りるまで』だぁ!? 綺麗な言葉でごまかしやがって。やつらは『満足するまで奪う』だけだ! このダルヴァリアだっていつやつらが攻めてくるか……!」


 ぎょろっと動いた青い瞳が私をとらえます。


「嬢ちゃんもどこの生まれかしらねぇけどよ、アエテリスのクソ野郎どもには気を付けるんだぜ! さらわれたらあんなことやこんなことをされて、奴隷になっちまうぞ!?」


 あいまいにうなずきつつ、傭兵さんの丁寧に編み込まれた顎髭を観察しているときでした。大きく馬車がゆれて、蛮族さんは後ろに転がっていってしまいます。


「ちゃんと座っときな!」


 アラヴィナさんはけらけらと笑うと、ぱちりと私にウィンクしました。ははぁ、わざとだったのですね。私が口角を上げると、彼女はトーンを落とした声で言いました。


「あいつらはヴァルトハイム北の国からやってきた傭兵でね。出稼ぎに来たはいいけれど、そのあいだにアエテリス人に故郷を侵略されてしまったのさ」


 なにやらきな臭いお話です。この世界でも人々は奪い奪われを繰り返しているのでしょうか。――人の庭にすべて足りると信じて。……そんな哲学的なことを考えていると、かくっと頭が落ちそうになります。


 いけませんわ、わたしったら。人前で船をこぎこぎするなんて!


 そう気合を入れたのですが、どうしても上の瞼と下の瞼が仲良しになろうとします。うつらうつらとしていると、アラヴィナさんが肩をぽんと叩きました。


「後ろで寝ときな。町に着くまでまだまだ遠い」


「そ、そんな! 私だけすやすやと寝るなんて……!」


 艮御崎家のものとして、そんな礼儀知らずなことはできません。そう思ったのですが、


「これを使うといい。暖かいぞ」


 ドルポルさんに分厚くて重くてちょっと臭い毛布を掛けられると、もうダメでした。


「ありがとう……ございまひゅ……」


 私はナメクジのように這って荷台に移ると、ぐるぐる巻きになって瞼を閉じます。とたん、私の意識はまるでトーストの上のバターのように、じゅわっと溶けていくのでした……。

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