第6章 - 未完成のパズル
夜が静かに降り、世界は柔らかな闇に包まれていた。月明かりが建物の屋根をなぞるように照らし、無人の通りには長い影が落ちている。その光景は美しくも不穏な気配を漂わせていた。
キアランと私はそびえ立つアパートの前に立っていた。昼間は見慣れた建物だったはずなのに、夜の薄暗い光に照らされたその姿は、どこか異様に感じられる。ここは数時間前、三人の怪しい学生を取り押さえた場所だった。そして今、この任務を前にして、胸には誇りと熱い決意が交じり合っていた。
大きく息を吸い込む。高鳴る鼓動を落ち着けようと努めたが、心のざわめきは簡単には消えてくれなかった。自分の気持ちが何なのか、はっきりと分からない。ただ一つだけ確かなことがある。私は失敗できない、ということだ。これが私の初めての本格的な任務だった。1年間の訓練と努力の末、キアランと共にようやくこの場に立てたのだ。特8課の仲間と肩を並べ、実戦の任務に挑める。これはただの誇りの問題ではない。私がここにふさわしいと証明する機会なのだ。
古びたアパートを見上げると、胸の奥に疑念が広がる。どうすればいいのだろう?中で何を見つけるのか?本当にやり遂げられるのか?
不安に飲み込まれそうな自分を奮い立たせるため、頬を両手でパチンと叩いた。無意識に動いたその手の音が、静かな夜の中でやけに大きく響く。隣に立つキアランが眉をひそめ、驚き混じりの目で私を見つめた。
「リア、何してるの?」彼の声は、驚きと笑いを隠しきれていない。
「えっと…緊張しないように落ち着こうと思ってさ。こうすると、少しは集中できるんだよ。」私は何とか平静を装いながら肩をすくめてみせた。
キアランはしばらく考え込むように私を見つめ、それからゆっくりと頷いた。「なるほど、いい考えかもしれない。ちょっと試してみようかな。」
そう言うやいなや、彼は私以上の勢いで自分の頬を叩き始めた。その様子を見ていると、つい吹き出しそうになるのを堪えきれず、笑いが零れた。彼の無邪気な姿を見ていると、胸の中の緊張が少しだけ和らいだ気がする。
頬を叩く音が止むと、キアランは私に向かってにっこりと笑った。「よし、俺も準備万端だ!」
その笑顔に、私も自然と表情が柔らかくなる。建物の入口を前に、私たちはしばらく沈黙し、暗闇の奥に何が待っているのかを想像していた。でも、一緒なら大丈夫だという思いが、心のどこかにあった。
中に入る前に、頭にある疑問が浮かんだ。この任務中、レオン署長に頻繁に報告を入れるべきか、それとも何か重要なことがあった時だけでいいのだろうか。頻度が多すぎても逆効果だし、かといって怠れば失態になる可能性もある。
「ねぇ、キアラン。私たち、報告はどのくらいの頻度でやるべきかな?それとも、必要があればだけでいい?」私は慎重に声を落として尋ねた。
キアランも同じ疑問を抱えていたのか、眉をひそめながら考え込む。「うーん、確かに難しいな…。どっちも間違えたくないし。これ、俺たちの初めての本格的な捜査だからな。」
その時、突然通信機からレオン署長の声が響いた。「リア、キアラン。現場に到着したか?」
その声に一瞬体がこわばるが、すぐに返答した。「はい、署長。到着しました。」
「ひとつだけ伝えておく。何か重要な発見があった場合、または状況に変化があった時はすぐに報告しろ。リア、お前一人でする必要はない。場合によってはキアランが担当してもいい。」
レオン署長の言葉は、私たちの迷いをすべて吹き飛ばすような安心感を与えてくれた。彼は私たちの不安を見透かしたかのように、的確な指示をくれた。
「了解しました、署長!」私は力強く答えた。キアランも続けて「了解!」と短く返事をした。
通信が途絶え、私たちは再び入口の前で視線を交わす。お互いに微笑み合いながら、これからの任務に向けて心を決めた。
「よし、行こうか。」私は軽い緊張を含む声で言い、歩き出した。
建物の中は暗闇が支配していた。懐中電灯の光が埃と腐敗の匂いが漂う空間を切り裂くように進む。昼間の普通さとは一変して、今やこのアパートは何か秘密を抱えているかのような、不気味な雰囲気をまとっていた。
私たちは慎重に足を進めながら、廊下の静寂を踏み鳴らす足音が響くたび、未知の緊張感に包まれた。それでも、これがただの任務ではないことを私は感じていた。きっと、ここから始まるのだと。
すでに三階分を捜索したものの、見つかるのは空っぽの部屋と、埃と影に包まれた無限に続く廊下ばかりだった。手がかりどころか、何を探しているのかすら自信が持てない。そもそもここにそれが存在するのかどうかさえ確証はなかった。
キアランの視線と私の目が交わる。彼の顔にも私と同じ疲労の色が浮かんでいたが、その目だけは鋭さを失っていなかった。どんなに状況が厳しくても、彼は集中を切らすことのない人だ。その目に促されるように、私たちはしばらく別行動を取ることを決めた。
「リア、別々に調べたほうが効率的かもしれない。」キアランが低い声で提案する。その声には不思議な安心感が宿っていた。
私は軽く頷く。「わかった。私は五階を調べるから、キアランは四階をお願い。何か見つけたらすぐ知らせて。」
「了解!」彼はわざと明るく答え、いつものようにニカッと笑ってみせた。その無邪気な笑顔に、場の張り詰めた空気が少しだけ和らぐ。
そうして私たちはそれぞれ反対方向に進んだ。私は古びた階段を上がり五階へ向かい、キアランは四階を担当する。たとえ物理的に離れていても、通信機のおかげで孤独を完全に感じずに済む。それが、わずかでも私の心を支えてくれていた。
「キアラン、気を付けて。もし何か変なことがあったら、すぐに知らせてね。」
私は通信機に小声で囁いた。自分では気づかないうちに、不安の色が声に滲んでいたのだと思う。
「心配するなよ、リア。」
彼の穏やかな笑い声が返ってきた。「こういう場所に閉じ込められるの、今回が初めてじゃないからさ。」
彼の姿は見えないけれど、私は思わず微笑んだ。
「それならいいけど……。今回はサプライズがないといいわね。」
「それには俺も同感だ。」
キアランの軽やかな声が途切れ、通信が一旦切れた。
私は再び静かな廊下を歩き始める。五階の長い廊下には、ただ自分の足音だけが響いていた。その音が妙に大きく聞こえるのは、建物全体を包む異様な静けさのせいだろうか。それとも、この場所が持つ奇妙な空気のせい?
背筋に冷たい感覚がじわりと這い上がる。言葉にしづらい違和感――それが、この建物のどこかに潜んでいる気がしてならない。進むたび、その感覚は濃くなり、まるで目に見えない何かが私を中心部へと引き寄せているかのようだった。
「ねえ、キアラン。」
歩みを止めずに通信機を再び手に取った。「どうして私たちがここに派遣されたのか、考えたことある?」
短い沈黙が流れたあと、彼の声が再び返ってくる。
「それを俺もずっと考えてたんだ。署長が何か察してるんだろう。俺たちがまだ見つけてないだけで、ここにはきっと……大きな何かが隠されてる。」
彼の言葉に曖昧な確信を感じながらも、私は答えられず、ただ目の前の空っぽの廊下を見つめた。この任務、ただの勘に基づいているとは思えない――だけど、全てがまだ手探りだった。
「まぁ、無駄にならないことを願うだけよ。」
小さなため息とともに呟くと、キアランが軽く笑いながら言った。
「大丈夫だって。こういう場所じゃ、意外な発見があるもんだ。むしろ、そうであってほしいな。」
彼の言葉には、どこか冒険心に似た楽観が感じられた。
私は廊下の突き当たりにたどり着き、半開きになっている窓の前で足を止めた。冷たい夜風が顔に触れる。窓をさらに押し開けると、空気が一層鋭くなり、部屋全体に吹き込んできた。そこから見えたのは、まもなく始まるレイヴンブルック警察署長の退任式の会場だった。ライトアップされた壮大なホールは、まるで夜空に浮かぶ宝石のように輝いていた。その眺めはただ美しいだけではない――どこか意味深なものを感じさせる。
頭の中にマグナスの言葉が蘇った。
「このアパートはただの近場じゃない。この位置から見える景色が、どう考えても偶然とは思えない。」
私は通信機を手に取り、下の階を調べているキアランに連絡を取った。「キアラン、信じられないかもしれないけど、このアパートから警察署長退任式の会場が直線で全部見えるの。言ってた通りだよ――ここからなら、全てが丸見えだ。」
通信機越しの静けさのあと、彼の声が低く、しかし真剣に響いてきた。「じゃあ、それが偶然だと思うか?」
私は窓辺から視線を外し、首を横に振った。もちろん彼には見えないが、否定の意思を込めて答えた。「正直わからない。でも、もし誰かがあの式を狙っているとしたら……ここは全てを監視するのに最適な場所だと思う。」
私たちの間に短い沈黙が流れた。言葉を交わさずとも、同じ考えが胸に浮かんでいるのを感じた。潜む可能性が、重くのしかかるようだった。マグナスとフェリックスが地下から報告した不審な信号。昨夜の尋問中に突然倒れたギャングのリーダー――全てのピースが重要に見えるが、まだ繋がらない。
「キアラン。」私は通信機越しに、慎重に声をかけた。「警察内部に裏切り者がいる可能性、覚えてる?」
彼がため息をつく音が聞こえた。その声にはわずかな疲労と諦めが滲んでいた。「ああ、覚えてる。もしそれが本当だとしたら……俺たちが思ってる以上に、この事件は根深いのかもしれない。」
再び沈黙。だがその静けさは、単なる間ではなく、二人がそれぞれ断片的な情報を繋ぎ合わせようと必死に考えている証だった。
「結論を急ぐのはよそう。」彼がついに口を開いた。その声は冷静だが、どこか決意が宿っているようだった。「まずはもっと確かな手がかりが必要だ。」
「その通りね。」私は窓を閉め、視線を六階へ向けた。「この建物の最上階を調べてみよう。ここに全てを繋げる何かがある気がする。」
私たちは無言で階段を上がり始めた。階段を一段踏みしめるたびに、冷たい空気が肌に染み込むようだった。六階に足を踏み入れると、空気の質が明らかに変わった。吹き込む風のせいなのか、建物そのものの高さのせいなのか、それとも――何か得体の知れない力が働いているのか。
廊下に並ぶドアを一つずつ押し開けるたび、古びた埃の匂いが鼻を突いた。どの部屋も何年も放置されたような空っぽの空間ばかりで、見慣れたはずの荒廃した景色が、なぜか今日に限って不気味に映る。
「どうして閉鎖されたんだろうね。」私はふと呟いた。「騒音がひどかったのかな?それともみんな……ただ引っ越しただけ?」
キアランが短い笑い声を漏らした。「誰にも分からないさ。もしかしたらこの場所が不気味すぎたのかもな。見てみろよ、この廊下。静かすぎて別世界みたいだ。」
私は少しからかうように肩をすくめてみせた。「幽霊の噂でもあったんじゃない?」
キアランは軽く笑い、にやりとした声で答えた。「幽霊なんて存在しないよ。でも、何かがいたとしても――俺たちの仕事はそいつを排除することだ。」
廊下の突き当たりにたどり着いたとき、キアランは広い窓の前で足を止めた。その先には、まるで夜空に溶け込むような都市の景色が広がっていた。私も彼の隣に立ち、黙ってその光景を眺めた。ここからは、まもなくレイヴンブルック警察署長の退任式が行われる予定の壮大なホールがはっきりと見える。
「見える?」私は顎でホールを指し示しながら言った。「マグナスの予想は的中だ。この場所、完全に狙える位置だ。」
キアランは軽くうなずき、視線を固定したままだった。しばらくの間、二人で沈黙を保ちながら見つめ合い、言葉なき思索に耽る。まるで見えない糸を辿ろうとするかのように。
窓から冷たい微風が入り込み、私たちの顔をそっと撫でた。建物内のこもった空気とは対照的なその新鮮な風は、一瞬だけだが心を軽くしてくれる。
「やっと、外の空気が吸えるね。」私は目を細めながら、風に体を傾けるように言った。
キアランは短く目を閉じ、その冷たさを味わうように深く息を吸った。「砂漠の中で見つけたオアシスみたいだな。」緩んだ笑みが浮かび、張り詰めた空気がその瞬間だけ和らいだ。
「さて、先を急ごうか。」私は気を引き締め直し、キアランに声をかけた。
「了解!」彼は笑顔で頷いた。
短い休息を終え、私たちは再び廊下を進んだ。だが、進めば進むほど、この建物の不気味さが増していく。壁や擦り減った床の下に何かが隠されているような感覚が、私の中で強まっていった。
「この建物について、何か聞いたことある?」私は静寂を破り、キアランに問いかけた。
彼は首を横に振りながら、鋭い目つきで周囲を見渡した。「噂話くらいだな。ここでは変なことが起きたとか。まあ、よくある話だよな。」
「そうだね。」私は小さくうなずき、周囲に目を配りながらつぶやいた。「でも、なんだか……違和感を感じるのは私だけ?」
彼は肩をすくめた。「長い間放置されてた場所って、大体こんなもんだろう。静かで、忘れ去られて、でも――何かを隠してるかもな。」
やがて廊下の端に、他の扉とはどこか雰囲気の異なる一枚の扉が現れた。他の扉よりも塗装が新しく、取っ手もやけに綺麗だ。私は一瞬ためらいながら、その取っ手に手を伸ばした。脈が速くなるのを感じ、胸の奥に得体の知れない緊張が広がる。
ゆっくりとノブを回し、扉を開いた瞬間、私は確信した――ここはただの空っぽの部屋じゃない。
「キアラン。」私は通信機に向かって、小声で呼びかけた。「これを見に来た方がいい。」
彼はすぐに駆けつけ、私の隣に立った。その表情に浮かぶ驚きは、私のそれと全く同じだった。
その瞬間、二人は同時に悟った――この部屋は、ただの廃棄された空間ではない。
おそらくここが、私たちがこの場所に導かれた理由そのものなのだ。
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特殊部隊第8課の本部に、署長のレオン、副署長のエリス、第三指揮官のカイ、そして第四指揮官のリスが到着した。その建物は、単に特8課の精鋭たちの活動拠点であるだけでなく、日々の運営を支えるプロフェッショナルなチームによって支えられていた。入口では受付係が礼儀正しい笑顔で彼らを迎え、その態度はこの場所に求められる徹底したプロ意識を体現していた。
受付の背後には、建物を支える他の部門が控えていた。設備の維持を担当するメンテナンスチーム、任務用車両の整備を担当する整備士、そして極めて重要な任務のみに動員される特殊作戦部隊。それぞれが役割を全うし、この本部を支えている。
「お帰りなさいませ、署長。」受付係が熟練された笑みを浮かべて挨拶した。
レオンは軽く頷きながら尋ねた。「マグナス、フェリックス、それにリヴィアは今、コンピュータ室にいるか?」
受付係は即座に応じた。「はい、署長。全員揃っています。」
「分かった。すぐに私のオフィスに来るよう伝えてくれ。」短く指示を出すと、レオンは部下たちと共にオフィスに向かった。
数分後、マグナス、フェリックス、リヴィアがレオンのデスクの前に整列していた。エリスは右側の席に、カイは左側に腰掛け、リスは少し後方に立ち、部屋全体を鋭い視線で見渡していた。部屋には緊張感のある静寂が漂い、レオンが沈黙を破るまで誰も口を開かなかった。
「捜査の進捗状況を報告してくれ。」レオンの声が低く響いた。
マグナスが一歩前に進み出て答えた。「全ての手段を試みましたが、現時点で追跡できたのは港付近の下水道だけです。それ以外の信号は特定が非常に困難です。」
レオンは険しい表情を浮かべながら頷いた。「つまり、それが唯一の手がかりということか。」
「はい、署長。」マグナスが即答した。
その時、通信機からトリンの声が割り込んできた。「署長、こちらトリンです。」
レオンは通信機を取り上げ、応じた。「どうした、何か見つかったか?」
「下水道内で広い空間を発見しました。」トリンの説明は続く。「散乱した物から見て、最近まで使用されていた可能性があります。しかし、慌ただしく撤退したようです。」
レオンは声の調子を変えずに続けた。「そこには何がある?詳しく教えてくれ。」
「置き去りにされた机や椅子がいくつかあります。おそらく、運び出す時間がなかったのでしょう。それに、紙や地図らしきものが散らばっていました。机の下にはマイクロフォン、そして最近破損したモニターも見つかっています。」
レオンは状況を整理するようにゆっくりと頷いた。「その場所と、昨夜の襲撃で押収したギャングの本拠地とはどれくらい近い?」
「それほど遠くありません、署長。」トリンは即答した。「ここは一時的な隠れ家として使われていた可能性が高いです。」
オフィスの中にいた全員が情報を頭の中で整理し、次の一手を考え始めた。沈黙が数秒続いた後、レオンは再びマグナスに目を向けた。
「マグナス、信号が下水道まで届いている可能性があるか?未発見の装置がどこかに隠されているかもしれない。」
その時、通信機から再びトリンの声が聞こえた。「署長、下水道でノートパソコンを見つけましたが、状態がひどいです。クライブが復旧を試みていますが、まだ成果は出ていません。」
マグナスの表情が険しくなった。「もし電源が入れば、それが信号源に繋がる鍵かもしれません。」
トリンの言葉には焦りが滲んでいた。「どうやら壊れているようです、署長。」
通信の向こうからクライブがノートパソコンを軽く叩く音が聞こえてきた。トリンがすぐに制止する声を上げた。「クライブ、慎重に!壊したら重要な手がかりを失うぞ!」
突然、ノートパソコンの画面がちらつきながら点灯した。ひび割れた画面の向こうに、かすかな希望が見えた。
「ついたぞ!」トリンが驚きと安堵の声を上げた。
レオンは険しい表情を崩さず、「よし。見つけた情報を全て送れ。」と命じた。
その近くでリヴィアがタブレットに目を落としながら言った。「署長、ノートパソコンが再接続されました。信号を確認しました。」
画面を覗き込んだ上級指揮官たちは、慎重ながらもほっとしたような表情を見せた。しかし、フェリックスが画面のデータを注視する中で呟いた。「おかしいな。これまで検出されなかった新しい信号がある。」
その言葉にマグナスとリヴィアも目を見開いた。「確かに……。別の場所から発信された信号です。」マグナスは焦りながらデータ解析を急いだ。
無線から突然別の声が割り込んできた。聞き覚えのある、穏やかながらも緊張を孕んだ声。それはリアだった。彼女の声には慎重な興奮が滲んでいた。
「それについてなんですが……たぶん、場所がわかりました。」
その場にいた経験豊富な隊員たちは、一瞬顔を見合わせた後、思わず微笑を交わした。この言葉はリアにとっても、そしてキアランにとっても、入隊1年目の初めての大任を意味していた。全員がこの瞬間を心のどこかで待ち望んでいたのだ。
彼女の迅速な報告に驚きつつも興味を引かれたレオンは、すぐさま指示を下す。
「リア、詳しく教えてくれ。」
リアは即座に答えた。
「信号の発信源は、ここで見つけた古いアパートのコンピューターだと思います。部屋の隅に置かれていた箱の中に、そのコンピューターが隠されていました。」
その報告を聞きながら、マグナスが独り言のように呟いた。
「もし信号が一致すれば、トリンとクライブが発見したノートパソコンと何かしらネットワークで繋がっているかもしれないな。」
リアは一呼吸置いてから、慎重に声を落ち着けながら続けた。
「唯一起動していたアプリケーションがありました。それは監視カメラシステムに接続されていて、映像は来週予定されている警察署長の退任式が行われるホールを映していました。部屋の隅々まで監視可能な状態です。」
その言葉が響くと、場に重苦しい沈黙が訪れた。チーム全員がその情報を咀嚼し、現状の危険性を理解し始めていた。エリスとカイは緊張した面持ちで目配せし、この情報が任務の難易度をさらに引き上げることを察していた。
そんな中、キアランが建物の外観に目をやりながら冷静に説明を始めた。
「この建物は非常に戦略的な位置にあります。左側には窓がなく、空のフロアが二つ続いています。隠れるにはうってつけです。右側は小さな窓と通気口が配置されていて、メイン通りからの視線を巧妙に遮っています。」
彼はさらに言葉を重ねる。
「この建物は周囲の商業施設に溶け込んでいて、目立たない。ホールは盲点に囲まれているが、この場所なら高い視点から全体を見渡せます。ここを選んだ人物は、隠密行動や観察に長けた者に違いありません。」
キアランが静かに振り返り、真剣な表情で結論づけた。
「一見普通の建物だが、戦略的には完璧だ。これを選ぶには、かなりの計画と知識が必要だろう。」
通信オフのチャンネルから、カイが感心したように口笛を吹いた。
「さすがだな、観察力が鋭い。」
彼は微笑みながらキアランの洞察を称賛した。
エリスはレオンを見やり、小声で言う。
「見ましたか?彼らならやれますよ。報告も推理も申し分ありません。」
レオンは頷き、再び通信をオンにする。
「じゃあ、キアラン。この建物がどのように利用されるか、可能性を教えてくれ。」
キアランは少し考え込んだ後、慎重に言葉を選びながら答えた。
「もし俺が狙撃手なら、ここは理想的なポイントだ。ただ、実際に狙うなら別の場所を選ぶだろう。」
レオンは無線で呼びかけた。
「ルーサー、お前の意見はどうだ?」
端末越しにルーサーの軽い笑い声が聞こえた。
「正直なところ、署長。俺もキアランに賛成だ。この場所は戦略的だが……まあ、素人向けだな。」
彼は皮肉を込めて続けた。
「俺たちなら、ここにいる狙撃手をすぐに見つけられるだろう。けど、レイヴンブルック警察が担当なら、一日中頭を抱えてるかもな。」
レオンは笑いを抑えつつ、内心その通りだと同意した。
「わかった。引き続き注意を怠るな。」
無線越しに微かな笑い声が漏れたが、すぐにレオンの落ち着いた声が空気を引き締めた。
「さて、任務に戻るぞ。リア、キアラン、その現場をもう一度しっかり確認しろ。パソコンやマイク以外に何か見つけたら、すぐに報告するんだ。」
「了解しました、署長。」リアが即座に応じる。
短い間が空いた後、レオンは再び集中した声で尋ねた。
「ルーサー、ロリアン、そっちはどうだ?セレーンは無事か?」
街の反対側から、ロリアンの慎重な声が応答した。
「今のところ無事です、署長。ただ、状況が少し妙ですね。」彼は一瞬言葉を切ってから続けた。「彼女に近づく警官の数が増えています。今のところ怪しい動きはありませんが、ターゲットが現れる可能性はいつでもあります。」
レオンはその報告を吟味し、さらに尋ねた。
「セレーンはギャングについて必要な情報を集めたか?」
主通信に接続していないセレーンの代わりに、ロリアンが冷静に答えた。
「はい、署長。必要なファイルと情報はすべて揃いました。ただ、戻るタイミングを少し遅らせています。注意を引きつける狙いです――もしレイヴンブルック警察に内通者がいるなら、今がボロを出す瞬間でしょう。」
レオンはその言葉を慎重に検討し、冷静に指示を出した。
「よし、計画通りに進めろ。状況をしっかり管理し、立場を晒さないように注意しろ。」
指示を受けた後、一瞬の静寂がチーム全体を包んだ。その中で、ルーサーが遊び心を込めた声で冗談を飛ばした。
「ロリアン、お前も気づいてるだろ?うちの署長ってさ、ちょっとツンデレっぽくないか?」
ロリアンは思わず息をひそめて笑い、監視している建物の向かいで静かに同意した。
「ああ、分かるよ、ルー。リアとキアランを引き入れるのをずっと渋ってたくせに、ようやくチャンスを与えたんだからな。」
ルーサーがもう一度静かに笑った。
「そうだよな。でも、なんだかんだで、特8課はようやく完成したって感じがする。」
緊張に満ちた日常の中で、彼らはほんの一瞬、チームとしての連帯感と満足感を共有した。
だが、その軽い雰囲気は一瞬で消え去った。無線チャンネルから一連の通知音が鳴り響き、二人は即座に鋭い表情へと切り替えた。それはセレーンからの信号で、緊急事態を知らせるものだった。
ルーサーは迷うことなく狙撃銃を構え、そのスコープをアーカイブ室の窓に合わせた。一方、ロリアンはスコープ越しに部屋の様子を観察し、細かい動きも見逃さないよう集中した。セレーンの姿が視界に入る。彼女は表面的には落ち着いているように見えたが、その瞳には警戒心が宿っていた。彼女の向かいに立つ別の警官――あまりにも近い距離だ――の存在が明らかに不自然だった。
ルーサーはスコープの焦点をさらに絞り込み、可能な限り視界をクリアにした。
「ロリアン、これはおかしい。あの警官……どうも変だ。」
その頃、特8課本部では、レオンを中心にこれまでの情報を整理していた。エリスが資料をめくりながら、作戦開始以降の重要な発見について説明を始めた。
「まず、クライブとトリンが調査した下水道で見つけたもの――ノートパソコン、マイクロフォン、そして詳細な地図まで含まれていた。」彼女の冷静な声が会議室に響く。
カイが頷き、さらに補足した。
「リアとキアランも、あの古いアパートで似たものを発見した。パソコンやマイクが置かれていた。それだけじゃない。あそこは、大ホールを監視するには絶好の場所だった。狙撃にも完璧な位置だ。」
議論が進む中、レオンは別の重要な点に思考を巡らせていた。それは、リアとキアランが拘束した三人の学生のうち一人が所持していた二台目のパソコンについてだった。レオンはすぐに無線で連絡を取りました。
「リア、さっきの午後、三人の学生から押収したもう一台のパソコン、どこにある?」
少しの沈黙の後、リアの申し訳なさそうな声が戻ってきた。
「あ、すみません、署長…その…完全に忘れていたわけでは…ただ…」
レオンは落ち着いた声で彼女を安心させる。
「気にするな、リア。実は、私も今思い出したところだ。」
リアが深く息を吸い、報告を続ける。
「三人の学生とその所持品は、レイヴンブルック警察に保管されています。」
その後、レオンは特8課の受付に連絡を取り、状況を確認した。受付担当者が答える。
「はい、署長。学生たちのパソコンも含めた報告書はすべて受理されています。」
レオンは短く感謝を述べ、電話を切った。
「なら、これで一応の確認は済んだな。」そう呟きながら、レオンは新たな手がかりを考え始めた。
エリスが仮説を述べる。
リアの声が再び無線に入った。
「署長、本当に申し訳ありません。」
「リア、気にするな。」レオンは答えた。「君が懸命に働いていることはわかっている。だが、慎重に進めるんだ。外では気をつけろ。」
リアは安堵のため息をつき、無線は一旦静かになった。チームは引き続きこれまでの調査結果を整理し始めた。
「あのアパートにあった最初のパソコンは、大ホールの退職式を監視するためだった可能性が高いわね。でも、二台目のパソコンが存在するとなると、ただの監視だけでは済まない何かがある。」
カイが頷きながら同意する。
「そうだ。あのアパートは便利すぎる。監視や狙撃にはもってこいの場所だ。ただ……あんな目立つ形で残すなんて罠みたいだ。」
その時、リヴィアが静かに口を開いた。
「もしあのアパートが、退職式の監視拠点だったとしたら……最終的な目的は、署長を暗殺することだったのかもしれない。」
リスは眉をひそめ、疑念を隠さずに口を開いた。
「可能性はあるわ。でも、退職後の彼を狙う理由は何?まだ権限を持っている間に動いた方が、相手にとっては効率的なんじゃないかしら。」
その言葉が場に一瞬の静寂をもたらした。各々の視線が資料や無線機に落ちる中、レオンの表情が僅かに変わった。そして、新たな考えが浮かんだのか、彼は即座に無線を操作した。
「ルーサー。」彼の声には緊張が色濃く滲んでいた。
短いノイズの後、落ち着いたが警戒心を秘めた声が応答した。
「こちらルーサー、署長。」
「ルーサー、セレーンにすぐ連絡を取れ。学生たちから押収した物品、特に二台目のパソコンが無事か確認しろ。そして、怪しい機器が含まれていないか、細かく調べるんだ。」
数秒の沈黙。続いて、ルーサーの声が無線に戻ったが、その声にはどこか違和感があった。
「署長、でも……」
その瞬間、通信に雑音が混じり始めた。言葉の後半が掻き消され、無線が微かに震える。
レオンの眉間に深い皺が刻まれる。
「ルーサー、繰り返せ。信号が妨害されているのか?現状を報告しろ。」
雑音が増す中、途切れ途切れの声が無線越しに戻ってきた。
「署長……何か……様子が変です……」
無線の音はやがてほとんど聞き取れなくなり、特8課のオフィスには不穏な空気が流れた。その時、不意に、ルーサーの切迫した声が再び鳴り響く。
「待って……ダメだ!」
その声に全員が凍りついた。緊迫感に包まれる中、レオンが鋭い声で問い詰める。
「何があった?現状を即座に報告しろ!」
ルーサーは息を詰まらせながらも、何とか言葉を紡ぎ出した。
「セレーンが危ない!現場の誰かが何かを漏らした!ロリアン!急げ!」
その言葉を聞くや否や、ロリアンはすぐさまアーカイブ室へ向かった。廊下を駆け抜ける靴音が聞こえるような緊張感が、オフィスの空気を支配する。しかし、彼が到着する寸前で通信は完全に途絶えた。
特8課のオフィスに重苦しい沈黙が漂う。誰もが状況の深刻さを理解していたが、次の行動を模索するその刹那、時間だけが無情に過ぎていくのだった。
部屋には重苦しい緊張感が漂い、メンバー一人ひとりが事態の深刻さを痛感していた。エリスが口を開き、その声は落ち着き払っていた。
「やっぱり、私たちの直感は正しかったみたいね、署長。」
リヴィアが不安そうに声を漏らす。
「セレーン、大丈夫かしら……?」
フェリックスが穏やかな口調でリヴィアを安心させた。
「心配するな。ルーサーとロリアンが一緒にいるんだ。きっと無事に戻ってくる。」
レオンは深呼吸し、心を覆う不安を振り払おうとした。そして、迷いなく無線機を手に取り、リアとキアランに連絡を取る。
「リア、キアラン。」その声は力強く、命令を下す署長としての威厳があった。「アパートで見つけた証拠品をすべて回収しろ。特にパソコンや電子機器は最優先だ。本部に直ちに持ち帰るように。」
だが、彼の指示が終わる前に、リアの声が無線を通じて聞こえてきた。その声は途切れ途切れで、雑音が混じっている。
「しょ……レオン……署長……問題が……」リアの声には明らかな動揺があり、言葉は断片的だった。「私たち……ここに……誰かがいる……」
レオンの眉が深く寄り、不安が胸を突き刺した。「リア、繰り返せ。『誰かがいる』とはどういう意味だ?詳しく説明しろ!」彼の声には焦りが滲んでいたが、無線のノイズはさらに酷くなり、状況を掴むことが難しくなる。
リアの声が再び聞こえてきたものの、それも断片的で、焦燥感が露わだった。
「……誰かが……ここに……私たち……すぐに退却を……」
その瞬間、通信が完全に途絶え、無線機からはただの雑音しか聞こえなくなった。レオンは無線機をじっと見つめ、オフィス全体に不気味な静寂が降りる。胸の奥に押し寄せる嫌な予感が、全員の気持ちを重くした。
突然、リアの声がクリアに響く。その緊迫した口調は、さらに場の緊張感を高めた。
「今はそんな時じゃありません、署長!」リアの声には切迫感が満ちていた。
「リア、何が起きているんだ?」レオンの声は抑えきれない焦りに震えていた。
「アパートに見知らぬ男が現れ、銃を構えてきました!キアランがその男を武装解除しましたが、今追跡しています!」リアの声は早口で状況を伝えたかと思うと、通信がまたしても途絶える。
オフィス内には再び緊張感が押し寄せた。メンバーたちはお互いに視線を交わし、表情はさらに引き締まる。
「私たちの判断は正しかったようですね。」エリスの声は冷静だったが、その奥には揺るがない決意が見て取れた。
カイが険しい表情を浮かべながら、レオンに目を向ける。
「署長、次はどう動きますか?」
レオンは短い沈黙に包まれた。彼の表情には隠しきれない不安が浮かび、頭の中で無数の選択肢が駆け巡る。その一方で、状況は彼らの手から次第に逸れていくように感じられるのだった。
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