エピソード4 夢追い人

「俺の名前は佐々木。長いことこの街でタクシー運転手をしている。昼も夜も人を乗せ、行き先を聞いて走る。ただ、それだけの仕事だと思っていたけど――たまに、人生の不思議を感じる夜がある。」


深夜の繁華街。街灯の下に立つ若者が手を挙げた。背中にはギターケースを背負い、肩は少し落ちているように見える。俺は車を寄せ、窓を開けた。


「どちらまで?」

「駅までお願いします」


乗り込んできた若者は、どこか疲れた様子で息をついた。それでも目だけは不思議な輝きを保っている。車が走り出してしばらくすると、彼がぽつりと呟いた。

「いやあ、今日は全然ダメでした」


「何かやってたんですか?」

バックミラー越しに問いかけると、彼は一瞬こちらを見て、恥ずかしそうに笑った。

「路上ライブです。でも全然立ち止まってもらえなくて……こんな調子で大丈夫なのかなって思っちゃいます」


「ミュージシャンを目指してるのかい?」

俺の問いに、彼はうなずいた。

「はい。一応、オリジナル曲を作ってます。でも、最近はどこにも引っかからなくて……この街で続ける意味があるのか、よく分からなくなるんです」


彼はギターケースを軽く撫でながら、少し俯いた。


「それでも、続けたいんだろ?」

俺がそう言うと、彼は驚いたように目を丸くした。

「……なんで分かるんですか?」

「顔に書いてあるよ。辞める奴は、そんな目をしてない」


彼は黙り込み、窓の外を見つめた。街の灯りが車内に揺れて映る中、彼が口を開いた。

「僕、実はこの街に憧れて上京してきたんです。音楽が好きで、人が好きで、この街で自分の歌を届けたいと思って……。けど、上手くいかなくて。仲間も減って、気づいたら一人になってました」


俺はハンドルを握り直しながら尋ねた。

「それでも続けてるのは?」

「音楽が好きだから、ですかね。人の心に届く歌を歌いたい。それができるまでは辞めたくないんです」


その言葉に、俺は胸を衝かれた。こんなにも純粋に、何かを信じ続けている奴がいるんだな、と。


彼がふいに俺を見た。

「さっき“辞める奴はそんな目をしてない”って言いましたけど、運転手さんも、昔は何か夢を追ってたんですか?」


ギクッとした。バックミラーに映る自分の顔を見ながら、少し考える。

「俺の夢なんて、いつの間にか消えちまったよ。ただ、毎日飯を食って、生きていく。それだけだ」


「それでも続けてるんですね、仕事を」

彼は真剣な顔でそう言うと、ほんの少し微笑んだ。


「まあ、な。生活しなきゃいけないからな」

「僕も、もっと生活を大事にしないといけないのかな……」

「いや、お兄さんはそのままでいいんだよ。夢ってのは、続けていれば形になることもある。それに、やってる奴の姿を見てるだけで、周りの人間は励まされるもんだ」


駅に着くと、彼はギターケースを背負い直し、さっぱりした顔で降り際に言った。

「ありがとう、運転手さん。こんな夜にこんな話ができるなんて思いませんでした」


その後、彼は少しだけ振り返り、こう続けた。

「次はちゃんと届けられるような歌を作りますよ。もし聞く機会があったら、感想ください」


「おう、楽しみにしてるよ」


彼が去った後、俺の車内には何も残らないはずだった。けれど、彼が最後に口ずさんだメロディが、どこか耳に残っていた。

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